第七話 「妹がヤンデレ疑惑なんですけど」
「忍~聞いたぞ、お前柿崎ちゃんに喧嘩売ったんだって?」
友人の雄介がニヤニヤしながら俺に話しかけてくる。
一週間後に迫ったリベンジマッチの所為で、毎朝早くに麻衣にケツを叩かれ無理やり起こされて、3キロの走り込みと、公園での素振りと軽い打ち合いをしていた。
麻衣は本当に羽球が好きなようで、俺に付き合った後は自分の朝連もあると言うのに元気に学校へ行っていた。
まぁ、久しぶりに早起きして超健康的に過ごしており、以前より3kgも体重が落ちた。
さらにありがたいことに生活スタイルが良くなったのか、以前よりも低血圧の症状が軽くなった気がする。
「そうそう、雄介。ひとつお前に文句がある。柿崎ちゃんは男だったぞ?」
雄介の間違った情報の所為で俺はあやうく男にドキドキなんてしてしまった。
……冗談じゃない。俺は普通に可愛い女の子と恋がしたいってのに。
こいつのつまらん悪ふざけの所為で道を踏み外すとこだった。
「は?洸ちゃんだぞ」
まだ言うか。雄介は何馬鹿なこと言ってんだ?って顔で俺の方を呆れた顔で見つめてくる。
「がちで男だって」
「……お前、ちゃんと確認した?だって、柿崎ちゃんって麻衣ちゃんと同じ中学校出身だろ?」
……
……
早とちりな俺乙。
そうだ、麻衣の行ってる学校はS女学院。立派な『女子中学校』だ。
男がいるわけがない。それに、スコート履いてないからって女じゃないって決めつけるのは確かに俺がおかしい。
あぁ、雄介はわざわざそんな優しい正しい情報をくれたというのに俺って奴は……
思い切り男と勘違いして俺は彼女に対してちょっと引いた態度をとってしまった。
だってオカシイだろう。麻衣に何度も告白って…そんなに麻衣がいいのかっ!?
そんな不毛な恋愛したいんだったら「麻衣じゃなくて俺とどう?」って言ってやりたい……!!
「……俺は女子にも勝てないくらい腕が落ちたのか……」
「ははっ。柿崎ちゃんにもし勝てたら告白でもしてみたら?」
他人事だと思って完全に傍観者モードの雄介は適当な返答しかくれなかった。
あ~でも…麻衣が女と付き合うくらいだったらそれは妨害してもいいと思うのは俺だけだろうか?
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「真里菜様!お願いっ。俺にもちょっとだけ練習させて」
中学の頃からの付き合いのある羽球部の部長の真里菜に俺は両手を拝むポーズで可愛くお願いをしていた。
流石に今の時期どこの部活も必死に練習しているので、グラウンドやコートを貸してくれなんて我儘はいえないが、今の練習量で柿崎ちゃんに勝てるとは到底思えない。
というか、ブランクあるのに現役にこの練習量でガチで勝負しかけたら失礼だ。俺もスポーツマン精神くらい持ち合わせてるんだから、一応時間がある間は練習したいと思う。
俺の本気の気持ちを悟ってくれた真里菜ははぁ、と小さなため息をつきながら体育館の隅を指さした。
「はぁ~……こっちも高体連あるんだから、コートは部員に開けてね。角の一角だったら自由にしていいから」
「さんきゅ~。んじゃ、ちょいとお邪魔します」
俺は体育の授業で使っているジャージに着替えると後ろで黄色い声が上がっていた。
誰か来たのかと思って慌てて振り返ると、俺の背中を見ていた部員達が集まってきている。
「田畑先輩っ!も、もしかして麻衣ちゃんから羽球の許可が下りたんですかっ!?」
「……は?」
「先輩の華麗なプレイがまた拝めるなんてぇぇっ!!私諦めないで良かったっ!」
「洸ちゃんと試合するんですよねっ!?超楽しみにしてますっ!!」
彼女達がどうしてそんなことを言っているのか分からない。
おまけに、先日俺と試合をした柿崎ちゃんがこっちの視線に気づいて満面の笑みで手を振っている。
一瞬だけ俺の周りに発生した女子の輪は、真里菜が手を叩いて練習しなさい!と言ったらすぐさま練習へと戻っていった。
残された俺は制服のズボンもジャージに履き替えて上のジャージは軽く袖を捲る。
何だったんだ。彼女いない俺にとって幻のような光景だった……
しかし今年の新人は可愛い子多いなぁ。柿崎ちゃんと言い、S女学院からうちに来た子レベル高いんじゃないか?と思う。
俺が少しへらへらしながらラケットを選んでいると背後から重いため息が聞こえて来た。
「……あのさぁ、着替えるのはいいんだけど…せめて男子更衣室使ってよね、あんた意外とモテるんだから」
「えっ!?真里菜様、それって超初耳なんですけど……?」
「う~ん……とりあえず、今日ここで練習したってのは麻衣ちゃんに内緒にしておいた方がいいよ?」
また麻衣の名前が出る。一体みんな何を知ってるんだ?
S女学院で麻衣が一体どういう学生生活を送っていたのか俺は知らない。
だが、田畑という苗字を聞くとS女学院出身の子はみんな俺を恐れて近づかない。
謎の多い状態は変わりなかったが、俺は真里菜のありがたい配慮で体育館の隅で一人素振りと基礎練習を続けて時々休憩をしている羽球部の補欠の子と色々話をさせてもらった。
あぁ、やっぱり羽球最高っ!!せ、青春を感じる……もう一回やろうかな~羽球。今ならうるさい顧問もいないし。
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俺は久しぶりに羽球で充実した練習をした上に、同年代や後輩の可愛い女の子とたっぷり話が出来てほくほく幸せ気分で帰宅した。
「たっだいま~」
ご満悦で帰宅するとキッチンに立っていた麻衣が包丁を持ったまま玄関までやってきたので流石の俺も焦った。
えっ……えっ!?
「……兄貴、私との朝練習だけじゃ不満?」
「ち、違うっ!ま、まず落ち着いて話をしようっ!!な?な?とりあえずそれ置いてこいよ」
「……今日、洸先輩以外の女と沢山喋ってたよね?」
――どうして知ってる。ってか、誰かあの場の人間が麻衣に情報をリークしたってことか!?
女子は本当に口が軽いから怖い。誰が繋がってるかなんて考えたくないが、あながち間違ってもいないから否定もできない。
それよりも、先ほどまで絶対魚を切っていたその包丁にくっついてる血が怖いんですけどっ!!
俺はこのまま麻衣に殺されるんじゃないかという一抹の不安を覚えて思わず生唾を呑み込んでしまった。
背中はドンとアパートの冷たいドアについたままだ。
麻衣は無表情のまま、俺にずいっと近づいてその持っていた包丁を俺の頬にぴたりと当てる。
秋刀魚の腹ワタを取っていたのだろう、ちょっと生臭い匂いがつんと鼻腔を突く。
こ、こえええええっ……
……麻衣ってこんな子だったっけ?
確かに表情の浮き沈みは少ないし、分かりにくい点は多いけど、俺に刃物を向けるなんてこと今まで一度も無かったはず。
小首を傾げながら、麻衣は無表情のまま俺に低い声で、
「……兄貴、明日も私と朝練するよね?」
と訊いてきた。勿論それを断るなんてことは出来ない。
「す、するする~。勿論、麻衣ちゃんとだけだから。な?な?」
引きつった笑みを浮かべながらそう即答すると、麻衣は何か納得してくれたようで、そう……と一言だけ言ってキッチンに戻っていった。
麻衣の背中を見送りながら、俺はずるずると玄関に座り込み、思わぬ迫力に漏らしそうになったのは言うまでもない。
――俺はこの日初めて、麻衣がちょっとだけ俺に対して異常な気持ちを持っていることを知った。
……羽球に邪な気持ちを持ったのは事実だが、リベンジマッチが終わったらこの羽球への想いは封印しようと心に誓う。