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導入部

初めまして、拙い文ですが宜しくお願いします。

「英雄にでもなったつもりだったのか?」

 足元に転がる一人の男に、問いかけた。

ぼろぼろのメイルプレートを身にまとい、刃が欠けて血糊のべっとりと張り付いた赤黒い剣を手に、荒い息を繰り返す男。風貌は、バシネットに隠れて見えない。だがその胸に刻まれた『茨の証』、それが騎士であることを証明していた。

 暗い部屋に息荒く這いつくばる騎士と、堂々たる姿で騎士の前に立ちはだかる女性。その一種の異様な光景は、城の最奥である決闘の間で行われていた。首元の隙間から、血が鎧を伝う。騎士は言葉を発さず、覚束ない足取りで立ち上がる。中腰の状態で一歩、二歩と踏鞴を踏み、剣を右手で構えた。左腕は、肘の辺りから無残に捻じ曲がっている。左腕を庇うように、半身になって剣を構える騎士からは、諦めという言葉が見つからなかった。

「自国の姫を嫁にやるとでも言われたか、それとも金銀財宝をやるとでも言われたか、いや、名誉を求めたか」

 女性は騎士に問うた、これは今まで女性に挑んできた全ての者に対して行ってきた問いであった。それらの者が答えた理由がソレだった、金や名誉、女の為。女性の問いに対し騎士は荒い息を繰り返し、一言だけ返した。

 違う、と。

「ではやはり、英雄にでもなったつもりだったのか、俺が世界を救ってやるのだと、己の力量も知らずに」

 鼻で笑う様に話す女性に、騎士はもう一度、違う、と答えた。

「では何だ、金でも名誉でも女でも無く、貴様は何故、私に挑んだ」

 騎士は大きく息を吸い込み、短い呼吸の後に鋭く踏み込んだ。上段から半月を描くような斬撃、足のバネと勢い、回転も織り交ぜて放った一振り、それは騎士の技量の高さを示していた。切っ先が女性の肩を捉える寸前で、剣が硬質の何かに弾かれた様な火花が散る。極小の刃欠が舞い、騎士が負傷した身とは思えない素早さで後退した。だがそれよりも早く、女性の手が騎士の胴に翳される。

「आग द्वारे नृत्य」

 女性の口から、短い言葉が紡がれる。途端、女性の翳した手の平から小さな火球が打ち出された。宙を裂く矢の様に、後退した騎士の胸元に着弾した火球は、騎士が防御の姿勢を取るよりも早く、火の粉をまき散らして炸裂した。爆炎が騎士を包み込み、煙を身に纏いながら騎士が固い石床を転がる。地面に打ち付けられた衝撃で、剣が手を離れ石床を滑って行く。拳程の大きさの火球が、フルプレートを着込んだ大の男を吹き飛ばす。正に悪夢の様だと騎士は独りでに思った。壁にぶつかって止まった騎士は、せり上がる嘔吐感に堪えられず吐き出す。バシネットの隙間から、血が大量にまき散らされた。揺れる視界の中で、まだ感覚のある右手を握ったが、剣の感触が返ってこない。武器を失った、空いた右腕を胸元に当てればべっこりと凹んだプレートメイル、無残にも騎士の証である茨も燃え尽きていた。

「答えろよ人間、貴様らが何の欲も持たずに私に挑む筈がない、貴様は何を願って此処に来た」

 女性が悠然とした足取りで騎士へと歩み寄る。それは王者の風格であり、事実地面に転がっているのは騎士だった。震える腕で上半身を起こし、膝を立てた。口の中が血の味で一杯だ、キツイ酸味のある胃酸も既に出尽くした。壁に背を預けて、まるで幽鬼の様に立ち上がる。女性はそれを、ただ見ていた。

 剣は無く、武器は無く、満身創痍で、万全の状態でも勝てない様な相手に、何故挑む様な真似を。騎士は拳を握りしめた。剣は無い、だが拳は作れる。ならば殴り殺してでも、自分は目の前の女性に抗う。口の血を全て吐き出し、騎士は口にした。こうして尚、立ち向かう理由を。

 愛すべき人が居る。

 その言葉に、女性は顔を顰めた。

「女が、理由か」

 違う。

 女性の不快の滲む顔に、騎士は否定の言葉を放った。そんな理由ではない、命を懸けて挑むに値する理由、騎士にとっては名誉も、金銀財宝も、自国の姫ですら命を懸けるに値するものでは無かった。それは、本来騎士にあってはならない思考。それでも尚、騎士を突き動かす理由が、確かにあった。

 俺には王の座も、富も、名声も、姫君も必要ない、ただ一人、共に生きる家族がいれば、それで。

 騎士は言い終わるや否や、倒れこむ様な勢いで女性に殴り掛かった。鋼鉄の籠手に全体重を乗せた拳、だが満身創痍の騎士に先ほどまでの力強さは無かった。拳を防がれ、今度は腹に女性の手が添えられる。すっと触れるだけの動作。

「स्फोट」

 その一言で、騎士は先ほどと同じ壁に叩きつけられた。急激な重力変化が起きたような、体の引っ張られる感覚。女性の一撃にプレートメイルが耐え切れず、鋼鉄の鎧は脆くも崩れ去った。留め具が外れ、彼方此方凹んだ鉄くずが転がる。壁は騎士の二度目の衝突に耐えられず、半ば包むように騎士を埋もれさせていた。

騎士の指が震え、まるで錆びた機械の様に首を動かし、騎士は女性を見つめた。壁から抜け出そうとして、体に力が入らない事に気付く。そしてようやく、騎士の胸中に諦めに似た脱力感が沸き上がった。まだやれる、まだ戦える。いくらそう言い聞かせても、体は全く動かない。やがて瞼が徐々に落ち、痛覚の遮断された深淵へと引きずり込まれる。敗北した、その結果だけが騎士に謝罪の言葉を口にさせた。

 すまない、不甲斐ない兄を、許してくれ。

 騎士は小さくそれだけ呟き、首を垂らした。それを見届けた女性は小さく息を吐き出し、目を細める。目の前の騎士が、今まで挑んできた者と違う事を願ったのは、女性にも分かった。

 人間は際限の無い欲を持つ、強欲で下劣な生き物。そう思っていた女性は、目の前の騎士の持つ高潔とも言える心意気に、興味を抱いた。富も求めず、名誉も求めず、王の座すら不要と言う。ではその様な人間が、一体何を求め命を懸けると言うのか。純粋に知りたいと思った。

 二度手を叩き、傍仕えを呼び出す。決闘の間に素早く出てきたのは、女性の側近である女性だった。

「殺したので?」

 そう聞く側近に、首を横に振る。

「否、生きてはいる、中々珍しい人間だ、利用できるかもしれん、生かしておけ」

 少しだけ、眉を動かした側近の女性は、しかし従順に女性の言葉に頭を垂れた。騎士を壁から引き剥がし、肩に担いで運ぶ。側近の女性は中肉中背で、間違っても大の男一人を運べるような体格では無かったが、その足取りは少しも重さを感じさせない程に、軽やかだった。


 月歴千二百年 八月六日


 帝国第一王子であるジーグ・フュンゲル・オルゲルトがこの日を境に消息不明となる。

 彼の王子は、文武両道に優れ第二騎士団隊長の地位も兼任していた。北のゴリアテ攻略以降、ラザルト城に攻め入ると言う通信を最後に、消息不明となった。帝国現国王が救援部隊を急ぎ派遣したところ、ラザルト城進路に友軍を発見。しかし、既に壊滅された後だったと言う。しかし、遺体に王子の姿は無く、未だ生存していると口にする諸侯は多いものの、生存は絶望的と推測される。

 主力の一翼であった王子の部隊が壊滅し、帝国は魔族に対して劣勢となった。日々激しくなる一進一退の攻防に、やがて人々は王子の事を徐々に忘れ、彼の名は王族墓地の石へと刻まれる事となる。



 人間の歴史では、そういう事になっている。



 私が語るのは、歴史に則ったお伽噺とぎばなしではない。

この目で見て、聞いて、感じた事実を口にするだけだ。それは皆の知る歴史とは随分と違う、血と汗の滲む話だろう。

 これは勇者や英雄の物語ではない。

 愛欲と泥に塗れた生き恥を晒す、一人の男の話だ。

 

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