そうですかーw
だいぶ前に一回disられたので
自分はもしかしたら、こういう質問を受けたのかもしれません。
「貴方なんで、生きているのですか?」と。
自分は、こう答えたのかも。
「そうですかーw」と、
続けて、こう言ったのかもしれません。
「なら、逆に問わせていただだきます。貴方は何故生きているのでか。」
こういう会話を、自分は自分としたのかもしれない。
それは、前世かもしれないし、現世かもしれない。
現在かもしれないし、過去かもしれない。
こういうのを見て、自分は恥ずかしくなるのかもしれない。
でも、自分はこういうでしょう。
「そうですかーw」
続けて、こう思うでしょう。
「でも、それって貴方がそう書きたいから書いたのでしょう?」
その時のことを、今思っても仕方ないとは思いますが、自分が思ってたことはしっかりと残していくのもいいと思う。
今は今、過去は過去、未来は未来、そうであって欲しいと自分は思うのです。
偶には過去のことを思い出してみるのもいいかも知れない。
未来のことに思いふけるのもいいかもしれない。
でも、いつもいつも、過去のことにへばりついて、グチグチ言ったり、掘り返して不快にさせたり、不快になったりするのはいけない。
未来のことに思いふけすぎて、現在に手がつかなくなったり、将来に異常にに不安を抱いたり、心配するのもいけない。
そして、自分は、○ね!的な暴言や、人の作品に対しての誹謗中傷にこう思うのです。
「そうですかーw」
そんなものは、言わせておけばいいのです。
そんな、自分の首を絞めて面白いことなんて何もないのです。
誹謗中傷なんて、只の憂さ晴らしです。
アンチはただ単なる悪口です。
自分は、偏った見方をしているのかもしれない。
そんなのは分かっています。
もしかしたら、今書いているのも、憂さ晴らしなのかもしれない。
でもさ、それが何?
それこそ、”そうですかーw”ですよ。
一人会話、自問自答、つまらないと思いますか?
そういう考えは、自分は偏見だと思う。
偏見者に、偏見ですよって指摘されるほど嫌なものはない。
でも、それがその人の見方なのですよ?
誹謗中傷して、disって、ストレス発散して、憂さ晴らしをして。
それが、その人の考えなのです。
貴方も、これを見て、イライラしているのかもしれない。
喧嘩売っているのかと思うのかもしれない。
されど、自分はこう書きたかった、こういう書き方しかできないのです。
文才がない?つまらない?面白くない?
そんなの、”そうですかーw”ですよ。
不快に思ったら、ごめんなさい