cent un てつこ
もうクタクタだ……ようやっと上坂麻希子から解放され、自宅方向へと車を走らせてる。多分杏璃は寝ちまってるだろうな、五条家の面々は揃いも揃って(ふゆの場合は顔馴染み限定で)大らかな性格してるから咎められたりはしないだろうけど……このまま杏璃だけ五条家に預けて帰宅する事も考えてコンビニで惣菜パンを買ったのたが、何と言うか疲れ過ぎて逆に気が休まらず眠れそうにない。それに何となく一人でいたくなくて迷惑を承知で五条家を訪ねる事にした。
こんなド深夜にインターフォンを押すのは躊躇われたので、寝てるかも知れないと思いつつもなつのケータイにメールを入れる。
「悪い、ここまで遅くなるとは」
いらっしゃい、何も気にせず俺を迎え入れてくれるなつにちょっと安堵した。所々不器用で女性らしさ皆無のコイツの顔を見ただけで、さっきまで上坂に引っ掻き回された感情が少しずつ落ち着いてくる。
「杏璃は?」
「私の部屋で寝てる。取り敢えず上がんな、お茶くらい淹れるから」
こんな時間にそんな事させらんないわ、やっぱ杏璃預けて自宅に戻るか。
「いくら何でもこんな夜中に……」
「今日はもう寝かせてやんなって、車なら庭に停めればいいから」
なつは庭を指差してそう言ってきた。このスペースなら乗ってきた軽トラ程度は停められる、本音言えばこれ以上運転もしたくなかった俺はなつの厚意をありがたく受け取る選択をして車を駐車させた。
「律子ママお手製のローストチキンが一本残ってんのよ、温め直すから食べてって」
「いやそんな気遣いいいから」
見ての通りパン買ってっからこれ食うわ、取り敢えず座れりゃ何でもいい。残飯処理お願いと推し切って俺にダイニングの椅子を勧め、お世辞にもテキパキとは言えない動きで飯の支度をしてくれる。
普段は自分でしてる分誰かに何かをしてもらえるって事だけでありがたく思える。ましてや壊滅的炊事力を誇るなつにってのが……多少危なっかしくてヒヤヒヤものではあるが、魔法瓶を駆使してガスを使ってないだけまだ安心なのか。
それを考えたのははるさんなんだろうけど、今使ってるガスコンロも三年ほど経つなそう言えば。相っ変わらず手際は悪いけど紅茶まで淹れられるようになってるわ。
これまでなつはIHを含め五度キッチンを破壊させてる、どうやったら火を出さないIHでボヤを起こせるんだ? とも思うが実際起こしたんだから何とも言えん。新しいのに買い換える際、女神クラスの女子力を誇るはるさんはIHじゃ物足りないらしくて、なつには一切触らせない事を徹底させてガスコンロ購入に踏み切ってた。
なつはレンジで温めたローストチキンを大皿に盛り付けてプレートを完成させた。正直今日食えると思ってなかったローストチキン、しかもゲンとこのお母さんである律子さんお手製にありつけるとはかなりレアだ。
「味の方は大丈夫、お姉ちゃんが作ってるから」
ポテサラとミネストローネははるさんお手製、不味い訳がないのは俺も知ってる。
「なつのは食いたくないわ……頂きます」
紅茶だけは不安だったが普通レベルのものだった。それに安心したのか急激な空腹感が襲ってきて一心不乱にローストチキンを齧り付いてた。
一方のなつは目の前で飯食ってる俺に触発されたのか、おもむろにケーキを食い始めた。それでよく太らないよな……多分そんな事一切気にせず、食いたいから食うって感じなんだろうからストレスにならないのか。
「そんな時間によくケーキなんて食えるな」
「だってお腹空いたんだもん」
思いっきりお前には言われたくないって顔してんな。まぁ俺も朝飯以来のまともな食事だから、プレートだけじゃ物足りなくて惣菜パンも完食しちまったけどまだもうちょい食えそうだ。
「ケーキ食べる? せっかくのクリスマスだから」
腐れ縁の誘惑(?)に負けた俺は向き合ってホールケーキを貪り食い、何だかんだで完食してしまった。俺甘いものはそこまで好きじゃないんだが、相当脳みそが疲れてたのかいつにもなく美味しく頂いた。
「そう言えばさ、高校時代安藤カンナと仲良かったの?」
ん? 何でそんな事今更聞いてくるんだ?
「同じ工業科棟だったからな、今も仕事上での付き合いはある」
「告られた事あるんでしょ? あれで結構美人だから多少絆されたりはしなかったの?」
「しないよ、一応彼女いたし……それはなつも知ってんだろうが」
安藤もああ見えて男勝りな性格してるからな。仕事ではやり易いタイプだが異性としてはちょっと強過ぎる、お前と一緒だそこんとこは。
「うん、面識もあるしね。ただ私でも知ってるくらいに堂々と付き合ってたのに、何で同じ高校に通ってる安藤がこの事知らなかったのかな? って思っただけ」
同じ学校の連中には……というか彼女の学校は男女交際禁止だったからなるべくバレないよう隠してた。なつにはたまたま見られたからなだけだったと記憶してるが、はっきりとは憶えてない。
「彼女の学校男女交際禁止だったから隠してたんだ。それに正直好きって訳じゃなかったし」
十何年も経った今になって何でこんな事白状してんだろうな俺。
「はぁ? 何だそれ?」
まぁその反応も当然だわな。
「一度は断った。けど『家庭の事情で外国に移住する事が決まってるから日本での思い出が欲しい』って泣かれちゃってさ」
「それでお付き合いしてたの?」
「あぁ、まぁな。俺も相手いなかったし『本気になってくれなくてもいい』って言われて断れなかったってのもある。彼女がそれで納得してんのならそれはそれで良いのかなって当時は思ってた」
何だかなぁ……なつは釈然としないとでも言いたげな視線を向けてくる。俺だって今それをやれと言われても絶対無理、多分守るものが出来責任を負う側の立場になった今、中途半端な優しさとかで相手に流されてる場合じゃないからだと思う。数時間前の俺の行動は明らかに矛盾してるけど……そういう性根なのかも知れない、我ながら困ったもんだ。
「まぁ実際殆どの奴は噂話程度だって思ってると思う、俺としてもあんま広まってほしくなかったから聞かれてもテキトーに流してたし」
こういう話題になったらその子の事思い出してもいいくらいなんだろうけど……ひと通りの経験も彼女だったはずなのに、学校の制服は思い出せてもどんな顔してたとか背格好はどんなだったかすらまともに思い出せなかった。
「我ながら薄情な人間だな、デートの内容とかほっとんど憶えてないわ」
「十年以上経ってんだしもういいんじゃない?向こうも成長してんだろうからグチグチ未練たらしいよりはと思うけど」
そういうとこホントあっさりしてるよなこの女……自分自身の軽薄さにちょっと落ち込みそうになってたところで、その言葉に救い上げられた俺の心は霧が晴れたかのようにスッキリと澄みわたっていた。
それからしばらくしてなつはリビングのソファーで眠ってしまっていた。勝手知ったる五条家の和室から毛布を二枚拝借し(五人程の男共が雑魚寝してたけど判別不明)、一枚はなつの体の上に被せ、もう一枚は自分自身の体に巻いて仮眠を取る事にする。明日は昼からでいいからまだ気が楽だと思ってたのだが、次に目を覚ました時はほぼ昼になっていた。
うわやっべ! 慌てて飛び起きると杏璃に笑われた。景色は五条家のリビングなのだが俺と杏璃以外誰もいない。
「おそようパパ、『今日は完全休養でいい』って今朝じいじから通話あったよ。それに昨夜なつとケーキ完食しちゃったでしょ?」
「あぁ……なつは? 五条家のみんな見当たらないけど」
「なつは有砂ちゃんとケーキ買いに出掛けてる。はるちゃんはそろそろ起きてくるんじゃないかな? 秋都君はお仕事、ふゆちゃんは二階で勉強してるよ」
五条家はもう通常運転になってんだな、完全休養になったとは言えそろそろお暇しないとな。
「そろそろ帰ろう、長居しちゃってるし」
「無理、『留守番してろ』って言われてるから。それにお昼ごはんここで食べる約束とふゆちゃんにお勉強教えてもらう約束しちゃったもん、じいじも『帰ってくるなら閉店後にしてくれ』って言伝もあったからパパもそれまではここにいようね」
「……」
いや多分杏璃が事前に約束取り付けて親父にそう言ったんだろうなってのは分かってたけど、みんながそれで納得してるんであればそれはそれで良いんだろうな……俺やっぱそういうとこ全然治ってないわ。