onze 霜田
「景樹君、貴方いつ結婚するの?」
こういうことを言ってくるおばさんは何処にでも居るものです。ワタクシ霜田景樹もこの手のおばさんに欲しくもないお見合い写真を突き付けられる日々なのです。
正直面倒臭い……今年三十三歳のワタクシの元にここ数年で十回は手元に来たお見合い写真。いえね、願望が無い訳じゃないんですよ。三十代なんてまだ若造じゃないですか、今は自分の為に時間を使いたいんです。子供が好きな訳でもありませんので、それこそ相性さえ合えば四十路過ぎてたって構わないんですよ、えぇ。
「早く孫の顔見せてあげないと」
とお節介ババァ白井さん。アナタ母の同級生なんですから家の事情御存知ですよね? 両親は離婚して母は他界、父も再婚してるんですよ。兄と妹も結婚して子供もいますし別に良くないですか?
「今更誰に見せるんですか?」
「理子さんに決まってるでしょ!」
うん、その理子さんは他界してるんですよ、ワタクシの母の名前ですからね。それに妹の結婚が早かった為初孫はちゃんと拝めてるんですよ母だって……と家のことは割愛させて頂きます、まぁ結局あのゴリ押しババァには勝てませんでしたけど。
そして全く気乗りしないお見合い当日、ワタクシは白井さんに伴われてとあるホテルレストランに入りました。今回のお見合い相手はあの海東文具の社員さんで、見た目は可もなく不可もなく平凡な顔立ちの方です。けれども着物姿はよくお似合いで、写真よりは可愛らしい方だと思います。
「五条夏絵と申します」
藤色の着物姿に古風なお名前……よく見てみると彼女は所謂大和撫子タイプです。最近では不自然なくらいに猫も杓子も二重に拘り、何人なんだ? と言いたくなるようなゴテゴテメイクの若者が多い中、彼女は清楚でとても好感が持てます。こういった方であれば母もきっと天国で喜んでくれるでしょう、ワタクシは珍しく積極的に五条さんとお話させて頂きました。
「今時珍しいくらいに品のあるお嬢さんだったわね」
帰り道、白井さんがそう言ってきます。
「早いうちにご両親が亡くなられてご苦労も多かったのかしらね」
「そうなんでしょうね、ご存命の間の育て方が良かったんでしょうね」
でなければあんなにおしとやかなはずがありません! ワタクシは早くも五条……いえ、夏絵さんのウェディングドレス姿を想像して思わずにやけてしまいました。
「どうする? お付き合いしてみる?」
「えぇ、このまま話を進めてください」
ワタクシはすっかり彼女に夢中でした……そう、“デート”当日の朝までは。
ワタクシだって楽しみにしていましたよ、次回夏絵さんに会える日を。あまりの待ち遠しさに『指折り数えて』なんて表現もありますが、本気で指折り数えてカレンダーに♡を付けていたくらいですからっ!! 失礼、取り乱しました。約束を取り付けるメールにニヤつき、この日の為に服も新調して美容室にも行きました。そう、この日の為に……大事な事なので二度言わせて頂きました。
ところがご自宅に到着して玄関のチャイムを鳴らすと……出迎えてくださったあの女神さまは反則ですっ! ワタクシだって男なんですっ! 麗しすぎる御姿に見惚れるなと言う方が拷問ですっ!
「少々お待ちください、もうじき降りてきますので」
多少低めではありますがお声も素敵ではないですかっ! お化粧もナチュラルでほんのりと甘い香りが鼻をくすぐって……いかんいかんっ! “デート”のお相手は夏絵さんなんだ! しっかりしろ景樹! 脳内ではちゃんと分かっているんです、それが夏絵さんに対して失礼であることは。それでもワタクシは女神さまの事が頭から離れず、“デート”中もどこか上の空でありました。
ところが夏絵さんから女神さまこと春香さんが男であると聞かされ……でもワタクシの心は何故か折れませんでした。それならばワタクシもゲイになればいい! 浅はかとお思いでしょうが彼女のためなら何でも出来ると思ってしまったのです。
「折角だから霜田さんも上がって頂いたら?」
“デート”を終えて夏絵さんを無事に送り届けた後、春香さんの優しいお言葉に天にも昇る気持ちで舞い上がっておりました。夏絵さんが悪いのではありませんっ! 春香さんが美しすぎるだけなんですっ!
ワタクシは二つ返事でお誘いを受け……ると五条家の内部事情は驚きの連続でした。まずは見た目と違い怪力すぎる夏絵さん、原付を片手で運ぶ方を生まれて初めて拝見しました。しかも彼女は女性です、その後中型二輪を自転車のように取扱い、あっという間に片付けてしまわれました。男であるワタクシだってあんな芸当できません、と言うより人間技ではありませんっ!
それから弟さんのご友人と思しき男性三人組……アレはチンピラですか? ヤクザですか? 麗しの春香さんに馴れ馴れしい態度を取り……体触る必要ありますか? 彼女が汚れてしまいますっ!
更にはその三人組にワタクシの事をチクった……弟さんでしょうか? 顔は春香さん似で可愛いのに一言多い! 夏絵さんのお見合い相手であることなんてチンピラ共に教える必要性は無いでしょう、『今日で寿命みたいだけどね〜』なんて余計なこと吹聴したものだから要らぬ反感を買い、楽しみのはずの五条家訪問が一気に地獄絵巻に変わりました。
最後に帰宅した上の弟さんは顔こそ俳優レベルですが何とも頭の悪そうな……類は友を呼びますね、その彼にもチクったようで挨拶代わりに舌打ちされてしまいました。何と言う育ちの悪さ、春香さんにしろ夏絵さんにしろ、こんな弟がいてはご苦労が耐えないでしょう。
「なつ姉誑かすたぁいい根性してんなおっさん」
「いえ、誑かしたなんて人聞きの悪い……」
ワタクシだって男です、初対面である作業員風の男に不名誉な言い掛かりをされる筋合いは御座いませんっ! ですが可愛い顔した悪魔がこちらを見てニヤリと笑ってきました。
「へぇ〜、なつ姉ちゃんのお見合い相手なのにはる姉ちゃんにうつつを抜かしてんじゃ〜ん。初デートで鞍替えとか有り得ないよね〜」
「なつ姉ポイ捨てしてはる姉にだぁ⁉ おっさんふざけてんのかっ!!」
鳶職風の男にいきなり胸ぐらを掴まれてワタクシピンチでございます!
「止めとけゲン」
俳優風情の馬鹿男が仲裁に入ったお陰で幸い殴られるのは免れます。
「何でだよ⁉ こんなゲス一発目殴ったってバチ当たんねぇだろ!」
ゲスって……少し前スキャンダルで賑わしたキノコ頭みたいに言わないでほしいです、馬鹿男は訂正しておこうかと思いきや……。
「手が汚れる」
なっ何ですその理由……ワタクシあなた方より身なりは整えておりますが。
「まぁそれもそうだな」
「僕やだよ〜、おっさんの流血の後始末なんて〜」
「……」
鳶職と悪魔は嫌そうな顔でワタクシを蔑み、唯一きちんとしてそうな男は無言でこちらを睨んできます。さっきから一言も言葉を発さず、それがかえって恐怖心を煽ってきます。何気にこの男が一番恐ろしいかも知れません。
「……んだおっさん、ガン付けてんじゃねぇぞコラ」
ひいぃぃぃっ! ワタクシもう無理ですっ! どちらか早く来てくださいっ! と心の中で願っている間に夏絵さんが料理を運んでくださいました。念願であった春香さんの手料理でしたが、針のむしろ状態のワタクシには味などさっぱり分かりませんでした。そして逃げる様に五条家を飛び出すと誰かが追い掛けてきます。
「霜田さん」
声の主は先程見送ってくださった夏絵さんではなく春香さんでした。困った顔もお美しい……きっとワタクシを心配してくださったかと思いきや……。
「てめぇなつのことコケにしやがったのか?」
「はっ春香さん……?」
急変した彼女の態度にワタクシ全く付いていけません。先程までの女神さまは一瞬にして消え去り、お顔立ちが綺麗なだけに怒りの表情も恐ろしいです。
「何馴れ馴れしく名前呼んでんだよ?」
「はっ! いえっ、すみません……」
「まぁんなことぁどうでも良いや、質問に答えろ」
目の前にいる春香さんは女の格好をした男になっていました。ワタクシの服の中は冷や汗でベタベタです。
「決してコケにした訳では……」
「あ"ぁ? じゃ何であいつ諦めモードになってんだよ?」
「そっそれは……」
あなたを好きになりました、なんて言えるはずがありませんっ!! そんなこと言おうものなら恐らく生きては帰れないでしょう。
「性格の不一致? でしょうか……」
「疑問形で返されても知るか、それならノコノコ上がってくんじゃねぇよ」
「もっ申し訳ございませーんっ!」
ワタクシは車に飛び乗って帰路に向かいました。アクセル全開でとにかく逃げました。幸い追い掛けられませんでしたが、あの家の連中の恐ろしさにはしばらくの間夢で魘されておりました。
それから当然の様に白井さんにはお断りの連絡をして頂き、ワタクシの淡い恋 (?)は呆気なく終了致しました。勿論言い訳など致しません、夏絵さんに惹かれつつ春香さんに目移りしてしまった訳ですから。しかし仮にこのまま夏絵さんとお付き合いをしたとしても、あの強烈過ぎる男兄弟共と親戚縁者になるのはまっぴらごめんですっ!