1.悪魔の契約
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騎士が目覚めたとき、最初に思ったのは何故生きているのかという疑問であった。手足を鎖の拘束具で拘束されてはいるものの、体を見下ろすと負傷した部位には処置を施しているのも分かる。魔術で治したのだろう、深かった筈の傷口は恐ろしく綺麗に治っていた。何故治療を、と思うと同時に胸中に不安を感じた。魔族は人間の捕虜を捕らない、それは人間で知らぬ者はいない。故に自分が敗れたとき、死を覚悟した。だというのに生きている。不気味に感じ理由を模索したが、人間の自分に理解できる筈もないと思考を破棄した。
薄ぼんやりとした頭で考え、徐々に視界が暗闇に慣れてくると、恐らく牢なのだろう。その全貌が見えてくる。水気を帯びた石床、壁は暗く見えないが恐らく同じ造りだろう。自分の数歩前には鉄格子が見え、その向こう側には大きめの両開き扉が見えた。牢はここ一つだけの様だった、随分な待遇だと鼻で笑った。しばらく同じ姿勢だったからだろうか、身を捩ると体に鈍い痛みが走った。鎖が鳴り、石床に音が反響する。恰好は鎧の下に着込んでいた保護服、それも下半身のみ。冷気が肌を刺し、息を吐き出すと白く濁った。寒い、だが生きているからこそ、この冷気を感じられるのだと思えば、不思議と嫌な気分ではなかった。
手は両手に鎖が巻き付けられ、根本は天井に固定されている。両足は膝立ちの状態でアキレス健の部分に拘束具が付いている。地面にボルトが撃ち込まれており、地面から足が離れられない様にされていた。拘束を解くことは可能かと自問し、すぐ不可能だという結論に達した。肉体的には無理でも、魔術なら可能だと思っていたが、首に下げられた黒い首輪が何であるかを理解し、舌打ちを零した。それは『魔力封印』の首輪だった。
どれだけ時間が過ぎたか、途中まで数を数えていたものの精神が崩壊しそうになるので止めた。じっと俯き体の力を抜く。足の拘束具が表面を擦り、酷く傷んだ。天井の鎖の長さが足りず、中途半端に引っ張られた状態になり、力を抜くと手首に拘束具が食い込んだ。恐らく体力を消耗させる為の仕様だろう。何度も体勢を変え、その度痛みに顔を顰めた。
寒い、と呟き顔を上げる。寒さの原因はわかっていた。牢の横にある窓だ、鉄格子越しに雪が見える。大きさは幼子がようやく通れるか、といった程度。大の大人が、しかも鉄格子を潜って抜け出せる幅はない。それ以前に、拘束具に捕まっている状態では無理ではあるが。雪が燦々と降り注ぎ、冷気が肌を刺した。これは、このまま此処にいれば凍死するな。そう容易に考えられるほど、冷え込んでいた。
ふと、足音が聞こえた。コツコツと靴底で石床を叩く音、それが段々と近づいてくる。体に力を入れ、前方の扉を睨めつける。さて、自分を生かした理由を問い詰める時だと、少ない体力を振り絞った。
扉は長い間使われていなかったのだろう、錆びた音を響かせ、ゆっくりと開いた。そこから現れたのは魔族だ、二本の大きな羊角をした女性魔族。すっと吊り上がった目に、豊満な体。人間の基準からすれば恐ろしい程の美女に違いない。だが、魔族は総じて美女が殆どなのだ。それが何故かは誰もしらない、だが一つ言えることは外見に惑わされれば死を待つのみという事だ。彼女から立ち上る魔力は、吐き気を催すほど。
だが、自分はもっと禍々しい魔力を知っている。そう、魔王の魔力だ。それに比べれば、いくら強大だろうとも耐えられる。近づいてくる女を他所に、息を吐き出した。
「お目覚めかしら、人間」
酷く冷たい声が響いた。いや、牢内が寒いからそう聞こえるだけだろうか。しかし彼女の眼は、確かに蔑む様な目をしていた。
何故、私は生きている。
そう問えば、女は意外そうに眉を上げた。
「あら、死にたかったの?」
違う、そう言えば「分かってるわ」と返事が返ってきた。こいつは、私の嫌いなタイプだ。嫌悪感から眉間に皺が寄った。
「魔王様のご命令よ、命があることに感謝するのね」
私に政治的な利用価値は存在しないぞ。
そう言うと、女は理解できない様なものを見る目で口を開いた。
「必要ないわ、私達は別に人質なんて使わなくても、人間という種族なんて滅ぼせるもの」
その言葉に、思わず唇を噛む。やろうと思えば、こいつらなら実際に可能だから。大切な人が死ぬ場面を想像すると、血が沸騰しそうだった。
「魔王様に挑むなんて、人間にしては度胸があるのね、それに力も」
女は鉄格子に寄り掛かるようにして、こちらを覗き込んだ。その眼は赤色で、じっとこちらを捉えて離さない。負けじとその瞳を見つめ返した。
「魔族は力が全てよ、負ければ勝った者に従い、強者の庇護を得る、強者は弱者を守る義務を負い、また弱者を従える権利を得る、それを貴方に当てはめれば、貴方はもう魔王様のモノなの」
なんだその理屈は、反吐が出るな。
悪態を吐いたが、寒さから歯の根が合わず、少し迫力に欠けた。
「魔王様は貴方に何を求めるのかしらね、人間を生かすって色々面倒なのに」
それだけ言って、女は踵を返した。
待て、という声が響く。一体何をしに来たんだ、お前は。そう聞けば、女はこちらを一瞥して
「貴方、魔王様に仕える気はあって?」
そう言った。