cent onze 安藤
高校の三年間はあっという間に過ぎ、私は建築学科のある大学への進学を決め無事卒業式を迎えた。中西君は電気工学の専門学校へ進学後、家業を継ぐと決め野球人生のピリオドを打っていた。
これからは別々の人生を歩む……実家が近いので会おうと思えば会えるのだが、お互い未だ引きずっている隔たりのせいで対話できるのは学校内に限られていた。
【少し時間もらえない? 屋上で待ってる】
私はメールで彼を誘う。連絡先の交換はしていたけど、実を言えばこの日初めてメールを送信した。とにかく変な汗が出て手が震えた。たったこれだけの文章を前日から書いて消してを繰り返し、何度も何度も読み返してようやっと送信という有様だった。
彼はちゃんと来てくれた、六年前に見たあの時の表情とほとんど変わらないポーカーフェイスで。私はこの三年間で分かったことがある。彼は強靭なメンタルの持ち主ではあるが、闘争心も恐怖心も表に出せない不器用な人間であるということ。
『中西君、ずっと好きでした』
あまりモタモタしてると言えなくなると思い、向き合った瞬間勢いを付けて思いを告白した。
彼は少し間を置き、私の顔を見つめてくる。少し瞳孔が狭まっている気がする、多分予想もしていなかったんだと思う。
『ゴメン安藤、その気持ちには答えられない』
やっぱり。予測はしていましたよ。
『そっか、三年間ありがとう』
『こちらこそ』
中西君は変わらぬ律儀な態度でそう言った。
『行くな、待ち合わせしてんだ』
彼はあっさりと踵を返してドアへと歩いていく。もう少しだけ話がしたい、何でもいい、もう少しだけ……。
『あのっ!』
私は何も考えず呼び止めていた。中西君は足を止めて振り返ってくれた。屋上だからか下よりも風が強く、彼のふわふわとした柔らかく緩い癖っ毛がさわさわとなびいている。
『だ、第二ボタン……』
と言った瞬間煽られるような強風が私たちをすり抜けた。
『えっ? 悪い聞こえなかった』
『いい、何でもない』
天は恋路の味方にはなってくれなかった。これ以上の深追いを諦めた私の前から、彼はあっさりいなくなってしまった。
失恋した私が教室に戻るとクラスメイトの依田、普通科のくれちゃん、そして何故か内海の姿もあった。
『お帰りカンナちゃん』
親友は私を優しく出迎えてくれた。お別れになるのは中西君だけじゃない、彼女とも進学先は別になってしまうのだ。参考までに依田は同じ大学、内海は多目的ホールの内定をもらっていた。そう思うと視界が滲んできた。こうなったらどう取り繕おうとしても止められない。私は自然現象に任せて涙をこぼすしかなかった。
『どした?』
くれちゃんはそっと私の体を抱きしめてくれた。それだけでも充分に救われた、何かあっても受け止めてくれる友の存在……恋の方は撃沈したけど、一生涯大切にしていこうと誓える友情を得られた瞬間だった。依田と内海も私が落ち着くまで待っていてくれた。五分ほどして涙を出し切ったら何だかスッキリした気がした。
『泣いた後は甘いもの食べなさぁい』
内海は指定のスポーツバッグから市販のクッキーやチョコレートを取り出し開封し始めた。依田は胸元をしきりに触り、握りこぶしを作ってから私の前に差し出してきた。
『ほれ』
『何?』
『俺の第二ボタン』
『要らない』
『うわっ! それ超ショック!』
どうやら依田を打ちのめしてしまったらしいが、お前私に恋愛感情なんか持ってないだろ?
『ほれ』
その辺り無駄に立ち直りの早いこの男、くれちゃんにも同じことしてる。
『いい』
『んじゃ内海』
『何だよそのついで感』
『だって惨めじゃん俺』
『知るかよそんなもん……良いこと思い付いた!』
内海はガバッと席を立ち、窓へと勢いよく走る。
『このクラス拡声器あったよね?』
『えぇ、その棚の中にあるはずよ』
確率は高くないけど鍵掛かってるかも。内海は言った通り棚に駆け寄り、金属製の引き戸を勢いよく開けた。運が良かったようで、拡声器はちゃんと収まっていた。
『よしっ! 窓開けるよ!』
内海は普段見せない機敏な動きで窓を開けると、下にいる誰かに向けてお〜い!と叫び出した。
『そこの女どもーっ! 依田稔の第二ボタン欲しくないか〜!』
すると外にいるらしき女子生徒数名が欲しいー! と答えてきた。この男見てくれは良いし、野球部では四番バッターで校外のファンもたくさんいた。この時も違う制服を着ている他校の女子生徒が、依田目当てにプレゼント持参で待ち伏せをしていた。そんな中で始まった内海の悪ふざけ、おかしな盛り上がりを見せてちょっとした騒ぎになった。
『マジ?』
くれちゃんは女子生徒たちの反応を見て笑っている。今だから言えるけど、この二人去年入籍したのよね。
『俺の第二ボタンで遊ぶなっ!』
『まぁ気にするでない、お〜バカな女どもが集まってきたぁ』
内海主導の元依田の第二ボタン争奪戦が始まり、最後の最後に笑わせて頂いた。この直後、内海は学年主任にこっ酷く叱られたことだけ付け加えておく。