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クリムゾンワード  作者: 狭間野世界
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2

 王国と帝国。

 二つの国がいがみ合う大地、エルゼヘルン。


 かれこれ何十年も続いたいがみ合いは、擦り切れた糸が切れるように突如として戦争へ発展した。


 その最初の戦地となったのが、王国領ラウンデル。


 二つの国を隔てるガデル山脈の南、麓辺りの小高い丘の上に形成された小さな街だった。城壁さえ立てれば立派な城塞都市にも十分に成り得る立地だったが、あいにくラウンデルは城壁も兵士を駐留させる駐屯地もないただの田舎町だった。戦争状態に突入した両国は国境付近へと各々の軍を派兵する。王国軍は北はハザルーン城。南はマンバニ砦と大都市モルディスを前線とした。対して、帝国軍は国境を越え王国領へと迅速に進軍しラウンデルへ攻め入った。


 燃え盛る炎と、逃げ惑う人々。

 兵士達の笑う声に続く、悲鳴、奇声、断末魔。ラウンデルは一夜にして焦土と化し、その姿は以前の豊かなラウンデルの街とは程遠くなってしまった。遅れてやってきた王国の援軍は、その惨状を表す赤々とした焼け付く空を見て丘を登らずに撤退。近くのマンバニ砦へ入城する。


 マンバニ砦。

 人口一万という小規模ではあるが街としても機能している、いわゆる城塞都市だ。西の帝国領方面には大陸を走る二大河川の一つ、サンエルテ川が流れ大橋が架けられている。マンバニ砦へ進軍するにはこの橋を越えるほかはなかった。この橋を迂回しようとすれば、北へ大きく進み大都市モルディスへ続くミラル大橋を通るほかは、大きく南下し下流を抜けた上での大行軍を余儀なくされる。このサンエルテ川を利用した防衛策は王国にとって非常に有利に働くものだった。


 ラウンデルを攻め落とした帝国軍は、そのまま南東に位置するマンバニ砦を目指して進軍。兵力四千をそのまま残し、ほぼ無抵抗とはいえ一つの街を侵略したということで彼らの士気は上がっていた。その勢いのまま勇み足で進軍した彼らは、このマンバニ砦へ続く大橋で大損害を被ることとなる。


 かくして、ラウンデル侵攻から始まった第一次戦役は終結し、両軍は膠着状態となる。南の自然の防壁と、ハザルーン城の手厚い守りによって帝国軍は戦争直後の奇襲に失敗し痛手を負うも、それは王国軍とて同じであった。マンバニ砦前の大橋での戦いで、帝国軍四千に対し王国軍は七千で臨んだ。帝国軍に六割以上の大損害を負わせることとなったが、王国軍もその四割を失うという痛み分けに近いものとなっていた。ハザルーン城も、鉄壁を誇る城壁を破られ城内戦を強いられ辛勝はしたものの、設備の損害は大きかった。


 しかしながら、王国軍はマンバニ砦の防衛戦を自軍の大勝利として世論に流した。その噂を聞きつけ現在では近郊の民衆たちが数多く流入している。そのために、治安がお世辞にもよいと呼べるものではなくなっていた。住居の不足。労働者の飽和。物資の枯渇。問題は山積みだ。都市内の人口は三倍にまで膨れ上がり、その構造上狭く作られている都市部はどういった状況下なのかは容易に想像できるだろう。


 ノイ、ディエゴ、ネルの三人の子供達は、そのマンバニ砦を目指している。だが、彼らだけではマンバニ砦へ向かう決断は下せなかっただろう。彼らが瓦礫の街を捨てる決断を下すには、きっかけが必要だった。


 ラウンデルから西に広がる銀狼の森。ガデル山脈にまで連なる巨大な森で、その森は国境付近まで伸びていた。丘陵のほぼ半分を飲み込むようにして広がっているため、ラウンデルから少し西方に降りればすぐに森へ行きつく。ノイとディエゴは銀狼の森へたびたび狩猟のために入っていた。彼らの持つ短剣はそのためのものだ。帝国軍が捨てていったものや、まるで役にも立たなかった街の衛兵達から拝借した。彼らの体躯に合うような代物を見つけるのは容易ではなかったが、決してないわけではなかった。ただそれを見つけるには、焦土と化した街で焼け焦げた瓦礫と死体の山を漁るという半ば墓荒らしの真似事をしなければならなかったのだが。


 そうして短剣を手に入れ、意気揚々と森に入った彼らは知らなければいけなかった。

 まずは森の怖さ。獰猛な肉食獣は、子供がカットラスを振り回した程度では去ってはくれない。狩るなんてもってのほかだった。むしろ彼らが狩られる側にいるのだから。毒を持つ草花もそう。誤って食したとき、三日三晩腹を下し目まいが襲い死ぬような目にあっている。死に至らなかったことは幸運だった

 次に狩りは甘くはないということ。後も昔も標的はもちろん小動物。その小動物を狩るのに人間の足では追いつけないということに気付く。ましてや子供の体躯、丘の中腹という地形、森独特のでこぼことした地面。彼らは森を散策することすらやっとのことで、獲物と追いかけっこしようなんてのはまず無理だった。陰から近づこうにも、碌に水浴びすらしていない身体の臭気と敏感な五感に第六感を備えた小動物の前に数多くの敗北を喫し、その日の食事を逃すこともままあった。

 それでも全く狩れないわけではない。でなければ、彼らは一月も瓦礫の街で暮らしてはいられなかっただろう。そして、その狩猟という野性的な行動がある出逢いを生んでくれた。


 話は遡り三日前のこと。

 いつものように森へ入ったノイとディエゴは、前日に仕掛けていた罠の確認をする。これは彼らの知恵だった。作成したのはノイとネル。踏み抜いた板に反応して足をかけるくくり罠の一種だが、まったくもって粗雑もいいところで、かかったとしても成功率は五分より低いくらいだ。そもそもかかることが少ないため、この日もとりあえず見てみようかといった感じだった。


 罠を仕掛けた場所に近づくにつれ、唸り声を聞く。森には色んな音があることを理解していた彼らは、この音が何の音なのかを知っていた。


「ノイ、この音は」

「うん、きっと狼だね。ディエゴ、用心しよう」


 お互いに頷いて呼吸を合わせた。二人は木陰をうまく使って隠れながら、慎重に進路を確認して進む。狼には二人とも何度も手痛い目にあわされた。だからこそ、この慎重策は当たり前の行動だった。そうして森の中に進み、目当ての場所が見えるところまでやってくる。木や岩の陰になるように身を低くして、罠を仕掛けた場所を覗き込んだ。


「うお、すげえ大物だぞノイ」

「うん、初めて見るよ。すごく綺麗だね」


 凛々しくも儚く、その白く透き通るような毛並みをなびかせた狼の子供。まだ身体も小さく、子犬のような可愛らしさすらある。それでも、すでに獲物を食いちぎる牙を宿していた。必死に前足で地面を掻き、後足に引っかかった引っ掛かった紐から逃げようとしている。


「しっかしなあ、こいつは食えねえな」

「そうだね、もう少し育っていたらよかったのかも」

「銀狼だぞ。例え育っていても食わねえよ。ラウンデルに住んでたなら尚更だろう」

「あはは、この際そんな伝承は言いっこなしだよ。こっちは生きるか死ぬかなんだから。昔の人の言うことを気にしてても仕方がない。それに」


 ノイは少し顔に陰りを見せた。


「それにこいつらはラウンデルを護ってくれなかったじゃないか。護り神なんかいないんだよ。どこにもね」

「ああ、そう・・・だな」


 二人の少年が静かに狼の子供を見下ろす。その白く美しい毛並みは子供といえども健在で、近くで見るとより一層見とれてしまいそうになる。こちらを睨み付けて牙をむき出しに唸る姿勢は、まだ生を諦めない健気な反抗だった。


「牙、抑えといてくれよ。噛みつかれたらたまらねえ」

「わかった。紐、切っちゃっていいよ。どうせ新しい紐に変えるんだし」

「そうか、んじゃ切るぜ」


 ディエゴは腰に携えた短刀を抜こうとした瞬間だった。


「動くなよ」


 木の陰から声がした。野太く、冷ややかなその声は明らかにこちらを威圧する意図が汲み取れた。


「いけっ」


 ディエゴが静かに呟いて、短刀を少しだけ抜き紐を切る。自由になった銀狼の子は、小高い声をあげながら一目散に森の中へと駆けていった。それを見たかは知らないが、こちらを威圧してきた声の主が木陰からゆっくりと現れ地面の枝や葉を踏み荒らしながら現れる。


「驚いた。ガキ二人がこんなところで何をしてやがる」


 奥から現れたのは壮年の男。手には弓を持ち、矢を番えている。少年達が少しでも歯向かう姿勢を見せたとすれば、すぐに眉間を射抜こうという強い意思が男の鋭い狐目に宿っていた。茶色の短髪にハンチング帽をかぶり、ベージュの胴着の胸元には短剣が見える。厚い生地で出来たブーツの底が、小枝を折る音がした。それと同時に、男が口を開く。


「短剣を降ろせ。抵抗の意思の無いことを俺に示すんだ。ああ、両手をあげるんだよガキ共。そしたら俺も武器を降ろしてやる」

「ノイ、信用できるか」

「わからない、ここは従うしかないよ。見たところ、帝国の奴らじゃないみたいだ」


 ディエゴは無意識に短剣を構えていた。自衛本能だろう。突然現れた脅威に対抗するには余りにも頼りないなまくらであったが、彼らにこれ以上の武器はなかった。二人は一瞬顔を見合わせると、お互いに頷きあい腰に下げた鞘ごと短剣を地面に置いた。そしてゆっくりと両手を上にあげる。


「いい子だ。従順なガキは好かれるぜ。お前ら、どこから来た」

「ラウンデル」


 ディエゴが吐き捨てるように言う。それが気に食わなかったのか、男の顔が少々引きつったように見えた。しかしてそれも、ほんの一瞬。


「ラウンデル?ラウンデルだと?」


 男の表情は驚愕の色を隠せずにいた。


「お前ら、あのラウンデルの生き残りか。他にも生き残りはいるのか?」

「街に、女の子が一人。あんたはなんなんだよ」

「ディエゴ、あんまり刺激しちゃだめだ」


 ノイが小声でささやきながら肘で小突く。


「ああ、すまねえな。いきなり弓矢なんて向けちまって」


 男は引き絞った矢をゆっくりと戻し、弓を降ろした。それだけのことで、男との間に出来ていた緊張感が解き放たれたようにも思え、二人は若干気を緩めることができた。


「俺はサブナック。マンバニ砦から狩りに出てきただけの狩人だ。唸り声が聞こえたんでね。ここに辿りついたんだが、どうやら狼より厄介なシロモノに出会っちまったみたいだ」


 急に気さくに話し始める男はどこか不気味な印象があったが、二人にとって久しぶりに外の世界と触れ合ったような気がして嬉しかった。まるで野生に返ったかのような生活を送っていた彼らにとってサブナックはいい刺激だった。


「どうして狼を」

「この森に棲む銀狼は知ってるか。あいつの皮は高値で取引されるんだ。肉はまずまずだが、高級品の一端には入ってる。余すことなく売りさばける宝石みてえなもんだ。ああっと、もうそいつを取ってくれて構わねえ。お前らはどうか知らねえが、俺にはもうお前らに敵意を向ける気はないからよ」


 そういってサブナックは短剣を取るように促す。二人は短剣を手に取り、それぞれ元の位置に収めた。

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