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最終パート


三一


「母さん……」

 慧人が前に進み出て言った。

「ここへ来てはいけない──と言っておいたはずです」

 ヤワルジャ大佐は、なにかを言いかけた女護衛兵を押しとどめ、さきほどの厳かな顔から毅然とした軍人のそれに変わって言った。

「ここが爆発するまで、あと何分もありません。あそこにある弾道ビークルに乗りなさい。あれで行けば、地上まで三分とは要かりません。地上戦に備えて開発された緊急地中発進装置です」

「しかし──」

『乗りなさい。母の命令が聞けないのですか』

 抗弁しかけた慧人に、ヤワルジャ大佐が心話で言った。『さあ早く、そのひとを連れて乗るんです』

「博士、なにをしているんです。わたしたちと一緒に逃げましょう」

 アンヌが、ふたりの間の沈黙を訝って叫んだ。

「わたしたちは、ここに残ります。自分たちが苦労して築き上げた要塞の最期くらいは、わたしたち自身の眼で見届けてやりたいのです」

 ヤワルジャ大佐が、通常の会話に戻って続けた。「わたしは、いわばこの要塞のキャプテンでもあるのです。その責任者のひとりとして、要塞と運命をともにするのは、キャプテンとしての務めです。あなたがたは、未来の友に会えるでしょう。テルミア、メッシナ、このふたりをビークルに乗せなさい」

 そのことばが発されるが速いか、男の背丈ほどもあろうかと思われる二名の護衛兵がつかつかと寄って来て、ふたりをビークルのあるところへ連れて行った。

 アンヌは軽々と持ち上げられ、床に足が届かなかったし、慧人は慧人で、負傷した腕をいやというほど捻られてのことだったから、まさにあっと言う間のできごとだった。

 二名の女兵士は、無言でふたりの身体をビークルに押し込めると、発進スウィッチを押した。ふたりが博士の姿を見ようとして振り返ったときには、ゆうに二〇人は乗れそうな弾道ビークルは、超高分子量ポリエチレンで滑りやすくできたトンネルのなかを猛烈な勢いで突き進んでいた。しかし、反重力か磁気場を利用した乗物らしく、ふたりにはなんの苦痛も嘔吐感も感じさせなかった。

 

暗闇から眼を転じ、前方を見遣ったふたりに一瞬にして明るい光の束が押し寄せた。それは、まさに光の洪水といっていいほどだった。

地上へ出たのだ。

ビークルを手探りで出たふたりは眩い光に慣れるため、手をかざし、何度も眼蓋をしばたたいた。

 眩しすぎる白色の光のなかに、黒いものが近づいて来ていた。

「あなたがたをお待ちしていました」

 その黒い影が、ふたりに言った。「実際の戦闘に出るときには、それ用の眼鏡をかけるのですが、あなたがたには、どうもその暇がなかったようですね」

 柔らかな女の声だった。眼が慣れるに従って、そこには大勢の、にわかには数え切れない女兵士たちが、まるで閲兵式のそれのように整列しているのが判った。

「きみたちは──」

 慧人が質問を発しようとしたとき、兵士たちが歓声を上げた。そしてそれぞれに温かな笑みを浮かべ、ふたりの前へつぎつぎと手を差し伸べた。かれは忙しなく握手を交わしながら、それらひとりひとりの顔を確認しようとして驚きの声を挙げた。

「き、きみは──」

慧人が、目の前に来た兵士に手を差し伸べようとして、驚いた声をあげた。「サレムじゃないか。生きていたのか」

 女兵士は、慧人の手を強く握り返し、にこやかな笑みを浮かべて答えた。

「いいえ、わたしの名はアハです。このような顔をした兵士はたくさんいます」

「そうなのか」

「だけど、サレムは──」

「彼女のことを知っているのか」

「知っています。サレムは、彼女は、ついさきほどまで、わたしの妹でした……」

 女兵士は涙を一筋、その頬に流しながら答えた。

「彼女には礼も言えず、気の毒なことをした──」

「残念ではありますが、彼女はこの世にはいません。でも、サレムはあなたを救えたことで、自分はしあわせだったと言っていました」

「彼女と話したのか」

「ええ、心話で。最期になったとき、サレムは、そのことをあなたに告げるように言って死に絶えました」

「そうか……」

 慧人が深い悲しみに閉ざされた顔でうなだれて言った。そのとき、地中の奥深いところでなにかが動いた気がした。

 ──と思ったつぎの瞬間、丘陵の中腹、そして突端から、耳をつんざく轟音とともに赤い炎が噴出した。

続いて一秒もしない間に、巨大な噴煙が大空に舞い昇り、眼も開けていられないほどの砂塵が降り落ちて来た。誰からともなく、悲鳴とも溜め息ともつかないざわめきが漏れ、兵士たちの間がどよめいた。が、彼女たちはどよめいただけで、その場を動こうとはしなかった。全員が直立不動のまま、スハンガの頂上を見上げた。

 丘陵の奥深くにあった秘密基地、ヤワルジャ大佐の築いた要塞は、生き残った数千人の女兵士たちに見守られ、自らの死をいま迎えたのだった。

 慧人の眼に涙が浮かび、アンヌの頬にも同じものが伝わり降りていた。第二、第三の爆発が鎮まってしまうまで、そこにいる全員が同じ姿勢でいた……。

「大佐、いえ、ヤワルジャ博士は、あなたがたの指示に従うように言いました」

 アハは、涙が伝わった跡を拭おうともせず、身をかがめて言った。「わたしたちは、あなたがたの仰せに従います。どうか、今後の指示をお与えください」

 慧人はどう答えていいものかが判らず、立ちのぼってゆく黒煙を眺めた。

 これで、俺たちの戦争は終わったのだ。もう二度と、戦場に出向くことはない。彼女たちは自由なのだ。誰の命令もきく義務はない……。

「そうなのだ──」

 慧人は、脳裏に浮かんだことばをそのまま口に出して続けた。「わたしは、司令官でもなければ戦士でもない。きみたちに自由を認める権利はあっても、命令する権利は、わたしにはない。きみたちは自由のために戦って来た。そして、その自由をきみたちは手にした。われわれは、きみたちを束縛はしない。もうこれからは戦争はない。もしわたしにできることで、手伝えることがあるのなら、喜んできみたちの理想に協力しよう」

「ありがとうございます」

 アハは、サレムに似た白い手の平を差し出して言った。「手伝ってください、あたしたちの、そしてあなたの母、ヤワルジャ博士の理想を築くために──」

「ああ、頑張るよ。亡くなった、きみの妹さんたちのためにも──」

「ねえ、あたしはどうなるのよ」

 横合いから、アンヌが冗談交じりの拗ねた様子を見せて言った。

「ああ、アンヌ。きみとは──」

「あたしたち、うまくいくわよね」

「さあ、それはどうかな。うまくいかないかも知れない」

「まあ、女の直感を信じてくれるんじゃなかったの」

「ああ、そんなことを言ったときもあったみたいだな」

 慧人は、わざと曖昧な笑みを浮かべて、はにかんだように言った。「たぶん、うまくいくんじゃないかな、俺たち──」

「じゃあ、キスして」

 慧人は、いたずら小僧のように円みを帯びて突き出された、アンヌのふくよかな唇に軽く唇を重ねた。だが、それはアンヌの手がかれの身体にきつく巻きついたせいで、長い長いものになった。

 慧人は温かいアンヌの唇を感じ、アンヌの身体を抱き続けながら思った。ちと晩いかも知れんが、まあ、いいさ。俺たちは、俺たちの理想とする立派な子どもを作り、平和で穏やかな光が庭いっぱいにあふれる家庭を作るんだ。ユニットゾーンでの独り暮らしは、もうこりごりだ。         

(完)



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