第20話「景品のくせに口出ししちゃいけないか?」
S女学院エースの麻衣と、T高校万年補欠の栞との練習試合は何処から情報が流れたのか知らないが、日曜日だと言うのに何かの大会のような騒ぎとなっていた。
俺は景品として二人のベンチの中間に位置している。どうやら、どちらかにひいきしないようにという計らいらしい……
……大体、麻衣にとっては兄貴である俺を景品にしたって全く利益なんて無いだろう?それに栞だって――……
「よろしくね?麻衣ちゃん」
「こちらこそ……」
二人は不敵な笑みを浮かべながら固い握手を交わして互いのポジションに向かう。
麻衣側のベンチには柿崎ちゃんが助言役として座っており、栞の方には真里菜が座っていた。
お互いの得意・不得意を知っている相手だからある意味厄介だ……
しかし、麻衣も柿崎ちゃんも多分栞がどの程度羽球が出来るのか多分知らない。
彼女は補欠であり、一度も試合に出た事が無いのだから……
笛の音と共に、栞のサーブでゲームがスタートする。
身長が高い彼女が繰り出すサーブは補欠と言う割にかなり切れがあった。
麻衣も腕を大きく振りながら彼女のシャトルを受ける。
ラケットに感じる衝撃が思ったよりも重く、僅かに顔を顰めていた。
「……やばいな」
俺はゲームの流れが完全に栞ペースであることを最初の1セット目から悟っていた。
麻衣は短期決戦に持ち込もうとしており、動きは早いが、左手の骨折の影響があって不意に落ちるシャトルに対応しきれていない。
普段の麻衣からは到底考えられない凡ミスがあり、先に11点を取ったのは麻衣だったが、その額に滲む脂汗のようなものは隠しきれていない。
景品云々の話よりも、兄として妹のこの無意味な試合を止めさせるべきか。
きっと負けず嫌いな麻衣のことだから、俺が割り込んで試合を止めさせたら確実に不貞腐れるだろう。
休憩を挟み、再度スタートした試合も流れは栞の方に向いていたが、確実に点数を重ねた麻衣が先に1セット先取した。
客席側からS女のエース強いと大歓声が上がる。栞はその声に軽く頬を膨らませていたが、麻衣の異変にいち早く気づいて少しだけ口元を緩ませている。
「麻衣ちゃん、約束。忘れないでね?」
「……はい」
「私が、勝ったら、忍とのデートでもうちょっかいかけないで?」
「……私が勝つから、その約束は無効です」
麻衣はもう一度きつくラケットを握り、ズキンと感じる左手の違和感に再び顔を顰めた。
まだ医者から激しいスポーツは控えるようにと言われたばかりだ。それなのに――……
この試合だけは負けたくない。
その強い意思だけがふらふらな麻衣を突き動かしていた。
2セット目は完全に栞ペースでゲームが進み、遠くまで飛ばされたショットを拾うのに麻衣が左半身に負担のかかる動作をするとさらに動きが鈍くなる。
額から流れ落ちる脂汗は酷くなっているように見えた。
俺はぎりっと唇を噛みしめながら今が止め時か悩み、麻衣のベンチにいる柿崎ちゃんにジェスチャーでタイムを取らせた。
変なタイミングでタイムをとった柿崎ちゃんを訝し気な顔で見つめていた麻衣はタオルで汗を拭いながら柿崎ちゃんにどうしてタイムを取ったのか目で訴えていた。
「……麻衣、棄権しろ」
俺は中立の立場だったが、居ても立ってもいられなくなり、思わず麻衣にそう声をかけていた。
「どうして?」
「……左手、すげえ痛いんだろ?」
ベネット骨折の後、ピンニングして固定して――確か2ヶ月くらいは安静だったはず。
筋力だって相当落ちてるだろうし、何よりも羽球は身体の軸が大切になる。
右手でラケットを持ってるにしても、一瞬で勝負が決まるこの試合は、両足、両手のバネが安定していないとシャトルに対応できない。
俺は麻衣の細い左手首を取り、その傷痕を確かめた。手首に巻いているリストバンドは少しでも負担を軽減する為だろう。
だが、そんなものを巻いていたとしても、あの額から伝う脂汗に、いつもより左側へのシャトルへの対応の甘さ、変な姿勢でシャトルを拾うせいで、肉体的負担は通常の倍だ。
しかし強気な麻衣は俺の心配なんて不要だと手を振り払ってきた。
「兄貴に関係ない。ほっといてよ」
「関係ないわけねぇだろっ……お前は、こんな試合だけで一生を失うつもりかっ!?」
思わず荒げてしまった声に会場がしんとなる。一気に注目を浴びた麻衣は気恥ずかしかったのか、俺の顔面をラケットでべしっと叩いてきた。
その後に汗のついたタオルをわざと俺に投げて指を1本だけ立ててふふっと微笑む。
「栞さんに勝ちたいの。別に、兄貴の為じゃないから勘違いしないで」
「そう…なのか?」
「これは、女の意地なの。ただそれだけ……」
麻衣の考えが良く解らなかったが、俺はそのまま黙って試合の流れを見守ることにした。
2セット目は栞が取り、いよいよ勝負の3セット目に移行する。
先の11点は麻衣が取った。残り20点――
しかし、無理に負担をかけてきた麻衣はふらふらで、立っているのもやっとなくらい右足がぐらついていた。
殆ど気力だけで戦っているようなものだ。その姿を黙って見つめていた栞が重い口を開く。
「……麻衣ちゃん、そんなに私に忍を取られるのが嫌?」
「勘違いしないでください……別に、兄貴のことじゃなくて…ただ、試合したかったから……」
揺れる視線は試合を真剣に見つめている忍に注がれていた。
その麻衣の目は恋する乙女だ。多分、その視線の意味に気付いているのは、忍と麻衣以外の人間だけ。
栞はふふっと微笑むとこれは落とせないなと笑い、高くシャトルを上げた。
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「だから無理すんなって言ったのに……」
「……うるさい……」
――S女学院のエース麻衣と、T高校の栞との戦いは、1-2で栞が勝利を収めた。
3セット目はほぼ接戦で、最後に麻衣が左足を捻って転んでいなければ勝負は変わっていたかも知れない。
けれども、負傷している麻衣の大健闘に惜しみない拍手が送られ、俺は負けたけど頑張った麻衣の頭をぽんと撫でた。
景品が負けた方の応援してる、と栞に不貞腐れたが、今日だけは麻衣ちゃんに貸してあげると言われたので、俺はその気持ちを有り難く汲んで麻衣を連れて帰ることにした。
足を捻った麻衣は上手く歩けなかったので、帰り道を昔のようにおんぶして歩く。
左足の捻挫は大したことではないのだが、今の弱った麻衣を少しでも感じていたかった。
それに、珍しいことに麻衣もおんぶに対して拒否することもなく、大人しく今背中に乗って涙をこらえている。
「……いい勝負だったな~。麻衣が本調子だったら勝てただろ」
「そんなことない……」
「麻衣が羽球してる姿はカッコいいな。あれは柿崎ちゃんが麻衣を追いかけるのも、ちょっとだけわかる気がする」
ははっと笑いながらそう言うと、麻衣は俺にしがみついていた手に少しだけ力を込めてきた。
ぽすんと肩口に頭を乗せて、消えそうな小さな声で「嬉しい…」と言う。
「そういえば、今日は俺の背中に大人しく乗ったな?いつもみたいに拒否されるかと思ったよ」
「……だって兄貴より私の方が汗くさいよ…きっと」
怪我をしているせいか麻衣がしおらしい。
全く、いつもこうやって大人しく可愛い姿を見せてくれるんだったら俺ももっとお兄ちゃんとして色々世話を焼いてやるのに。
意地っ張りで、負けず嫌いで…それでいて俺の一挙一動をいちいち気にする……
どうして麻衣はこうなったんだろう。まぁ、考えても無駄か。
俺は少しだけずり落ちた麻衣の姿勢を直してよ~しと気合いを入れた。
「帰ったらまず風呂でも沸かすからな。麻衣はゆっくり着替えて待ってろよ」
「……うん」
背中に大人しくおんぶされている麻衣の表情は分からなかったが、その返答は酷く穏やかに聞こえた。