番外編 Side麻衣「だっておにいちゃんだから何でも知っているんだよ?」
私は田畑 麻衣。セント・マリア女学院に通うごく普通の中学2年生。
黒いセミロングストレートの髪に、目つきが悪いと言われている父さん譲りの切れ長の一重。学業は常にトップ5圏内。
運動は兄貴の影響で羽球部に所属。1年の時からその腕を見込まれて現在エースとして活躍中。
勿論S女は完全な”女子中学校”なので、クラスには女子しかいない。
思春期特有の彼女達の話題は、最近のドラマや流行のファッション、好みの異性のタイプなど様々だ。
――けれども、私はどれにも一切興味がない。私の興味の全ては、兄貴である忍のことだけだ。
1年の時に多少会話をするようになった仲間から、半強制的にLINEとSNSのグループに入れられたものの、結局読むだけでスルーしていたら少しずつ仲間外れにされていった。
それはこのエスカレーター式の女学院にとって、2年になっても全く変わらない。
クラスメイトから浴びせられるひそひそ声は私の悪口。聞こえるように言ってくれて逆に清々する。
……別にこんなことは気にすることなんて何もない。私には、大好きな兄貴がいる。
兄貴だけは、私を絶対に裏切らない。家に帰り、夕飯の支度をしていると帰ってくる大好きな兄貴。
だから、私は幾ら虐められても気にしない。
兄貴は帰宅部のくせに最近は意外と早く帰ってくるから、私は正直羽球を続けるかどうか躊躇っている。
元々は格好いい兄貴の背中を追い求めて始めた羽球。
でも、そんな兄貴が羽球をやめてしまったのは、私の酷い独占欲のせい。
「……麻衣ちゃんって、好きな人いるの?」
「いるよ」
いつものようにリーダー格の女にいつも同じ質問をされる。大体は無視を決め込んでいたのだが、面倒になって返事をすることにした。
勿論、大して興味なんて無いくせに、彼女は嬉しそうに目を細めて私の机の前で仁王立ちしている。
これは、答えないと退けないという合図だ。本当に面倒くさい。スルーしても答えても結局一緒か。
「ねぇねぇ、どんな人?」
「兄貴」
端的に事実だけ伝えると、その場の空気が5秒くらい止まる。
その後にリーダー格の女とその取り巻きが顔を見合わせてマジか?という顔をしている。
「あははっ。何それオカシイよ。今時ブラコン?」
嘲笑うその声が耳障りだった。――何とでも言えばいい。私にとっては兄貴が全て。
その後もリーダー格の女に対して素っ気ない返答を続けていたら虐めは少しずつエスカレートしていった。
私の持っているものが少しずつなくなっていく。
自分が肉体的に傷をつけられるのであれば別に全く困らないのだが、女子の虐めで厄介なのはすぐに物を隠したり捨ててしまうことだ。
私の家は裕福な家庭ではない為、消しゴム一個でも大変貴重だ。そんなのは当たり前か……
今日は長年愛用している筆箱が見つからない。……昨日忘れて帰ってしまったことを今更ながら悔やむ。
――やはり今度から学校に物を置くのはやめよう。そう思い帰ろうとした瞬間、3階の窓から水をかけられた。
ぽたぽたと髪から滴る雫を見つめて私は目を細めた。――今度は制服を濡らされる…か。
……参った。クリーニングなんて、お金がかかってしまう。
今まではジャージを濡らされるだけだったので、洗濯で事足りたのに。
クスクスと頭上から楽しそうに笑う女子の声。教師に見つからないように証拠隠滅を繰り返す彼女達。
それに、女子中学はハブられると面倒だからという理由で、教師達はだんまりを決め込んでいる。
学校の中で私を守ってくれるものなんて何も無かった。
それでもいい。
幾らここで虐められても、家に帰ったら兄貴がいる。
それだけが私の支えで、それが全て。
私は悪戯な虐めを繰り返す彼女達を一瞥し、部活に行く気も萎えてしまったので、濡れた制服を整える為に帰路を辿った。
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いつも帰宅するのは私が最初なので、アパートの鍵は閉まっていることが多い。
今日に限って鍵穴に差し込んだ感触が違っていた。まさかと思い玄関のドアを開けると、無造作に放置された兄貴の靴が転がっている。
――タイミングが悪い。どうして今日に限って兄貴がいるのだろう。
私は見つからないように濡れた制服を脱ぎ、こっそりアイロンを持ち脱衣所へと向かった。
兄貴の姿がリビングになかったところを見ると、多分寝室で漫画でも読んでいるのだろう。
これ幸いにと今のうちに制服を乾かしてしまえばいい。そう思い脱衣所でアイロンのスイッチを入れるとふと目の前に影が映った。
驚いて後ろを振り返ると静かに怒っている兄貴の顔がある。
「……あ」
「麻衣、どうしたんだ一体?……誰にやられた」
白いタンクトップに、下着姿という情けない姿で兄貴と対面しても、裸に近い格好を見られた恥ずかしさより、この虐めの証拠隠滅を見られたことの方が辛かった。
それに、兄貴は薄々勘づいている。私がこうやって何度ももみ消してきた女子の陰湿な虐めを。
「……ちょっと、転んで泥がついたから…洗ってたの」
持っていたアイロンを一度台に置いて俯いていると、頭の上からばふっとトレーナーがかぶせられた。
ぶかぶかで大きいそれは、私のものじゃない。
恐る恐る顔を上げると、兄貴は何も言わずに私の頭をくしゃりと撫で、今置いたばかりのアイロンを奪い取る。
そしてそのまま洗面所に置いていた制服をもってリビングに行ってしまった。
唖然と佇む私を残して、制服をリビングのテーブルの上に敷くと不器用な手つきでアイロンをかけはじめる。
「……こういうのって、母さんが得意なんだよな~。兄ちゃん下手くそだけど赦せよ」
「兄貴……」
「なぁ麻衣。――泥がついたのって、今年に入ってから10回目だよな。今度泥つけたら隠さないできちんと俺に言えよ?」
……10回目。なんだ、知られてたんだ。必死に揉み消してたのに。
兄貴は、私が虐められていることについては一切言及してこない。
その背中は何も言わないけど分かっている。
そしてそれを追及しても私が絶対に口を開かないことも知っている。
だから、何も聞いてこない。
それが、兄貴の優しさ――
私は涙を堪え、震える声で精一杯の強勢を張った。
「いつものことだし……ドジっただけだから。別に兄貴に言う必要なんてないもん」
「ははっ……麻衣はおっちょこちょいだな。何度でも転んだっていいから。家に帰ってきたら俺が側にいるからな」
兄貴が好き。
兄貴が好き……
でも言えない。
言ったらダメ。兄妹の関係で、これ以上私が口を開いたら何かが壊れてしまう。
頬を涙が伝い落ちた。ぱたぱたと落ちる涙を悟られたくなくて、私はいつものようにキッチンに立ち、母さんの代わりに料理をする。
「麻衣~!できたぞ。兄ちゃん初めてアイロンかけたけど、意外に上手くねえ?」
満面の笑みを浮かべながら、私の背中越しからそっと抱き着いて完成した制服をぴらぴらと動かして見せてくる。
変な折り目はついてるし、くっきりとアイロン線が入ってる。――これはどう見てもやり直しだ。
はぁと小さなため息をついて私は兄貴から制服を奪い取り、再びリビングのテーブルにそれを敷く。
「……兄貴、下手くそ。もういいよ何もしなくて」
「ちぇっ。兄ちゃんも麻衣の役に立てると思ったのになぁ」
ソファーにどっかりと座りながら不貞腐れている兄の、その気持ちが嬉しい。
何もしなくていいから。
ただ、私の側に居てくれれば十分……
大好きな忍。
ずっと、私の側でこうやって笑っててほしい。




