死ぬべき少女の噺。
「私を殺して」
「お願い」
キーンコーン、カーンコーン。
「気持ち悪ぃんだよお前!」
「さっさと死ねよクズ!」
終業と下校時間を告げる鐘が鳴って、今日もまた少女が蹴り飛ばされた。
机や椅子に体を打ち付けた少女は、その淡い橙色の目を僅かに伏せ、けほけほと咳き込んでいる。
だが、そんな姿を見ても俺のクラスメイト達は攻撃の手を緩めることはなく。
1人の男子生徒が、少女の黒髪を掴んで無理やり顔を上げさせた。
ーーまたか。
今では日常風景と化した行為に
俺は心の中でそう呟いて、逃げるように窓の外へ視線を移す。
いじめ。
社会問題にもなっている「それ」は、このクラスでも起こっている。
昔は悪口や無視程度だったのだが、ある日を境に「それ」はエスカレートし
殴る蹴るの暴行にまで発展した。
暴力を振るうのは、クラスメイトの8割。
あとの2割は、周りで「それ」を見て笑う。
そして、暴力の被害者はいつも
東雲 有為という女子生徒だ。
何故彼女だけが対象なのかは、わからないけれど。
「ははははは!」
下卑た笑い声に、思わずそちらを見ると
床に倒れた東雲を、女子が踏みつけていた。
……正直、いじめというのは見ていて気分の良いものではない。
加害者達の嘲笑も被害者の苦しむ声も、俺にとっては不快でしかないのだ。
気持ち悪いし苛立ちもする。
だけど俺は
彼らを止めることは、しない。
何故なら、俺、和崎 彼方
は【傍観者】だからだ。
参加しないかわりに止めもしない。
ただ、そこにいるだけ。
今日も
ヘッドホンでその不快な音を遮断して、目の前で行われる暴行を、『見えないフリ』でやり過ごす。
自分でも最低だと思うけれど
どうしようもないんだから、しょうがない。
暴行が始まって、2時間が経過した頃
ふと時計を見た誰かが言った。
「あ、やべ。もう7時じゃん」
「帰ろうぜー、どうせ『明日も』やるんだし」
クラスメイト達も、だいぶ飽きてきていたのだろう。
同意した彼らは彼女を置き去りにして
次々に教室から出て行った。
それを見た俺は緩慢な動作で立ち上がり、ヘッドホンを首にさげたまま
「……大丈夫?」
特に意味もなく、俯いている彼女に手を差し出す。
この教室にいるのは、俺と彼女の2人きり。
だから何をしても、抗議する奴はいない。
当の東雲も俺を見上げ、1瞬躊躇った後
「ありがとう」
特に意味もなく、手を取った。
東雲への暴行が終わり、皆が帰ったら
俺が手を貸して、彼女を立たせる。
これも、いつも通りだ。
助けなかった俺の手を、東雲は拒むことも不信がることもしない。
俺は『助けなかった』だけで、彼女を嫌っているわけではないから。
立ち上がれても、流石にフラつく東雲を支えてやって
散らかされた教科書類を拾い集め
駅までは共に帰って。
良心の呵責や同情ではなくて
あくまで、なんとなくなんだけれど。
……習慣、というのが正しいかもしれない。
「いつもごめんね、和崎君」
「別に、」
申し訳なさそうに、散乱した机を直す俺を見上げて、東雲は言う。
その頬は殴られたせいか、少し腫れていた。
俺はそんな彼女をちらりと一瞥して自分の席に戻り、鞄を自身の肩にかける。
そして振り返ることなく教室を出た。
東雲が、慌てて後を追ってくる。
「ちょ、待って……!」
廊下に響く、駆け足気味の足音。
それに紛れて聞こえる浅い呼吸音に
ふと、前から気になっていたことを思い出した。
たいしたことではないが、ずっと不思議だったこと。
この際だ、聞いておこうと俺は立ち止まって振り返り、東雲が追いつくのを待つ。
すると意外にも早く隣にきた彼女は、動かない俺を見て心底不思議そうに首をかしげた。
まぁ、こんなこと滅多にないから
当たり前なのかもしれない。
そう考えつつ、言葉を紡ぐ。
「え、っと。どうかした?」
「……あのさ」
「はい」
「Mなの?お前」
「、はい?」
だが、思ったまま口に出した途端、ぽかんとした表情で固まった彼女に
ーー直球過ぎたか。
と若干後悔した。
もう少し遠回しに言うべきだったらしい。
言ってしまった後ではもう遅いんだが
せめて弁解はしようと、口を開く。
「や、何されても抵抗しないから。そういう趣味でもあるのかと思って」
「え、えぇ?ないよ、そんな趣味」
「、そう」
まぁ当然戸惑いがちに否定され、ちょっと気まずくなった俺は気の無い返事をして歩き出した。
珍しく会話なんて試みたからこんなことになったんだと、訳のわからない言い訳を脳内で繰り返して。
だけどそのうち
後ろから、東雲の足音がしないのに気が付いた。
振り返る。
無音の校舎。
もう暗くなった窓の外。
彼女が笑う。
悲しそうに。
苦しそうに。
その両目は、赤い。
橙ではなく、血のような緋。
俺は息を飲んだ。
それぐらい
今の彼女の姿は、痛々しい。
東雲 有為。
被害者であるはずの彼女は
『傍観者』に向かって、淡々と語り始める。
「私はね、」
「殺してほしいの」
「私が化物になるまえに」
「このままいつか」
「彼らが殺してくれればいいんだけど」
「もう時間がないんだ」
「【判決者】が判決を下すまで」
「ーー残された時間は、あと少ししかない」
吐き出された言葉には、なんの脈絡もない。
それは、感情を叩きつけられているような気分だった。
でも、確かに彼女は
真剣そのもので。
俺は、まるで助けを求めているみたいなその表情から
いつものように目を逸らすことが出来なかった。
彼女は、続ける。
「私は死ぬべき人間なの」
「だから、だからね」
「もしも彼らが、私を殺さなかったら」
「その時は、」
「和崎君が、私を殺してくれないかな」
そう言った彼女は
泣きそうな顔をしていて。
俺は。
……俺は。
よくわからないからとりあえず
「さぁ?」
とだけ返しておいた。
拍子抜けしたようで、東雲はしばらくの間
何も言えずにいて。
けれどそのうち、諦めたみたいに
「……だよねっ」
と彼女は笑った。
建物の灯りが飛び交う街道を、俺たちは歩く。
会話は無くとも、東雲が必ず1歩後ろをついて来ているのはわかっていた。
相手は怪我人、歩幅くらい合わせるべきなのかもしれないけれど
そんなの面倒だし、きっと東雲だって望んではいないだろう。
だから、歩く速さは変えない。
どこかで聞いたことのある歌が流れる電光掲示板。
駅前のビルに貼り付けられたそれは、今も絶え間なくニュースを流している。
『臨時ニュースの時間です。
昨晩、◯△市内の高校の体育倉庫で
男子生徒の死体が発見されました。
男子生徒は、体中を鋏で切り裂かれており
警察は、猟奇殺人として捜査を開始しています。』
「猟奇殺人……」
日本では珍しいそのニュースが流れると
ぽつり、と後方からそんな声が聞こえた。
その高校に知り合いでもいるんだろうと勝手に推測し、歩き出そうとした俺の背後で
東雲は小さな声で呟く。
「本当に、時間がないんだね」
雑踏に埋れた淡い言葉は、俺以外の誰にも届くことはなく
夜の闇に呑まれて。
東雲は反射的に立ち止まった俺に、本日何度目かの微笑みを見せた。
長い黒髪が風になびいて
橙の両目が晒されて。
頭の片隅で、どこか冷静な自分が囁く。
ーーまた目の色が変わっている。と
比喩なんかではなく、実際に
血のような緋から、夕焼け色の橙に。
人体ではありえない変化に気を取られていると、いつの間にか俺から離れていた東雲は
「また明日だね、和崎君」
困ったような笑顔でそう言い残し、人ごみの中に消えて行った。
……本当、よくわからない奴だな。
あいつと関わってしまったのは、失敗だったのかもしれない。
俺が今まで保ってきた【傍観者】という立ち位置を
あっさり崩されかねないんだから。
俺はなんだか酷く疲れた気分で
重い感情や後悔を、溜息とともに
星が輝く夜空に吐き出した。
「面倒だな……」
翌日。
キーンコーン、カーンコーン。
「気持ち悪ぃんだよお前!」
「さっさと死ねよクズ!」
終業と下校時間を告げる鐘が鳴って、今日もまた少女が蹴り飛ばされた。
机や椅子に体を打ち付けた少女は、その淡い赤色の目を僅かに伏せ、けほけほと咳き込んでいる。
だが、今日はいつもとは違う。
誰も気付いてはいないけれど
昨日のことがあった俺には、なんとなくわかった。
東雲の言う【判決者】とやらが
もう判決を下していることを。
その証拠に、彼女の両目は昨日と同じく
血のような緋に、染まっている。
一方、何も知らない男子生徒は
彼女を踏みつけようと足を上げた。
彼は毎日していることを今日もしただけだ。
特別なことはしていない。
それでも、ついさっき言った通り
判決はすでに下されているのだ。
おそらく、全員分の死刑判決が。
「どうして?」
振り下ろされた足を、彼女の白い手が掴む。
支えられるはずのない体重がかかっているはずなのに、彼女の手が折れたりすることはなく
それどころか掴まれた男子生徒の足首の方が
ぼきん、と嫌な音をたてた。
彼の悲鳴に、笑みを消したクラスメイト達が目を見開いて彼女を見つめる。
今までなんの抵抗もみせなかった彼女の、初めての抵抗。
……いや
ただの時間切れ、か。
「どうして、殺してくれないの?」
「ねぇ、なんで」
「こうなる前に殺してくれなかったの?」
彼女の頬を涙が伝い
掠れた声が不自然なほどよく響く。
泣いているように思える仕草。
だが、そんな当たり前の予想に反して彼女は
「どうして誰も私を殺してくれないの?
あなた達は私を殺せないの?だったら
もうあなた達は必要ないよ?」
狂人みたいに
廃人みたいに
笑う。嗤う。嘲笑う。
泣きながらーー嗤う。
「判決。
全員有罪、終身刑。
お疲れ様でしたー、」
東雲は近くにあった鋏を握りしめ
折られた痛みにうずくまる男子生徒に突き立てる。
教室中から響き渡る、つんざくような悲鳴の渦。
俺はヘッドホンを手で押さえ
これから始まる惨殺から目を逸らし、窓の外を眺めた。
青い青い澄んだ空。
漠然と思う。
確かにあいつは、東雲有為は
死んでおくべきだったんだと。
死んでおけば
人殺しなんてしなくて済んだんだから。
でももう、手遅れだ。
彼らの罪は
『死を望む人間に死を与えなかった』
という、理不尽な罪。
無茶苦茶な理屈ではあるが
【判決者】に逆らえる人間なんて、どこにもいないのだから。
それから
太陽が、沈みかけた頃
ぴ、と頬に血が飛んだのを感じて
俺はゆっくりとそちら側に視線を移す。
そこにあったのは、血に濡れたクラスメイト達の死体。
死屍累々という言葉が、よく似合っている
ーーなんて。
無感動に彼らを見下ろす心とは裏腹に
俺の体は反射的に、口に手の甲を押し当てていた。
【傍観者】な俺にも
死体は気持ち悪いという、普通の感覚があったことに驚く。
というか、吐きそうだ。
「和崎、君」
その時
不意に名前を呼ばれて
血の海の中心に立ち尽くす彼女を見た俺に
彼女は微笑んで言った。
「君は、私を殺してくれる?」
俺は答えない。
彼女の赤い目が俺を捉えた。
1歩1歩近づいてくる。
夕日が差し込む教室。
光を反射して輝く鋏。
彼女はまた笑った。
俺は笑わない。
彼女は泣いていた。
俺は泣かなかった。
どうすれば助かるのかは知っていた。
でも「それ」を実行することに抵抗はある。
死にたくない訳じゃない。
殺されたくない訳じゃない。
殺したくはない。
だけど、そんな俺よりも
彼女はきっと死を望んでいるんだろう。
「ごめんね」と彼女は言う。
「別にいいよ」と俺は言う。
鋏が俺の頭上に振り上げられる。
彼女はもう、笑ってはいなかった。
俺は
肩口に振り下ろされた鋏を享受してから
カッターの刃を彼女の首筋に押し当てる。
初めてした人殺しは
今世紀最高に
最悪だった。
『臨時ニュースをお伝えします。
某県某所の高校で、計30体の惨殺死体が発見されました。第1発見者は用務員で、凶器は鋏。
なお、行方不明になっている男子生徒1人と女子生徒1人も何らかの形で事件に関係していると思われ、警察は2人の行方と生死を捜査しーー』
街の電光掲示板に流れる、先日のニュース。
それを見上げて、悲しそうに目を伏せた彼女と反対に
俺は深く溜息を吐いた。
まったく、どうしてこうなった。
完璧に容疑者扱いじゃないか。
隣の彼女に聞こえないように呟いた俺は
気を晴らすように空を見上げた。
今日も、青い空を。
ちょーといまいちですかねぇ……
今後書き直すかもしれません(笑)
読んでくださってありがとうございました!
ご意見ご感想お待ちしておりますー!
活動報告にて「判決者は誰だ」アンケート実施中です!ご協力お願いします!