第⑮話 「兄貴のこと、嫌いじゃないもん」
次の日曜日――栞は麻衣と同じ羽球部のメンバーとの親善試合に心を打たれたようで、俺に練習付き合ってと声をかけてきた。
勿論、スポーツが絡むデートは大賛成だ。俺はデートの服装ではなく、多少動きやすいような格好に変えた。
そして待ち合わせよりも20分早く目的地に到着。ここで今日のデートプランを再度おさらいして準備万端。
「忍~お待たせっ」
「いや、俺もさっきついたとこ」
そんな言葉、言ってみたかったんだあ。
前回は初めてのデートで緊張してそんなこと言えなかったけど。
じゃあ行こうか?と俺は腕を差し出すと栞は笑顔でしがみついてきた。
胸の感触が肘に当たってちょっと変な気分になってしまう……
いかんいかん……まだ栞とは正式な恋人ではないのだ。あまり焦ってはプランが失敗してしまう。
俺はちょっと邪な感情を隠しながら、とりあえず栞が羽球練習用のショーツが欲しいと言うので、スポーツ用品店へと足を向けた。
「うわぁ、これ可愛い」
羽球部はテニス部のスコートと違って短いハーフパンツを愛用している。だが栞は何故か補欠である立場をいいことに可愛いスコートを履いていた。
はっきり言ってちらちら見えそうなパンツに俺は視線をどこに持っていったらよいのかわからなくて困る。
彼女がハーフパンツをお買い上げしてくれるんだったら俺は喜んで練習に付き合いますとも。
「ねぇ、忍。ピンクとブルーどっちがいいかな?」
「う~ん……栞だったらピンクじゃないかな……」
女の子のお買い物は意外と長い。麻衣だったらこういう店に来ても即決なんだけど……
あ、何だ今俺思わず悪い方に考えちまった。そりゃあ男と違って女だもんな。栞も納得いくもの買いたいだろうし。
しかし、俺も気の利いた返事をしてやれなかったのは失敗かなあ。
そう思いながら羽球の出来る場所を探してアミューズメントの中にある羽球コーナーへと足を向ける。
俺と栞が2時間プランで予約した隣のコートに、ふと見知った顔があった。
な、何で麻衣がここにいる……しかも、柿崎ちゃんと試合してるしっ!!
「あっ。田畑先輩。どうしたんですかぁ~こんなトコで」
柿崎ちゃんは相変わらず俺に挑戦的な目を寄越してきた。麻衣と一緒にいる姿を見せつけたいのだろうか?
それはそれで別に構わない……だって俺にも栞という彼女<候補>が出来たのだから。
俺は弘樹みたいなシスコンじゃない。可愛い彼女が出来れば麻衣にだって男の一人や二人ついてくるだろう。
「お、麻衣に柿崎ちゃん。お前ら何してんだ?」
「見ての通りですよ。高体連前ですし、麻衣ちゃんに手合わせしてもらってたんです」
「へええ……そ、そうなんだあ……」
俺は二人の打ち合いを見ているとまるで別次元のようにさえ見えた。
栞は先ほど買ってきたハーフパンツに着替え、どう?と言いながらくるりとターンして見せる。
うんうん、やっぱり栞は可愛い。ツインテールが風に揺れてピンクのパンツにシャツがまた似合ってる。
俺は少しでれっとした顔で羽を手の中で遊ばせていると、左肩の横を強い風が通り抜けた。
「あ、ごめん兄貴。手が滑った」
絶対わざとだろ今の。
俺は麻衣の軽い殺意の込められた羽を拾うと反対側のコートに向けてラケットで打ち返す。
ありがとうと一礼した柿崎ちゃんも確信犯のようにニヤニヤ笑っていた。
何だあいつら、俺と栞が趣味レベルの羽球やってんのがそんなに滑稽なのか?
「いっくよ~忍」
「いつでも」
ラケットを握り直して精神を集中させる。栞だって試合に出たいから俺に練習付き合ってって言ってくれたんだ。
その栞の気持ちを考えたら別にあいつらにどう思われたって構わない。
しかし俺と栞の打ち合いを時々横目で見つめていた麻衣は集中力に精細を欠いていたらしい。
「危ないっ!!」
柿崎ちゃんの声とほぼ同時に、麻衣はスマッシュを避けることが出来ず、左手首に190キロ近い速度の至近距離の羽を食らった。
骨に響く鈍い音と共に、麻衣が持っていたラケットが床をざぁっと転がっていく。
あまりの激痛にしゃがみこんだ麻衣に俺は慌てて駆け寄った。
「麻衣……大丈夫か?」
「……大丈夫」
「んなわけねぇだろ。顔真っ青だし。ほら、病院行くぞ」
「いいよ……1人で行ける」
俺も昔羽球の直撃を手首に食らったことがあるからその痛みは知っている。
動体視力が勝負なこのスポーツは、テニスよりも柔らかく見える羽球だが、その強烈なスマッシュは壁もぶち抜ける。
まして、高さのある柿崎ちゃんのスマッシュを直接食らったのであれば確実に骨にヒビが入っているだろう。
既に立ち上がることも出来ない麻衣を見かねて、俺は栞に2コート分の清算を依頼した。
栞は心配そうに側に居てくれたが、もう今日はデートできないねと笑いながらまた来週と言って先に帰っていった。
俺は彼女の後ろ姿を見送ったところで、座り込んだままの麻衣の前でしゃがみ、背中を向ける。
「……ほら、麻衣。俺の背中乗れ」
「あ、歩ける……から」
柿崎ちゃんは麻衣に怪我をさせたことで顔色を無くしている。
俺は柿崎ちゃんには麻衣は大丈夫だからと告げて、無理やり麻衣を抱き上げた。
「あ、兄貴…!?」
「口論で遊んでる場合じゃねーだろ。腕痛くて吐き気すんだろ。そんなにおんぶが嫌かよ」
「そりゃあ……!」
俺は、麻衣がどうしてそんなに嫌がるのか理由が全く分からなかった。
会いたくないんだったらどうしてわざわざ俺が栞とデートで行く場所に先回りしているんだ。
麻衣が一体何を考えているのか分からなくて苛々する。
「俺のことが嫌いだったらつけまわすんじゃねえよ」
「……嫌い、じゃない」
「はぁ?」
「兄貴のこと、嫌いじゃないもん」
嫌いじゃないのに、おんぶは嫌。
――じゃあどうすりゃいいんだ俺はっ!!
「とりあえずタクシーまではこのままで行くからな。病院の中入ったら車椅子借りてくるから。それまで大人しくしてろ」
「……うん」
麻衣は相当痛みを堪えていたのだろう。
俺に抱き上げられて安心したのか、気丈な眸にはうっすらと涙が浮かんでいた。
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病院に行った診断名はベネット骨折だった。
勿論手術適応とのことで、1泊2日での手術プランであり、即入院も可能とのことだったが、麻衣がどうしても今日は帰りたいと言ったので今日は家へ帰ることにした。
ギプス固定をされた麻衣の表情はかなり暗かった。そりゃあそうだ。大好きな羽球が出来なくなるのかも知れない。ましてこれから試合が近いのに自分が出られない。
「――麻衣、手術して、リハビリすりゃあまた羽球出来るから、泣くなよ?」
「……うぅっ……」
いつも気丈な麻衣に上手くかけてやる言葉が見つからない。
行きの病院はタクシーで行ったものの、帰りまでタクシーを使うにはちょっと財布が苦しかったので、俺は嫌がる麻衣を結局おんぶしながら帰路を辿っていた。
親父と母さんには麻衣が怪我して、今後入院するかもということと、今ゆっくり帰ってる途中だと言うことを電話で伝えたので何とか安心なのだが、麻衣のメンタルが心配だった。
何とか家についたところで俺はおんぶしていた麻衣をゆっくりと下ろす。心配そうに駆け寄ってきた親父と母さんに、麻衣は真っ赤な目で笑みを浮かべていた。
抗生剤を飲んで眠くなったのか麻衣は珍しくソファーでうたた寝をしていた。
俺はまさかな…と思いつつ、麻衣が怪我をした要因が俺と栞が楽しそうに隣のコートで羽球をしていたせいではないかと思うと、胸が痛くなった。
一体麻衣はどうして栞と俺が遊んでいることが気になるのだろう。麻衣だってもう中学2年だ。色恋だってあると思うし、俺なんて正直何も取り柄がない。
弘樹や雄介みたいにちょっとイケメンって部類でもないし、かと言って弘樹みたいに妹を溺愛してるかって聞かれたらそうでもない。
どちらかと言えば、雄介みたいに人並に性欲があって、女の子と普通にデートして、恋をしたい。
まさか麻衣がブラコンだなんて……あるわけないよなあ……
麻衣は俺に向ける視線は親父に似て目つきは強烈に悪いが、こうして眠っている顔を見ていると眠れる森のなんちゃらだ。
黙っていると本当に可愛いんだ俺の妹は――……って、そういう考え方がシスコンって言うのか?
「麻衣、こんなとこで寝ると風邪引くぞ」
「……兄貴……手」
「よしよし、布団で寝たら手ぇ繋いでやるから。歩けるか?」
痛みと今後に不安を抱えている麻衣の肩を抱きながら俺は雑魚寝している寝室に麻衣を連れていき、先に腕枕で寝かしつけた。
痛む左腕を胸元に置き、右手は不安そうに俺の手をしっかり握っている。
兄貴のこと、嫌いじゃないもん――
あの言葉は、どういう意味だったんだろう。
俺は、麻衣の足りない言葉の真意を探りながらそのまま眠りについた。