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素晴らしき現世

作者: メル


 平安、京の都。

 魑魅魍魎が跋扈し、人々を恐怖の渦へと陥れたまさに妖怪の最盛期。異形のものの前に力なき者は恐れをなし、ただ祈りを唱えることしかできなかった。

 そして、数百年の時間が流れて時は平成。

 妖たちは時代の流れとともに少しずつ人々の前から姿を消していき、もはや今や妖の時代は完全に終わりを迎えた。今は人間の時代なのだ。

 けれど、妖たちの全てがその姿を消してしまったわけではない。そう、この平成の時代にも彼らは人間の影に隠れてひっそりと現代社会を生きているのだ。忙しく毎日を生きる現代人の目に触れることはない。けれどそう、生きている。

 かつて京の都を震え上がらせた魑魅魍魎は、八百年の時を経てもなお、この平成の時代でそれなりに自由気ままに人の世を楽しんでいるのだった。

 ただ、人間はそれに気づかない。



 **************************


 

 例えば月曜日の朝、学校への登校道。休日明けの仕事場への出勤途中。あいにくと空はムカつくほどの快晴だ。体調もそれなりに悪くない。雲ひとつない空を見上げていると自分は一体なにをしているんだろうかと無性にむなしい気持ちになってくる。

きっと誰しも一度は思ったことがあるだろう。このまま何もかもサボってどこかに行ってしまおうか、と。ただそれを誰も実行しようとはしないだけで。面倒くさいなあ行きたくないなあと思いつつも、大抵の人は半ば義務的にその足を目的地へと運ぶのだ。多くの人にとってサボるというのはそれなりに勇気のいることだ。


 だというのに、どうして自分はこんなところにいるのだろうか。

 忙しなく駅のホームへと吸い込まれてゆく人をぼんやりと眺めながら、改めて自分の置かれた状況にため息をつきたくなった。

 時刻は午前八時ちょっとすぎ。会社に行くためには八時前の電車に乗らなければ間に合わなかったのだが、不幸な偶然が重なって乗り過ごしてしまった。といっても十分程待てば次の電車がくる。出勤時間には間に合わないが十分程度の遅れならそううるさく言われることもないだろう。ちょっと謝れば済む話だ。

けれど、今自分は駅舎前のベンチに腰掛け、ただぼーっと目の前を行き交う人々を眺めていた。つまり、完全なるサボりというやつだ。


 やってしまったー、と思う。大学を卒業して今の会社に入って三年。今まで無断で会社を欠勤したことなど一度もなかったのに。今日に限って何でこんなことをしてしまったのだろうか。自分でもよく分からない。

 朝、目覚ましが鳴らなくて寝坊した。急いで家を出れば運悪く赤信号に引っかかりまくった。電車に乗ろうと思ったら目の前で乗るはずだった電車が出発してしまった。

 そして、何もかも面倒くさくなった。本当に何をしているんだろうか自分は。

 明日すごく怒られるんだろうなぁ、本当は今からでも行った方がいいんだろうな。

 そんなことを思うが、こうして駅の雑踏を見ているとそれも何だかどうでもよくなってくる。みんな何をそんなに忙しくしてるんだろうなぁ、と他人事のように思うのだった。

 携帯電話の電源はとっくに切ってある。ベンチに腰掛けたままどうにも動く気になれなかった。


 「やあ、お兄さん」

 と、突如隣から声が聞こえた。

 「お兄さんは行かなくていいの?」

 「……は?」

 あれー、と、その少年は駅の方を指さした。

 いつの間にか隣に人が座っていたことに全く気が付かなかった。一体どれだけ呆けていたのだろうか自分は。

 「……いいんだよ。君こそ学校はないのか」

 「学校?」

 高校生くらいだろうか。青いジャージに身を包んだ少年はなぜかきょとんと不思議そうな顔をした。そして「ああ学校、学校ね」と、何やらうんうん頷きながら楽しそうに笑った。そんな様子を眺めながら少し変わった子だなと思う。

 「僕はいいんです、あの、あれ、今日休みだから」

 「月曜日なのに?」

 「あー……何て言ったかな……なんとか記念日?」

 「もしかして学校の創立記念日とか?」

 「ああ、そうそう。そんな感じです。うん、きっとそれ」

 「ふーん……」

 仕事サボって、何で初対面の人間とこんな話をしているんだろうか。この少年も何でまたまた俺なんかに話しかけてきたんだろうか。

 「ねえ、あの人たちはどこに行ってるんですかね?」

 「この時間だし出勤ラッシュだろ」

 「出勤ラッシュ?何ですそれ?」

 「え?」

 「あ、ああいや。出勤ラッシュですよね、うん。なるほどなあ」

 「……みんなたぶん仕事に行ってるんだよ」

 「ああ、なるほど」

 みんな忙しそうですねぇー。と、少年は言った。変わっているというよりはどこか浮世離れしている感じがする。どういう人物なのだろうと少年のことが少しだけ気になった。

 「学校を終えると仕事をしなきゃいけないんでしたっけ。忙しいですね」

 「まるで他人事みたいに言うんだね」

 「まあ他人事ですし。なんでそんな忙しく動き回るんでしょうね。みんなもっとのんびりしたらいいと思いません?」

 「なんでって仕方ないんじゃないか。仕事がなきゃ食っていけないわけだし」

 「好きでやってるわけではないんですか?」

 「そりゃ好きで仕事してる奴もいるだろうけど……まあ大抵の人はのんびりできるもんならのんびりしたいんじゃないか」

 「そういうもんですか、難儀ですねぇ」

 「そういうもんなんだよ」

 人の波は途切れることなく駅のホームへと吸い込まれてゆく。この人たちは一体どんな目的を持って何を思いながら足を進めているのだろうか。


 「人の一生なんて短いのにねぇ」

 その幼い風貌に似合わない達観したようなことを少年は言った。その呟きはなぜかずしりと重く響いた。

 「君は、」

 ひらり、と風が吹いて一瞬目が眩む。いつの間にか少年の姿は消えていた。



 ****************************



 「ただいまー」

 「おう、おかえり。どこ行ってたんだ」

 「人間観察」

 「飽きないねぇお前も」


 小高い山を登って木々の中に隠れるようにしてひっそりと建つ小さな祠。その祠の傍に、いや、正確にはその祠に僕らは住んでいる。僕の言葉にぶっきらぼうに返すのはこの祠の主である僕の祖父だ。元々はこの山の神様であった祖父だが、時代の流れとともにいつからかこの祠に訪れる人間はめっきり少なくなった。今やその数は皆無といってもいい。人間の信仰によって形を得、人間の信仰の衰退によって力を失くしていった祖父は昔はそれなりに神としての威厳があったのだろう、今やすっかりただの口うるさいじじいだ。

 「住みにくい世の中になったもんだよ、全く」

 「まーた老人特有の懐古主義?やめてよね、年寄りが移る」

 「わしゃまだまだ現役じゃあほ」

 「はいはい」

 住みにくい世になった、それが祖父の口癖だ。勝手に祀り上げられ、勝手に離れていった人にやはり思うところがあるのだろう。祖父はこうして人や人間社会に対する愚痴をよく口にする。

 だが、信仰する者がほとんどいなくなったとはいえ祠を参る人が全くいなくなったわけではない。

偶々通りかかった人が、なんのけなしにこの祠を参ったりする。きっとここにどんな神が祀られてるかなんて知らないだろう。それでもあまり意味も分かっていないだろうに参る人はわずかながら時折存在するのだ。

 全く都合のいい、なんて文句を言いながらもお供えとして祀られた果物なんかをバリボリ貪っている祖父の姿はちょっと面白かったりもする。


 「なかなか悪くないよ、現代社会も」


 そうして祖父の決まり文句に対して、僕はいつものように返すのだ。


 了



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