第八話 「リベンジマッチで縮まった距離?」
俺と柿崎ちゃんとのリベンジマッチは大々的に告知されていたようで、何故かギャラリーとしてS女学院の生徒まで来ていた。
勿論、彼女達は自分の母校の先輩である柿崎ちゃんを熱烈に応援している。もはや、何かアイドルのファンクラブ状態だ。
土曜日の貴重な午後にコートを1面借りて行われるこの戦いに一体何の意味があるのだろう、と思ったが、俺はため息をつきながら昔着ていたポロシャツにハーフパンツを履いた。
気合いを入れて靴も昔使っていた試合用のスニーカーを持って来た。足のサイズは変わっていないのでこれが一番しっくりくる。
「……兄貴」
「んぉ?あぁ、麻衣。出来るだけ頑張るけど、負けたらごめんな」
「……うん」
何だ?麻衣が珍しくしおらしい。明日は雪でも振るのかなあ…そういえばちょっと寒いような。
しゅんとしている麻衣の頭をぽんぽん撫でると、かっと頬を赤くした麻衣が何すんだよと言いながら応援席の方に行ってしまった。
「きゃああああっ!柿崎先輩ぃっ!!!」
「頑張ってぇぇぇ!!」
黄色い声がちょっと鬱陶しくて俺はサービスを失敗しそうになった。一瞬の隙であっさりと点を取られてしまうのが羽球の痛いところだ。
20点先取で負けてしまうのに、俺は動体視力も落ちているのか、柿崎ちゃんの放つスマッシュに対応しきれない。
くっそ~…麻衣に散々鍛えてもらったのに……
俺は攻撃を諦めてロブで防戦に回った。柿崎ちゃん程体力もないが、1セットくらいは取り返さないと立つ瀬がない。
「ふふっ……先輩、そんなに麻衣ちゃんを僕に取られるのが嫌ですか?」
「あぁ嫌だね。大事な妹が変態な男装女子に取られるくらいだったら俺がもらうよ」
「……威勢だけは立派ですけど、先輩のブランクじゃ僕に勝てませんよ」
余裕たっぷりの笑みで強烈なサービスを放つ柿崎ちゃんは全く手加減無しだった。
こっちだってスポーツマンシップでやってんだけど、少しは加減してくれって思う。ブランク持ちと現役じゃあ大人と子供の争いじゃないか。
試合が長引くにつれて正直体力も限界でしんどかった。
柿崎ちゃんは俺のスタミナを奪う作戦らしく、わざと遠くにショットを飛ばしてくる。
それを追いかけるには勿論足も使うし、素早い羽の動きに対応する為目も頭もフル回転だ。
そうこうしているうちに、1セットあっさり取られてしまい、2セット目の前に10分だけ休憩タイムをもらった。
俺は既にへろへろになりながら置いていたタオルで汗を拭い、水筒に入れているポカリを一気に飲む。
ふーと息をはきだすと、俺の頭にもう一枚タオルがかけられた。持って来たのはマネージャーのように側にぴったりくっついている麻衣だ。
「……兄貴……大丈夫?」
「ん~。足がへろへろ。流石に現役との試合はきついなあ」
泣き言なんて言ってだせぇかもと思ったが、麻衣は無言で俺のふくらはぎを強く揉んだ。
「いっでえええええっ!!」
「……我慢して。ちゃんと解さないと後で痛いんだから」
「で、でもね、麻衣ちゃん……それ、いだだだだだっ」
無表情で全力で足のマッサージをされた俺は激痛で死ぬかと思ったが、それが終わった瞬間足が羽のように軽くなっていた。
麻衣は独学ながらも色々な筋肉の解し方を勉強しているらしい。自分も同じスポーツをやっているから自分の為なのだろうが……
「おっ。軽い。サンキューな、麻衣」
「……別に。だって1セットくらい取れないとダサイでしょ?」
「はっ……言ってくれる。兄ちゃんだって、一応ちょっとはマシなトコちゃんと見せないとな」
ラケットで麻衣の頭を軽く叩き、次は取ると気合いを入れなおしてコートに向かう。
俺は麻衣に背中を向けていたので全く知らなかったのだが、麻衣が俺の試合中の姿を見てかなり顔を赤らめていたと後に真里菜から聞いた。
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結局、現役である柿崎ちゃんとの試合は2-1であっさり俺が負けてしまったのだが、今回も何とか1セット取ることが出来た。
特に、2セット目の試合は麻衣のマッサージのお陰で変な怪我もせずに楽に試合が出来たと思う。
しかし……負けてしまった時はどうなるんだったっけ……
『田畑先輩っ。約束ですよ~。僕が勝ったから麻衣ちゃんはいただきますからっ』
『……そんなのは本人の意思の問題だろ。俺がどうこういう話じゃねーし……』
負けたのは悔しいが、約束は約束だ。リベンジマッチでも僕が勝ったら麻衣ちゃんは頂くと言われていた。
その言葉が彼女の本心かどうかは分からないが、今のやり取りでは冗談ではないらしい。
『じゃ、麻衣ちゃん。勝利のキスを僕にちょうだい』
柿崎ちゃんはへらへら嬉しそうに微笑みながら俺の隣に立っていた麻衣の手首を掴んでいた。
勿論嫌がっている様子を見せている麻衣を見て、俺の中で何かの糸がふっつり切れた。
『ふざけんなっ!男装女子に麻衣はやらんっ!!俺の大事な妹なんだよ!!』
『威勢だけは立派ですよ田畑せ・ん・ぱ・い。いつでも相手になりますから、ちゃんと羽球続けてくださいよ~?』
今日は我慢しますと言いながら他の後輩女子を引き連れて去っていく柿崎ちゃんの背中はまるで男のようだった。
本当に、女子高上がりの女子って逞しい……だからモテるのか。
そんなやり取りを試合後にしていたわけなのだが、家に帰るまでの間、麻衣は俺と一切口を利かなかった。
それもそうか、俺が負けてしまったせいで、また明日からLINEで柿崎ちゃんからの口説きが始まるかも知れないんだし。
「……ごめんな、麻衣」
アパートの鍵を開けて先に中に入った麻衣の背中にとりあえず詫びる。
ぴたりと止まった麻衣をすりぬけて俺は靴を脱いで先にあがった。
「折角麻衣は俺の為に毎朝早くから付き合ってくれたのに……兄ちゃんカッコいいとこ見せられなくてごめんな」
「……ちがう」
何か麻衣が言ったような声がしたが、俺には聞こえなかった。
久しぶりに沢山汗をかいてしまったのでポロシャツがじっとりしていた。先に風呂に入ろうと思い、シャツを脱いだ瞬間、背後から麻衣が抱き着いて来た。
って……!おれ、汗でべっとりしてるし、めっちゃ臭いんですけどっ!?
「ま、麻衣……?」
「……兄貴、汗臭い」
「だから風呂に入ろうと思ってんだっつの!っつ~か麻衣ちゃん、いっつも俺にそればっか……」
麻衣には小さい頃からキモイ、臭い、こっち来るなとか酷いことを散々言われ続けてきたので、今更汗臭いと言われても全く動じない。
いつもの勢いで殴りかかってくるかと思い少しだけ腹筋に力を入れてみたが、嵐の前の静けさなのか、攻撃は一切来なかった。
「麻衣?」
「…………ありがと」
「ま、麻衣ちゃんが、俺に……俺にお礼を言ってくれるなんてっ!?」
感動した俺がくるりと身体の向きを反転して麻衣に抱き着いたら、それはそれで嫌だったのか、俺の想像通り強烈なストレートパンチが飛んで来た。
流石に裸の状態で直撃を食らった俺は、女とは思えないそのパンチの破壊力に腹を押さえて膝をついてしまった。
……柿崎ちゃんには勝てなかったけど、麻衣の心はちょっとだけ掴めたんだろうか?
麻衣はどうして俺に羽球の試合やらせたかったのか、その真意はちょっと言葉が少ない彼女しか知らない。
男装女子に麻衣はやらんっ!!俺の大事な妹なんだよ!!
――まさか、その偶然口をついて出た言葉が麻衣をこの上なく喜ばせたということを、俺は全く知らないのであった……――