cent neuf 安藤
“島エリア”の七人組とは小学校が同じで、多勢派だった私たち“街エリア”とはいわば緊迫した関係だった。私自身彼らに対して敵意も好意も無かったが、特にこの学年の父兄は“島エリア”ってだけで嫌悪感むき出しで、子供世代である同級生たちにもその思考は受け継がれていた。
昭和の終わりくらいから島と街の隔たりは薄まってきてたらしく、梅雨子さんの学年では学校史上初“島エリア”出身の小笹さんが児童会長に選ばれて、地区差別の払拭とローカルニュースとなったくらいだった。
次の学年でも島と街のミックス構成の児童会だったけど、一二三家やら櫻井家が暗躍して昭和初期の悪しき差別制度に逆戻り。何でも『風紀の乱れ』になるらしい、暴力団を取り締まる法律の影響らしいけど、昔から石渡組は一般市民に優しいヤ●ザだと思う。
そんな中、“ローカル”御曹司気取りの一二三憲人は五条夏絵に片想い。なら仲良くしたらいいものを、小学校時代六年間毎日のように憎まれ口を叩いて完膚無きまでに嫌われていた。
それを払拭させたかった一二三は、五条を屋上に呼び出して告白する計画を立てた。それだけで済めばよかったのだが、一緒につるんでる島男子と内海へのリンチ作戦というアホな事態を併発させたのには呆れてしまった。
『他の子へのリンチは要らないでしょ』
私たち街女子の中でも嫌がってる子は結構いたので、さすがに止めさせようと反対した。正直に言えば計画そのものを潰したかったのだが、4Aのバカ共はやる気満々で一対五では分が悪かった。麻弓? 当時から一二三の言うことは何でも正しいと盲信してたけど、さすがにリンチの加害者にはさせられない。
『やめとこう麻弓、表沙汰になったらおば様の経歴に傷がつくよ』
彼女の母親はそこそこ知名度のある女性活動家で、女性の社会的地位向上に日夜取り組んでいらっしゃる。当然育児や子供の問題も熱心に勉強されていて、主婦層のファンもそれなりに付いている。
そんな方の娘がカーストグループの中心で特定のクラスメイトにイジメを仕掛けていたとなると、これ幸いと潰しにかかるマスコミも出てくるはず。それなりにご立派で人格者の母を持ちながら、なぜ干し椎茸にゾッコンなのか?未だに七不思議レベルの案件である。
『こういった事が表沙汰になると要らないヒレも付いてくるの、おば様のこれまでの頑張りをフイにしてまでやることじゃないよね?』
私は麻弓を味方に引き入れ、強制参加を任意参加に変えさせて不参加を決め込んだ。
だがそれだけでは不十分だ。リンチ案を嫌がっていた子たちを集めて緊急ミーティングをし、作戦そのものを失敗させる計画を練った。
いざ他の子たちに話をしてみると、彼ら自身の意思で島っ子たちを蔑視している子は半分もおらず、4Aの吹聴を真に受けているだけの子も多かった。嫌っている子たちもリンチまでする必要性を感じない、と暴力行使に疑問を持っているという意見も出た。
『それなら島っ子たちを探そう、一二三の計画をバラして帰宅させるの』
この案にその場に居た全員が賛同してくれ、手分けして島っ子たちを校内くまなく探し回った。先ず理科の授業用の畑で大谷玄徳を見つけたが、必要以上に待ち合わせに早く来る露木守に捕まっていた。
【内海保護しました、五条は体育館トイレにいるそうです】
体育館周辺を探していたクラスメイトからのメールを受け、私からは大谷の状況を返信する。それに呼応するかのように後藤慎は櫻井に、前之庄紘汰は柔道やってる男子児童に、小口俊明も学年一大柄な男子児童に捕まっていたと連絡があった。
あとは中西哲か。当時彼は運動神経こそ良かったけれど、小口よりも小柄で女の子によく間違われるほどのショタ振りな見た目だった。消去法で牧村洋佑と対峙するのだろうが、あの男腕っぷしはともかく中途半端に頭が良くて手口の汚い性根をしている。武器を隠し持っていることも十分に考えられ、ある意味一番厄介だ。
とにかく中西を探そう。私は二階に駆け上がり、渡り廊下を走って音楽室へと向かう。牧村は手癖も大概悪く、児童会役員をかさに専用教室の合鍵をこっそりと作っていた。
ところが、音楽室には誰もいないどころか鍵も掛かっていた。状況を考えて牧村はまだと見た、中西は? と反対側にある空き教室を覗くと、独りぽつんと黒板の前に立っていた。
『中西哲?』
恐る恐る呼びかけた私の声に中西が反応した。表情は普段通り、呼び出し食らってる緊張感も無さげにしている。ポーカーフェイスを装っているのか強靭なメンタルを持ち合わせているのかは不明だが、どちらかと言えば余裕綽々な態度だった。
『ん? あんた何やってんだ?』
見た目は少年なのに声は変声期を迎えて既に低くなっていた。彼の声に気を配ったことがなかったせいか、このギャップに驚きを隠せなかった。
『今のうちに逃げて』
『他のみんなは?』
『もう捕まってる、あなただけでも……』
『五条と内海は? 捕まらないうちに先に帰れって言っといたんだけど』
幼馴染の心配ばかりしてこっちの言い分に耳を貸さない中西。
『人の話聞いてるの?』
『ん? それならノーだけど』
『は? 怪我したいの?』
この緊急事態に何平然としてるんだかと当時の私はイライラさせられていた。
『もう一回聞くよ、五条と内海は?』
こっちの進言を聞くつもりはないみたい、私もいきり立つのが馬鹿らしくなって無事よと答えた。本来なら中西をリンチ被害に合わせたくなくて必死に探したのに、本人は返り討ちする気満々の様子だった。それに私たちが言い争いをしているうちに牧村が来て、こっちの邪魔作戦がバレるというのは何としても避けたい。
『そっか、それならいいや』
中西は表情を緩ませてそう言った。彼の仲間思いは本物だと感じた私の心が一瞬ぶるんと弾んだ。今の今まで平熱だったが急激に体が熱くなってきた。当時はよく分からなかったが、思えばこの時中西哲に恋をした瞬間だったかもしれない。
こんなタイプの男私の周りにはいなかった。それなりに裕福な家庭環境に身を置いていたせいか、権力の誇示と保身に走るズルい大人顔負けの奴らが多かった。
虎の威を借る狐牧村、親に充てがわれた札束で相手の頬を叩く露木、教師家系で多少の悪さは揉み消してもらえていた櫻井、極めつけは親の地位と名誉に胡座をかき、傍若無人な振る舞いを今尚続けている一二三。今に始まったことではないがどれもこれもクズ揃いで、正直男という生き物に希望を持たなくなった矢先の出来事だった。
【内海と五条、無事帰宅しました】
というメールで我に返った私はすぐ中西に報告した。それを聞いて満足げに頷いた彼は、ざわつき始めた廊下に気持ちを集中させている。
『静かになるまで出ない方がいい』
その言葉を最後に教室を出た中西は、音楽室前で対峙した牧村の顔面を思いっきり殴り飛ばしていた。