暁の夜に沈めて
初めまして榛川慧です。まだまだ修行中なので、コメントに関しては、お手柔らかにお願いします。なおここで公開している作品は、著作権放棄しますので、コピーアンドペーストは自由です。
雨をはね返す鉄板と、さびた階段を上り、店へ入ると、見慣れた風景が目に映った。壁も床もすべて木製で、木の匂いとぬくもりがする、しゃれたバーである。三年前から九龍はここの常連だ。
カウンター席の向こう側には二人がいた。
一人は、バーテンダー兼店長の湊沙だ。年齢は三十歳、事故の後遺症で、両眼とも失明していた。しかし角膜移植手術を受けて、現在は以前と同じように、見えている。
そして湊沙の体型はすらっとしていて、身長は百八十七cmだ。特に体を、鍛えているわけでもないため、細身な部類に入る方だ。そのためか年齢よりも、ずっと若く見られがちだ。
そして、もう一人は、江宇だ。十九歳の時に留学で、一年前に大阪に来た。現在は二十歳になってから、数か月が過ぎている。そして大阪へと上京した際に、突然このバー「Angel」に、アルバイトさせてほしいと頼みに来て、ここで働くようになった。ホームレス生活をしながら、給料をすべて貯金していたため、栄養失調になって、整体師の九龍に保護されたのだ。
九龍はそのことがきっかけで、江宇になつかれて、そのまま主治医となった。
九龍は二十三歳とまだ若い。黒眼黒髪で、黒縁の眼鏡をかけており、かなりのド近眼だ。髪は肩にかからない程度に、短く刈り込まれて、とても清潔感がある。身長は百九十三cmだ。
整体師ということで、体力がなければ務まらないため、合間をぬって体を鍛えている。そのためか、手は大きくごつごつしていた。指もそれほど長くないが、江宇より幾分 太さがある。
一方の江宇は自称 作家である。副業として、バーでアルバイトをしている。母親としか血縁関係がなかったり、そのショックで家を飛び出したり、処女作が義妹に盗作されたり、財布のスリに遭ったり、人よりも何かと苦労が多いせいか、年齢よりずっと大人っぽい雰囲気を纏っていた。見た目で言えば、湊沙とは対照的だ。
百九五cmの長身で、手先がとても器用だ。指が長く、その手は光を浴びるたび、白く輝いた。犬を飼っていて、よく散歩するので、筋肉がついている。しかし、ごついと感じるほどの、筋肉量ではない。かといって、細身ではない。江宇の体型は、中肉長身だ。
髪の元々の色は、美しい白銀だった。龍のウロコを連想させ、はっとするほど、とてもきれいだった。しかし、老けてみられるというコンプレックスから、本人は気に入らなかったようで、黒髪に染めた。そして、眼は透き通ったガラスに近く、何もかも見透かしたような透明な色をしていた。いや、寧ろそこに色はなかった。
「江宇、そろそろ上がってもいいよ」
「はい。じゃあいつもの」
江宇はいつも晩ごはんを、ここで食べているのだ。ここは時間帯営業で、朝から夕方まではKURUMIという名前で、喫茶店をしているのだが、そこの余った食材を使い、サンドイッチと、ドリンクのセットを湊沙が作っている。
「あー、ドリンクは…」
「ピーチスカッシュだね?」
湊沙は得意げ笑った。サンドイッチはいつもお決まりで、ベジタブルサンドだ。キャベツ、トマト、キュウリ、シーチキン、ハムがはさまれており、ボリュームがある。それが四切れあり、ワンプレートで、六百八十円と安いのだ。
ドリンクは果物をミキサーにかけて、かるく潰しておく。そのあとで、一口大にカットした果肉を入れ、水ではなく炭酸で割るという、シンプルなものだ。他にもレモン、オレンジ、チェリー、ブルーベリー、グレープなどがある。
そしてセットのドリンクは、自分の気分によって変えている。湊沙にはそれが分かるようだ。江宇は普段通り、何も言わなかった。しかし、だまって微笑んだ。言葉を必要としない関係性とは、この二人のようなことを言うのだろうと、九龍は二人を見ながら思った。
九龍が出入り口で立っていると、江宇もこちらに気が付いた。細くて長いしなやかな指で、手招きした。その無言の動作は、隣に来いという合図だ。なぜだか江宇は、九龍が席につかないと、自分も座らないのだ。
二人はいつもテーブル席ではなく、カウンター席を選ぶのだ。以前 江宇に聞いたら、「九龍が座るから」と、返されてしまった。つまり、意味はあってないような行為、ということらしい。
確かに三年前に初めて来た時は、カウンター席に座ったが、江宇がここに来るようになったのは、一年前だ。知っているはずがない。江宇が九龍に、合わせているのだろうか。この調和性のカケラもなさそうな奴が?時折ではあるが、言動と態度など全てを含めて、江宇が分からないと、感じることがある。
「ウイスキーで」
「はい」
だからこそ、江宇のとんでもない発言を、予測できなかったと思うのだ。
「どうぞ」
グラスに口をつけた、その瞬間に、江宇が口を開いた。
「子供ってなんなのかな?」
「ぐふっ!」
その言葉に九龍は思わず、飲んでいたウイスキーを、噴き出した。
江宇が今どんな顔をしていても、確実にいえるのは、九龍が目を合わせられないことだ。助言を求めて、湊沙に視線を移したが、サンドイッチを作るのに集中していた。いくら視線を送っても、気が付いてくれなかった。
そもそも、江宇がなぜ、そんなことを言うのかわからない。
江宇はいつも唐突で、考えていることは、難しいことばかりだ。ややこしいことが、どうやら好きらしい。
「親の宝だろ。というか、心理学者か哲学者にでも、なったつもりか?」
「子供を捨てる親もいるから、それじゃあ矛盾しているだろ。あと、心理学は大学で習っていたけど、哲学は専門外だ」
つけ加えて哲学は、専門書を読む程度だと話した。哲学に関しては、すべて独学ということだ。
確かに江宇なら、それが出来てもおかしくはない。義妹ほどではないにしても、頭脳は比較的高い方だ。四年制大学を、わずか二年で首席卒業したエリートだ。
それよりも江宇ってこんなにも、話す奴だったか?と、九龍はとても強い違和感があった。
内容もいつもとは、だいぶ違っていた。世界各国の聖書をコレクションしていて、気まぐれでたまに口をきいたら、スピリチュアル系のものばかりだった。それが、今夜に限って子供の事だった。
「それじゃあ、言い方を変えよう。子供は誰のものだと思う?」
試すような、あるいは、挑むような眼で見つめてきた。ほんの少しだけ、そこには期待が、にじんでいるようにも見えた。江宇は何と答えさせたいのか、意図が分からず、九龍は返答に戸惑った。
「子供は親の宝だから、子供は親のもので、なければいけないだろ。普通」
そう答えると、明らかに失望した眼をして、江宇は左手を額にかざした。
どうやら、満足のいく答えでは、なかったようだ。江宇はとても分かりやすいところは、分かりやすい。顔に出やすいタイプだからだ。
一方で、分かりにくいところは、まったく分からないという、両極端な性質を兼ね備えている。
「だから、それじゃあ矛盾するって、言っているだろ。子供を捨てる親とかって、どうなっているわけ?」
江宇が子供を捨てる親と言った、その瞬間どこか遠くに感じた。それと同時に、江宇の言い方はトゲがあり、明らかに皮肉めいたものだった。また、一方では、他の誰かの話を、聞かされているような、不自然な感覚がした。
どうも話の内容と、江宇の言いたいことが、現実から切り離されて、ふわふわ浮いているようにも感じた。しかし九龍にはそれが、何かを理解はできなかった。子供を捨てる親の心理を、確かに九龍も理解できない。しかし、江宇は決してそれで、納得などしないはずだ。なぜ理解できないか、必ず理由を聞いてくるからだ。
「ああ、俺も理解できない」
「同感だ。理由は?」
先ほどまでの勢いがなくなり、言葉もだいぶ短くなってきた。江宇は睡魔を感じ始めると、受け答えが雑になるのだ。九龍にとって、不本意ではあるが、賭けてみることにした。
「それより[告白という名の真実]読んだよ。江宇って性転換していたらしいな。知ったら親が泣くぞ」
江宇が大阪に来たのちに、三作目として手掛けた、告白本のタイトルだ。これまで江宇の身にふりかかった、過酷な事実が書かれていたのだ。
中でも衝撃的だったのが、手術を受けてまで、男になったことだった。
そして「江宇」というのは、あくまでも洗礼名であって、本名ではないことまで書いていたのだ。九龍には本に書かれていること全てが、思いがけないほど驚愕的な内容だった。
ただ不思議だったのは、洗礼名より以前の名前つまり、本名に関しては一切、伏せられたままだった。まだ、自分でも本名を知らないのだろうかと、考えを巡らせてみたが、それを聞いてしまうと、なぜか江宇が消息を絶ちそうに、感じてしまいやめた。いつも聞くことをためらって、そこから前に進めることはなかった。
「それならカミング・アウトしたから、特に問題はない」
「ああ、それ…なっ!?」
江宇があまりにもさらっと、言ってのけるものだから、九龍は危うく聞き逃しかけるところだった。カミング・アウトしたということは、実際に会って話したとも、取れる言い方だ。しかし、告白本にはそんなこと、何も書かれていなかった。
「そろそろいいかな?」
湊沙が、サンドイッチの乗ったプレートと、ドリンクの入ったコップを、持ってカウンターから出てきた。小声でありがとうと呟き、江宇はさらに話した。
「俺さ、今まで自分は誰で、誰のものなのなんだって、考えながら生きていたよ」
そして、今までガードの堅かった江宇は、ポツリポツリと話し始めた。
本には書かなかった、家族のこと。今まで両親だと思っていた人は、母親だけしか血縁関係がないことを、義父から教えられて知ったこと。そして、妹だと思っていた柚葉も、実は異父兄妹であったこと。
一度では理解しきれないことが、一斉に波の様に押し寄せてきた。そしていつしか、育ての義父ではなく、本当の父親への思いが募っていったこと。会いたいと思って、大阪周辺での目撃証言を、手掛かりに探しに来たこと。しかし、父親の戸籍は書き換えられた後で、確認するすべがなかったことなどだ。
「戸籍の名前は、本名じゃないかもしれなかった」
何とも意味深な言い方をしたが、そのことに関しては特に深く触れず、江宇はさらに話を続けた。
母親の高麗は精神に問題があり、セックス・フレンドが三人いた。そのうちの一人と結婚するも、二人とも関係を続けていた結果、それぞれから江宇と柚葉が生まれた。そのため、父親と血が繋がっていなくても、なんらおかしくはない。
九龍が、ボソッと「ひどいな」と漏らしたが、江宇は首を振った。江宇は自分よりも、柚葉の方がひどかったというのだ。柚葉も同じように父親を探しに、東京まで出た。なんとか所在を掴み、会うことを許された。しかし、父親は柚葉を娘として認知しなかった。
なぜなら本妻がいれば、礼山という名の子供までいた。結局は自分の地位と、家族を守るために、柚葉は実の父親から、切り捨てられたのだ。
「まさか、自分もそうなるのかも、とか思ってないよな?」
「……こわい」
それは「思っている」という、答えとして解釈するには、十分なものだった。
「けど…よかった。戸籍を書き換えるほど、俺のことを嫌っていたのかとか、それとも何かトラブルに巻き込まれて、もう亡くなったかと思っていた」
生きていて、本当によかった。それほどまでに江宇は、必死で父親を探していたのだ。ただ会いたくて、しかしその一方で、義妹のことを思い出し、拒絶されるのが怖かった。父親も、一人の男だ。きれいな人が現れたら、当然のごとく結婚するだろう。そうなったとき、自分が邪魔になり、戸籍を書き換えたのかと、悪い方向にしか考えが巡らなかった。
あなたにとって俺は、いらない存在ですか?
そんな言葉になりきれてない思いで、店じまいに向けて片付けをしている、「彼」に視線を向けた。不安と期待の入り混じった目だ。
「子供は親に守られても、縛られる存在じゃないから、子供は誰のものでもない。そうだよな。湊沙」
「何を言っているの?」
その言葉に九龍は、ただ驚いた。江宇の生みの父親は、湊沙だった。知っていたのなら、なぜ告白本にそのことを、書かなかったのか。まだその時は、知らなかったということか?ここまでくるともう、九龍は江宇のことが何一つ、完全に理解できなくなっていた。
「俺の前では陽宇って名乗っていたけど、洗礼名だよな。本名じゃないはずだ。その証拠に、戸籍の名前は、湊沙になっていた」
確信をついたような、目つきと言葉で、限界まで追い込んだ。九龍に対してみせた、試すような、挑むような眼とは、明らかに違っていた。それよりはもっと攻撃的で、なんとしても、認めさせてやるという、ピリピリした空気が漂っていた。
「いつ僕が父親だと気が付いた?」
「初めて出会った時からだよ」
ここに来た時の江宇は確か、チンピラにからまれたとかで、ひどい怪我をしていた。ちょうど、一年前の雨の夜だった。今頃と同じ、梅雨の時期だった。
大抵の人は関わりを、絶とうとするだろう。よく、知りもしない相手なら、なおさらだ。しかし、湊沙は医者を呼び、きちんと手当させた。
その一方で、江宇は義妹殺しの冤罪を、かけられたことがあり、大の警察嫌いだ。異父兄弟で、しかも殺人の容疑者ということも、拍車をかけて、その模様がテレビや新聞を通じ、でかでかと報道された。
おそらく、湊沙はそれをどこかで、見ていたのだろう。そのことで、息子を守るために、湊沙は警察を呼ばなかった。寧ろ拒んだほどだ。そう解釈しなければ、江宇の警察嫌いを知っていた、理由を説明できない。
「そうだよ。江宇の本当の名前は、紅葉だ。僕が付けた名前だから、忘れるはずがない」
江宇は「紅葉」という名前を聞いて、九龍には心底、驚いているように見えた。そして震える声で、湊沙に聞き返していた。
「戸籍にあった名前?」
子供の欄にしっかり、紅葉と書かれていた。ショックのあまり、それを見たとき、とても書けなかった。告白本なのになぜか、書く気すら起こらなかった。まさかその子供が、自分だったとは、思ってもみなかった。
そして、湊沙はさらに話した。江宇改め紅葉は、誕生日が十月二十二日で、秋うまれの子だった。秋といえば、もみじを連想させる季節だ。誰の色にも染まらず、自分だけの色を持つ、もみじを見て、個性や自分を大事にする、そういう子になってほしいと、心底 切望した。そういう思いを込めた、特別な名前であったのだ。
それを聞いた紅葉は、声もあげずにぼろぼろと、泣き出してしまった。湊沙はそれを見て、始めはおろおろしていたが、カウンターから出て、江宇をその腕にしっかりと抱きしめた。その時みせた、湊沙の表情はもう、父親の顔になっていた。
それを見届けた九龍は、飲んだお酒よりも少し多めのお金を、テーブルに置いて席を立った。
あの二人はきっと、これから先も大丈夫だ。もちろん、根拠はない。ただそう思えるだけの要素があった。ピリピリしていた空気が、一瞬で和らいだのが、その証拠だ。
「あんなのをみせられたら、子供がほしくなったじゃないか!……子供っていいな」
先ほどまでの雨があがり、暁色の夜空に九龍の声は、くうを舞っていつまでも、反芻していた。こんな時は、一人であることをいやでも、自覚させられるため、九龍は嫌いだった。しかし、今夜はどこか違って感じた。外にいるのに、外にいるはずなのに、心の中はまだ、ほんのりと温かかった。九龍はこの感情の意味を、きっとまだ知らない。
どうでしたか?まあ、家族愛がテーマですが、ラストシーンが完全にBLに…表現が下手なのですいません。これから勉強していきます。