子持ち昆布
子持ち昆布を知らない方は、それがどんなものかを調べてから本作を読んで頂けると幸いですっ。
感想等ありましたらどんなものでも構いませんので頂けると嬉しいですっ。
それでは宜しく御願い致しますっ。
『チ―――ン・・・・・・』
リンの音がその部屋に鳴り響いた。乾いた部屋にその音がやんわりと広がっては静かに消えてゆく。そしてその後には只々冷たい風がその部屋に漂っていた。
そんな部屋に女性が一人。仏壇の前に座って静かに手を合わせている。その女性は長い黒髪が美しい、凛とした顔立ちを持つ三十程の女性だった。
音が消えて暫く経つと、女性は顔を上げた。そして仏壇の遺影に顔を向けると、遺影に向かって軽く微笑みかけた。
「あれからもう三年か・・・。貴方には散々振り回されたっけね」
そう苦笑いを浮かべると女性は仏壇の前から立ち上がった。
女性は真田夏菜。三年前に突然夫を亡くし、現在は一人暮らしのキャリアウーマンである。子どもは授からなかった為にいない。
何度か求婚を迫られたこともあったが、しかし再婚はせずに彼氏も作らずに今まで生きてきた。今は仕事があれば十分だとさえ考えている。
しかし夏菜が再婚しないわけは夫をそれほどまでに愛しているからだとか、そういうロマンチックなことでは無かった。夏菜の夫は飲んだくれの女たらしという酷い人物だったのだ。だから夏菜は夫が好きだったということは無く、只生前は仕方なく腐れ縁のように付き合い続け、そして現在は只単に結婚が面倒だからという理由で独りの道を選んでいた。
そんな夏菜のもとに、ある日来客が訪れた。それは突然のことだった。
ある日、夏菜の住んでいる家のインターホンが鳴った。夏菜の家には来客が来ることは少なかったので、不思議に思いながらも夏菜はインターホンに出た。しかしその時はまだ、どうせセールスか何かだろうとばかり思っていた。しかしそれは的外れだった。
「はぁい、どちら様?」
夏菜がそう尋ねインターホンを覗くと、その時返事が返ってきた。夏菜はその声と姿に思わず驚いた。
「えっと・・・、こちらはさなだ・・・かなさんのおうちですか?わたしのおなまえは、にしむら ももですっ」
なんとそこにいたのはまだ小学生にも満たないような少女だった。その少女が夏菜の家のインターホンを鳴らしていたのだ。
夏菜は最初、少女が家を間違えたのかと思った。しかし少女が自分の名前を尋ねたのでそれは見当違いだと確信する。
夏菜はその少女の姿を見て首を傾げた。しかし、当然のように夏菜はこの少女を知らない。親戚の子でもなければ近所の子でも無いのだ。
すると、少女はそんな夏菜の心情を察したのか言葉を付け加えた。幼いながらもしっかりとした子だった。
「えっとあの・・・。わたしはさなだなおきさんの・・・む・・・むすめですっ」
そう少女が口にしたので夏菜は再び驚いた。少女が口にした真田尚樹は、夏菜の夫の名前だったのだ。
それを聞いた夏菜は直ぐさま玄関を開け、そして少女を招き入れた。
どうやら話を聞くと、少女―――西村 桃が真田尚樹の娘というのは本当らしかった。それは桃の持っていた手紙で真実だと確信した。その手紙には桃が生まれた経緯と桃がこの家を訪ねた理由が書かれており、そして戸籍証明が添付されていた。確かに桃は、尚樹の娘だった。
夏菜と結婚していた間にも関わらず、尚樹は桃の母親に当たる人物と不倫をしていた。そしてその間に生まれたのが桃だというのである。そしてその母親はというと病気で床に伏せっており、桃を世話する人物がいないのだという。そんなわけで何故かその母親は夏菜を頼ってきた。その思考は全くの理解不能だったが、しかし夏菜は事態を把握した。
「しばらく桃を預かっては貰えないでしょうか?・・・かぁ」
夏菜は溜息を吐くと座っていたソファによたれかかった。事態は分かったが、しかし桃を預かることに潔く承諾出来るわけはない。夏菜は考えこんだ。
その間に、桃は夏菜が出したお菓子を美味しそうに食べている。お腹が空いていたのか、夏菜が出したクッキーを最初は遠慮しながらも空腹に負けてぽりぽりと食べ始めた。
その桃の様子を見ながら夏菜は考え込む。
桃はとても良い子だった。礼儀もきちんとしているし、言葉遣いもきちんとしている。この事態に対して、桃は全く問題ではないのだ。言うならば、この子も被害者。周りの大人の都合に振り回され続けた可哀想な子なのだ。それを思うと、夏菜の心が少し痛んだ。 そして、この事態を桃の立場を中心にして考え始める。
まず、仮にも夏菜が桃を預かるとして考えてみる。夏菜は大変だろうが、しかし桃にとってはまぁ不自由は無く生活出来るだろう。桃の家もここからあまり離れていないらしいから幼稚園が変わる必要もない。問題といったら、夏菜が子育てをしたことが無いために出てくるだろう何らかの支障のみである。桃にとっては、現時点ではこの方が良いはずだ。不倫相手の妻を頼るような女だ。きっと親戚や家族とは疎遠で頼れない状況なのだろう。
そして今度は夏菜が桃を預からなかったとして考えてみる。すると、桃はきっと施設に連れて行かれる事だろう。そしたら、桃は辛い目を見ることになるかも知れない。施設の子というだけで差別する人間もいるだろうし、施設にはたんまりとお金があるわけではないから不自由のない暮らしはきっと出来ないだろう。
そう思うと、夏菜は桃のことが可哀想に思い、そして心配になった。何も悪くない桃が自由な暮らしを出来ずに苦しむのは如何なものだろうか。そんなの、不平等の何者でもない。
そこで、夏菜は桃を預かることを決心した。この先大変な事があるかも知れないが、しかし桃の為にもその壁を何とか乗り越えて見せよう。桃には悲しい思いはさせてはいけない。もうこれ以上、大人の自分勝手に付き合わせてはいけないのだ。
そして何より、尚樹が残した最後の大きな置き土産だから受け取ってあげようじゃないか。振り回されるのにはもう慣れているから。
そして夏菜は立ち上がり、桃の近くに腰掛けると微笑みながら優しく桃の頭を撫でてやった。
そう、これが自分の子どもではないのに子を持っている、かの有名な『子持ち昆布』の話である。
・・・あり?違うか・・・。