表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新生 学校の怪談  作者: 周防まひろ
第一章 復活ノ刻
PR
14/58

そして二人が消えた

 

      41


 おぼろ屋敷の扉を閉めると、外の喧騒は嘘のように途切れた。空気が切り離されたように夏の熱気は消えて、沈黙と肌寒い冷気が漂っていた。

 九五年の頃から携帯しているペンライトを点けると、翔は恐る恐る廊下を進んだ。その足取りは自分で意外なほど重い。ワタルとの遭遇と襲撃を多く体験したからといって、異形の存在に対する恐れが全く消えたわけではない。むしろ、気配を察知するアンテナが人一倍強くなったせいだと考えている。恐れはその現れだと思った。

 電灯の心細い光りが、浮遊する小さなほこりを照らす中、玄関の先に昔の家のような細い廊下を歩き、左右にいくつかドアや襖を覗きながら、二人の名前を呼び掛ける。

 床の隙間からはところどころに雑草が飛び出しており、一歩踏むごとに、蜘蛛の巣の張った天井からは、梁が軋むのが聞こえる。小動物がいるのか、鳴き声もする。人が立ち入らなくなっての経年の長さを物語る。さすがに電気は走っていないだろう。

  校内の端にひっそりとたたずむ、おぼろ屋敷。取り壊される予定もなく、何かに利用されることもなくただ単に建っている廃屋。

 図書室で資料でひも解けば、元々は身寄りのない生徒のための寄宿舎だったらしい。戦後間もない頃、空襲などで親を失くして戦災孤児になった児童に対して、教育を受けさせるのに、寝止まりの場として使われていたという。

 戦後からしばらく経つと、戦災孤児もいなくなり、地方から上京する教員のための寮に代用された。しかし、次第に利用者は減り、八〇年代を待たずして閉鎖されたという。少なくとも、翔が入学した頃には、肝試しの場として、または校内に忍び込んだチンピラのたまり場となっていて、壁に落書きされ、窓ガラスも割られていた。

 まさか、二十年経った今なお残っているとは夢にも思わなかった。 

 ――なるべくなら、ここには行きたくなかった。

 おぼろ屋敷は因縁の場所でもあった。入学してからは一度も近づこうとはしなかったし、ワタルの存在を知らなくても同じようにしただろう。

 幼稚園に通っていた頃、このおぼろ屋敷が火事になった。出火の原因は不明だが、家の中には数人の児童がいた。肝試しをするためだったのだろう。駆けつけた消防士達が、炎の中から彼らを炎の中から助け出すのに成功した。

 助かったのは児童が一人だったという。結局、他の子供達の遺体はどこを探しても出てこなかった。出てきたのは一体だけ。子供を助け出した消防士だった。署内でも、適切で迅速な判断力と勇敢さから、同僚からの人望も厚かったと評判だった。

 殉職した消防士の名は、黒澤聡。翔の父親である。

 父の命を奪った炎は、おぼろ屋敷を全焼してくれなかった。外装はおろか、室内は一部の部屋を焼いただけで、他はほとんど無傷の状態だった。関係者は首を傾げたという。

 ここにも、ワタルの力が及んでいる。徹や美月を探し出さなくてはいけない。翔は順番に部屋を見て行ったが、二人の姿はどこにもない。

「徹くん!」

 翔は呼びかけた。もう、ここにはいないのかと思った矢先、天井から音がした。

「徹くん?」

 廊下の突き当たりには階段があった。二階へと続いているのだろう。二人がいるとすれば二階しか考えられない。もしくはここではないのか?

「徹くん、そこにいるのか!」

 階段の上に座る何かに、翔は体を硬直させた。赤い服を着た女の子。最初は一也の妹、美月かと思ったがそうではないようだ。女の子のスカートから伸びる足は裸足だった。ペンライトの光りが少女をよけているように見える。

 翔はある妖怪を思い出した。九五年の頃にも遭遇した中にいた奴と似ていた。こちらを襲うわけでも、怖がらせるつもりもなく、時々、学校の中、特にトイレや階段に現れる存在。

「二人をどこにやった?」

 顔の見えない少女は二階の方へ指で示した。そして、クスクスと笑いながら階段を上がって行った。

 二階へ誘っているのは明白だった。罠なのは先刻承知している。二人がいる保証もない。それでも行くしかなかった。

 翔は階段をのぼりながら呼びかけた。翔は二階へ着くと、順番にドアを開けた。部屋の中を見渡して目を丸くした。部屋の真ん中の床から巨大なキノコが突き出ていた。天井にはなぜ、机やいす、箪笥が張り付いている。天井が足元にあった。この部屋は上下が逆になっているのである。

 ますます化け物屋敷然としてきたな。

 翔がもう一度呼びかけようとして止めた。部屋の奥にある押し入れの襖の隙間から、小さな手がはみ出ている。翔はゆっくりと襖を開けた。

 中には、徹と美月が並んで壁にもたれて寝息を立てていた。彼らがワタルの仕掛けた偽物だという可能性も無きにしも非ずだが、確かめる術はない。とりあえず、翔は安堵で肩を落とすと二人の肩を揺さぶり起こしにかかった。「んん……」と声を漏らして、ゆっくりと彼らは目を覚ました。

「あ、昨日のにいちゃん」

「徹くんの知ってる人?」

「うん。お姉ちゃんと一緒に部屋に住んでんだよ」

「徹くんのお姉ちゃんと?」

「うん。二人はドウセイしてるんだよ、きっと」

 いったいどこで覚えたんだ。とりあえず、二人を発見したのは朗報である。覚えていた確認の呪文を唱えたが、どちらも本物のようだ。とにかく、おぼろ屋敷から出て、一也達を合流しなくてはいけない。彼らに説明するのはその後だ。

 簡単に外へ出られたらの話だが。

「早く帰ろう、二人とも。未来も一也も君達を探してる」

「あれ、ワタルくんは?」

「そうだ、ワタルくんがいない。ぼくら、かくれんぼしてたんだ。一緒に隠れていると眠くなっちゃったんだよ」

 やはり、あいつの仕業だったか。ここに誰かが探しに来るのが狙いだとすれば、この状況はかなりヤバい事になる。

「とにかく早く外に出るぞ。お姉ちゃんたちも待ってるから」

 翔は二人を連れて部屋を出ようとすると、扉は勝手に閉まった。ノブを回しても無駄だった。叩いたり、蹴ったりしてみたが、古いくせにびくともしない。

「クソッ!」

「ねえ、兄ちゃん、あれ見て」

 徹が示す方、部屋の中心に咲く不気味なキノコが膨らみ始めた。垂れ下がる傘が形を歪ませ、毒々しい赤と白の模様が青の一色に染まっていく、瞬く間に、それは大輪の花へと様変わりした。

 つぼみが開くと同時、中から燐紛をまき散らせながら、何かが飛び出した。

 そいつは狭い部屋で浮遊しながら、ケタケタと笑った。ボサボサの逆立つ紫色の髪、ピエロのように厚ぼったい唇は口裂け女みたいに大きく裂け、間隔の狭い二つの瞳がらんらんと踊る。胡坐をかいた短い四肢に太鼓腹、背中には鎌や人間の頭がい骨を背負っている。

 翔は舌打ちを隠さなかった。ワタルの次に会いたくない妖怪に遭遇してしまった。

「何あれ?」

 美月が聞いた。あの一也の妹だけあって、ショートヘアの勝気な顔をしている。

 目の前に妖怪がいるのに、不思議な生き物に出会ったという感覚なのだろう。おそらく、初めて遭遇したであろう妖怪を怖がる素振りはない。

「テケテケだ。恐ろしい妖怪だ」

「へえ、テケテケっていうんだ。かわいい!」

「かわいい?」

「うん、かわいい」

 予想外の感想だった。そんなにかわいいか?

 目の前で浮遊するテケテケは、人間の言語が理解できるのか、美月の言葉を聞いて照れくさそうに赤面した。天井の畳に転がりながらはしゃいでいる。

「徹もそう思うか?」

「全然。気持ち悪そうな奴だと思う」

「えー! かわいいよ、絶対」

 徹がまともな感想を言ったせいか分からないが、テケテケは、今度は怒りに三角形の顔面を紅潮させた。天井に何度も頭をぶつける。振動で家全体が揺れた。

 これはマズイ。すこぶるマズイ。

 テケテケは口裂け女のような怖がらせる奴じゃない。もっと、厄介な相手だ。

 次の瞬間、あいつが当たった机や椅子、箪笥が揺れ始めた。段々と大きくなっていき、そして――。

「伏せろ!」

 翔が二人を庇うように覆いかぶさる。直後、家具が天井から離れて、重力に従って落下していく。美月が叫び声を上げた。椅子が、机が足元の天井の床を破壊する。翔は二人を押し入れの中に入れた時、箪笥が落ちて天井の板に大穴を開けた。

 足元の重力がなくなった。翔は天井の梁に何とか掴んだ。頭上では、テケテケがげらげら笑う。クソッ。翔は足元に広がる闇を睨んだ。早く、徹と美月を連れて外に出ないといけないというのに……。

 もう、考えている暇はなかった。翔はポケットから煙草のライターを取り出すと、近くに咲いている不気味な色をした花に火を点けた。火の手は一気に部屋中に咲く花に引火した。火の粉がかかったのか、テケテケが叫んで、部屋中を滅茶苦茶に飛び回る。そして壁を貫いて、あいつと同じ形をした風穴を残して、どこかへ逃げて行った。今のうちだ。

 途端、部屋の重力が反転した。天井があるべき高さに戻り、翔は床の上に落ちた。強かに尻もちをついた。さらに徹と美月が折り重なるように落ちてきた。下と上とで激痛に悶絶する翔。

「大丈夫、にいちゃん」

「なんとか……生きていればいい」

 やっとの思いで立ち上がると、翔は二人に、家から出るように伝えた。

 ただ、外にはあのジョーズと一也が鬼ごっこをしていなかったら、こちらが狙われる可能性が高い。さすがに二人同時に守るのは難しいだろう。

 部屋の中はさっきよりも燃え広がっている。煙も強くなってきた。

 その時、翔は不思議な光景を見た。部屋のドアから入って来た一人の消防士が、長いホースを抱えながら、放水して消火活動をしている。それでも火の手は止まない。消防士は押し入れに向かうと、何度もこちらに聞こえない声を呼びかける。

 急げ。そう言っているように思えると、翔は目元が熱くなり、思わず顔を下げた。

 ――間違いなく、この人は……。

 別の部屋へ出て行く背中を眺める。この家の中で父は死んだ。しかし、どこにもいなくなった訳ではないのかもしれない。

 幻が消えると、そこに何かが倒れているを見つけた。それは見覚えのある石像だった。翔は石像を拾い上げて胸に抱えた。こんなものがここにあるのが意外だった。父の幻を見せたのもこいつだったのかもしれない。

「にいちゃん、どうしたの?」

「ゴメンな。徹達を巻き込んでしまって。さあ、早く家に帰ろう」

 翔はそう言うと、小さな手を握りしめた。


      42


 一也はタイヤの上に飛び乗ると、サメが頭を出しながら、憎々しげに地面から点のような小さな赤い目で睨みつけた。

 おぼろ屋敷から翔とかいう奴や徹達が出てくる様子はまだない。おかげで十分にサメの気をこちらに集中させるのに成功しているし、未来の目にもカッコよく映った事だろう。

 一也は長い時間をかけて、高鬼の要領でサメを翻弄させた。わざと待ってやったり、挑発したりもした。地面を泳ぐと言っても、所詮はサメなので、高い場所に逃げればどうって事はない。

 急に携帯が鳴った。少し驚きながらも、着信を押すと、未来の声だった。

(カズ、大丈夫?)

「余裕、余裕。後何時間でも頑張れるぜ」

(もう、こっちに逃げても大丈夫だよ。黒澤くん達が出てきたから、カズらもこっちへ来て)

 いつの間に出てきたんだ。時々、廃屋の方は観察していたつもりだったのだが。

「分かった。すぐ行く。ところで、少し聞いていいか?」

 一也はため込んでいた不平を口に出した。

「あの黒澤ってやつとどういう関係なんだ?」

(どういうって言われても……)

 未来が言い淀むのをイライラしながら聞いていた。そんなに、俺に離せない間柄なのかよ。幼馴染としてはほっておけない。

(黒澤くんは私の家に居候しているの。同じ部屋にいるの)

 一也は携帯を持ったまま唖然とした。おじさん達は何してんだよ。

「未来はあんなのがいいのかよ?」

(変な言い方しないでよ。もしかして、一也、妬いてるの?)

「バ、バカッ! そんなんじゃねえよ」

 電話口からクスクスと笑い声がする。

(でも、今の一也はカッコいいと思う)

「そうか?」

 言われて嬉しい言葉だった。この勢いでサッカーの試合に観に来てもらうように頼んでみるか。

「あのさ、今日話した事なんだけど。今度の日曜日にサッカーの試合があるんだよ。徹と一緒に観に来てくれるか?」

(いいよ。日曜日は暇だしさ)

「ホントに?」

 よっしゃあ! 心の中が晴れ渡り、体獣が軽くなった気がした。割に合わない囮の役を買って出てよかった。

(早くこっちへ来て。皆、待ってるから)

「分かった。間抜けなサメを出し抜いたら、すぐに向かうよ」

 一也は携帯を切ると、別方向から地面に降り立ち、残った力をすべて出し切るつもりで疾走した。


      43


 未来は焦っていた。翔がおぼろ屋敷に乗り込んでから、二十分あまりの時間が経過した。しかし、まだ二人を連れて出てくる様子がない。一也はまだ逃げ続けて時間稼ぎをしてくれているが、そろそろ限界のはずだ。

 先程、一也に電話をかけてみたが、話し中で出なかった。こんな時に誰と話しているのだろう?

 未来は、翔達の様子を見に行きたかった。サメがここにいないのなら、今のうちなら大丈夫かもしれない。

 体育館から迂回して行こうと思ったその時、校舎の方から誰かが走って来る。二人いるので、最初は徹と美月かと思ったが、背が高いので違うようだ。一人が小太りの男子、もう一人は茶髪の女子。しかも、どこかで会ったような顔だった。

「雛……?」

 間違いない。女子の方は、同じクラスの仲里雛だった。今朝、クラスメイトの数が減ったのを確かめるのに尋ねたのを思い出す。いつもはぶすっとした顔をしていた彼女は、今は取り乱しながら、隣の男子と何かから逃げてきた。

 相手もこちらに気づいた。未来の前で止まると、その場で座り込んだ。

「仲里さん、どうしたの?」

「で、出たの」

「何が出たの?」

「オトネ様だよ」

 男の子の方が代わりに答えた。

 その時、彼らの逃げてきた方から何かが、ものすごい速さで駆け抜けてくるのが見えた。

 四つん這いで駆け抜けて、こちらへ迫って来る。赤い着物、異様に長い手足、そして、牙と角、赤い眼を湛えた鬼女の姿の顔があった。

 未来は叫ぶと、二人と一緒に走り出した。途中で何かを思い出して、運動場へ逃げる二人を止めようとした。

「そっちに行ったらダメッ!」

 そっちの方にはサメが……。

 直後、おぼろの方から叫び声が聞こえた。

 未来は二人の前を走り、声のしたおぼろの方へ向かう。

「一也!」

 彼が地面から体を出してもがいていた。未来は慌てて、手を持って引っ張りだすと、腰の辺りをサメの口が覆っていた。

「一緒に手伝って!」

 亘と雛と一緒に、一也を引っ張った。しかし、ビクともしない。

「早く逃げないとやばいよ!」

 後ろからは、オトネ姫が恐ろしい形相を浮かべて迫る。

 何とかして一也を助けないといけない。もう、友達を助けられないなんて嫌だし、美月に良い訳なんてしたくはない。

 だからと言って、何か方法がある訳でもなかった。

 サメの引っ張る力が強まり、一也は胸当たりまで地面に沈んだ。

「どうすんの、小宮、マジやばいんですけど!」

 オトネ様が勝ち誇ったようにカタカタ口を鳴らすと、両手を広げて未来と雛に迫る。

 その時、亘が雄叫びを上げて、オトネ様に突進した。が二人に向かって突進した。

「亘!」

 雛が叫んだ。ワタル、そう呼んだ気がするが、目まぐるしい状況に未来はどちらを優先すべきか混乱していた。

 覆いかぶさった人形は、手足がバラバラに飛んだが、トカゲのしっぽみたいに指先が体を探してもがいている。上に乗った亘が人形を抑えるが、すぐに吹き飛ばされてしまい、地面に転がった。。

 オトネ様の胴体が空に浮き上がる。そして、二人の少女に向かってきた。

 ――もうダメ! 未来が目をつぶった時、おぼろ屋敷の扉が開いた。中から、徹と美月をが飛び出し、遅れて翔が出てきた。

「三人とも下がれ!」

 凛とした声が迷いを打ち消してくれた。

 翔は未来達の周りを走った。オトネ様が彼を標的に変えて追いかける。翔の走った後には、地面に白い粉が落ちて、白線を描き出したところで、粉の正体が石灰だと分かった。白線が円に変わった瞬間、オトネ様の動きが止まった。その間に、円の内側に奇妙な波紋を描いていく。

「未来とそこの二人、円の外まで逃げろ。一也は助けてみせる」

 未来は翔の言葉を信じて、雛と一緒に走った。翔は亘という名前の少年の腕を支えて立たせた。

「あれ? 君はトイレで……」

「説明は後だ」

 そう言って、無理やり円の外へつまみ出すと、魔法陣の残りを完成させる。幾重にも配紋が並び、中心の小さな円に、翔はあるものを置いた。

「あっ」

 それは、歴史の教科書に出てくるような埴輪の銅像だった。コケのついた痩せた胴体に、左右の腕を反対に曲げて、口と目がポッカリと空いている。

 翔は目をつぶりながら何かを唱え始めた。日本語ではない。外国語のようだが、英語でもない。無茶苦茶言っているようで規則性があった。

「今、魔の刻に静寂を求めん!」

 手帳を手にした翔が日本語でそう叫んだ刹那、地面が上下に揺れた。そして、変化が起きた。埴輪の目と口が光り出した。その光りは徐々に大きくなると、強烈な光線に変わり、オトネ様と地面に頭まで沈む一也を包み込んだ。

 光りは小さくなり、埴輪の口へ吸い込まれていった。地面のサメは一也を咥えたまま。

 翔は立ち上がると、もう大丈夫だと合図をした。

「何がどうしたの?」

「封印の呪文を使った。これがおぼろ屋敷にあって助かった」

「その埴輪が?」

「ああ。ハニ太郎だ」

「でも、カズは? カズも封印されちゃったわけ?」

「いや、大丈夫。彼が妖怪じゃなかったら無事だよ。ほら」

 埴輪の口が光りが飛び出すと、そこから一也が転がり出た。

「あれ? 俺は今まで何を……」

 未来は泣きはらした目で彼に抱きついた。予想外の展開に、「よせよ、未来。べたべたすんな」と満更でもない嬉し顔で言った。

「ホント、よかった。黒澤くんが助けてくれたのよ」

「そうだ、思い出した。黒澤だ。おい!」と翔に向き直る。「お前、今まで何してたんだよ!」

「おぼろ屋敷から出ようとして、君達がヤバい感じだったから、特別な呪文を使った。メモしていた数少ないやつだ。本当に使える保証はなかったけどな」

「なんだよ、そんなのが使えるなら最初からやれよ!」

 一也は翔を強く押した。よろけてその場に倒れそうになり、未来は慌てて駆け寄った。

「大丈夫?」

「なんでもない」

「そんな風には見えないよ。さっきのどうなったの?」

 翔は手帳に書かれた呪文をも見せた。魔方陣や文字が隙間なく記載されている。他にもワタルの事や、妖怪の事など詳細に書かれている。字もしっかりしていて、大人のそれだった。

「『妖怪悪霊大辞典』を持っていた頃に、少し書いておいたのさ。奴らには効果的な呪文がたくさんある」

「そんなチートみたいな力があるなら、最初から使えってんだよ」

 一也の小さな刺のような言葉が飛んだ。

「ここに書いてある呪文は人間には負担がかかるんだ。一日に一回しか使えない。使った後はこの様だ。だから、ここぞという時にしか使えなかった」

「何、わけのわからない事言ってんだよ。説明しろよ。一体何が起きてんだよ、この学校で」

「落ち着いてよ、カズ。私から説明するから」

「そいつにさせろよ」

「一体どうしたの、カズ? 昔はそんなのじゃなかったのに、黒澤くんに絡んだりして、みっともないよ」

「うっさいな。それより、なんであんな電話したんだよ」

「電話?」

「お前が、徹達が脱出したって言ったのを真に受けたんだぜ」

「してないけど……」

「はあ?」

「きっと、ワタルの仕業だ。未来が、そんな勘違いをする訳がない」

 翔が息が上がったような声で答えた。

「だから、何なんだよ、呪文とかワタルとか――」

「あのさ――お取り込み中に悪いんだけど」

 今まで空気だった二人のうちの雛が三人の間に入った。

「これ、何かのドッキリ? それともあんた達の仕業なの? 一体何のつもりなのさ。あんな不気味な人形まで動かして。ふざけんなって」

「あれはオトネ様。ワタルの力で、邪悪な妖怪に憑依したんだ」

「僕の力?」

 小太りの少年がキョトンとしている。自分の名が話題に出ているせいだった。本人には身に覚えが全くない。しかし、雛はそう思ってくれないようだった。

「あんたにそんな力があったの?」

「ち、ちがうよ、雛ちゃん。僕は一般人で」

「だから、ちゃん付けすんなって!」

 雛の蹴りを身軽に避けて、亘少年が言った。

「トイレで出会った人だよね。黒澤さんですよね?」

「ホントなの?」

「名前は一緒だが、あのワタルとは無関係、だと思う?」

「ねえ、さっきから何を話して……」

 運動場がまた揺れた。地面にひびが入り、翔の描いていた魔方陣を引き裂いていく。オトネ様とサメを封印した埴輪が裂け目へ落ちた。

「まずい! 皆、校門まで逃げろ!」

 七人の少年少女は駈け出した。力の出ない翔を亘と雛が支え、徹と美月を未来と一也が連れて逃げる。

 空の夕闇がグランドに瞬く間に差し込んで、巨大な影法師が浮かんだ。顔に当たる部分が横に広がり、三日月の口を開いてかと思うと、鼓膜が破れそうな咆哮を上げた。

「正門まで急げ」

 翔達三人が先頭を走る。正門まで十メートルほど。その後ろを四人が逃げる。小さな子を連れた未来と一也の方が遅い。影の顔が地面に沿って、彼らに迫ってくる。

 正門を越える寸前で、翔が二人に指示した。

「おれはいいから、未来達を助けろ」 

「でも――」

「小宮を行くよ、亘」

「でも、雛ちゃん」

「ちゃん付けすんな、ボケ! 行くよ」

 雛と亘が引き返した時、未来が挫いた足の痛みで地面にこけた。

「ねえちゃん」

「未来!」

「カズ、徹と一緒に逃げて!」

 雛と亘が駆けつけ、四人を助けようとした。影法師が寸前に迫っていた。その口が開いて彼らをのみ込もうとした。一也が未来をかばった。

「高橋くん!」

「妹達を連れて逃げろ!」

 そして、怪物の口が二人を覆った。

 嫌がる二人を正門まで連れて行った時、翔も校庭に入ろうとした。

「ダメだよ。どうするの?」

「二人を助けないと……」

「そんな状態でできる訳ないだろ」

 雛の言う通り、翔は立っているのがやっとだった。

 影法師の姿が消えると、校庭には未来達の姿もなくなっていた。暗い空は晴れて、黄昏時に様変わりして、どこかでひぐらしが鳴いていた。ぬるい熱気が漂う中、彼らは茫然と立ちすんでいた。

「ねえ、姉ちゃんはどこ行ったの?」

「カズにいも消えちゃった」

 状況が理解できず、年少の二人はさめざめと泣いた。

 翔はふらついた体を塀に預けながら、校名を刻んだエンブレムを余った力で殴りつけた。

「黒澤さん、教えて。一体何が起こったの?」

「あたしも知りたい。ふざけた事言ったら許さないから」

「分かってるさ。徹、美月」

 呼ばれた二人はまだ涙を流していた。

「泣くなって言っても無理だよな。でも、泣くな。二人は帰ってこない」

「お姉ちゃんはどこへ行ったの?」

 徹はさっきと同じことを聞いた。

「分からない。でも、二人は大丈夫だ。それに、おれも助ける」

「お兄ちゃんが?」

「今の時代に古臭いかもしれないけど、男の約束だ。未来と一也は、おれが命をかけて助け出してやる」

「やくそく……」

「そうだ、美月ちゃん。徹と一緒に二人が戻るように信じてくれ」

「僕からも頼むよ」と亘が間に入る。「お兄ちゃんも手伝うから。ねえ、雛ちゃんも」

「ちゃん付けするなよ。もう、このやり取りは飽きた。はいはい、雛ちゃんもがんばります。このデブのお兄ちゃんは全然頼りにならないから期待するだけ無駄だよ」

 徹が自分の手で涙を拭いた。

「おにいちゃんらを信じる。お姉ちゃんはきっと戻ってくる」

「わたしも。カズにいが戻ってきますように」

「ありがとう」 

 翔は二人の頭を順番になでると、亘達に言った。

「すべてを話そう。信じてくれるどうか分からないけど」

 二〇一五年、七月中旬の夕方時のことであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ