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勘違いから始まる辺境伯との文通生活、返事がだんだん甘くなっているのは気のせいですか?  作者: 九葉(くずは)


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第2話 追伸の花

二通目の手紙は、一通目より厚かった。


馬が領地の入口に着いたのは雨の日で、下男のフリッツが「お嬢様宛です」と差し出した封筒。ずっしりと重い。一通目は便箋三枚だったのに、今度は畳むのに三度折る必要があるほどだ。


それに、小さな布袋が同封されていた。


自室に戻り、封を切る。窓の外では雨がぱたぱたと音を立てている。この家の屋根は十年前から修理が必要で、雨の日は使用人たちが忙しくなる。だが私はいつも、雨の音が好きだった。祖母が言っていた。「雨は、根を育てる」と。


便箋を開く。指の腹で紙の質を確かめる。前回と同じ、しっかりとした厚手の紙だ。辺境の紙漉き職人のものだろうか。繊維の目が細かい。


前回の返事より、明らかに文面が長い。薬草の栽培法について、前回聞いた内容の続きが書いてある。寒冷地での温室管理、土壌の越冬処理、霜害対策。どれも実践に基づいた正確な知識。排水層に砕いた軽石を混ぜるという前回の助言を実際に試したところ、見事に根腐れが止まった——と報告の手紙を出したのだが、今回はさらに踏み込んだ提案が書かれている。


「軽石の粒度を三種に分けることで、排水速度を調整できます。上層は粗め、下層は細かめが理想です」


ここまで具体的に書いてくれる人は、祖母以外に知らない。


だが、今回は薬草の話だけではなかった。


〈こちらの冬は長く、十一月から四月まで雪に閉ざされます。その間、温室の中は別世界です。冬でも花が咲き、虫が飛ぶ。その環境を整えるのに五年を費やしました。試行錯誤ばかりです。失敗したことのほうが多いかもしれません。〉


失敗したことを、正直に書く人。事務的な回答だけを寄越す人ではない。


〈失敗して学ぶのは、植物も人間も同じではないかと思っています。〉


指先が温かくなった。紙のせいではない。この文字を書いた人の誠実さが、インクを通して伝わってくるようだった。


そして——追伸。


前回の手紙には追伸はなかった。今回、初めて。


〈追伸。先日同封した冬薔薇は温室で育てたものです。種を同封しました。もし咲かせることができれば、それはあなたの冬の成功です。〉


その下に、もう一行。


〈銀木犀も同封します。香りが残っているかはわかりませんが。〉


布袋を開けた。中から銀色の小さな種がいくつかと、押し花が一枚。


銀木犀。淡い黄色の、繊細な花びら。指でそっと触れると、ぱりっと乾いた感触の奥に、かすかに甘い香りが残っていた。金木犀ほど強くはない。だがこの繊細さがいいのだ。押し花にしても香りが消えにくい。それは、この花の小さな意地のようなものだと思う。祖母の押し花帳にも同じ花があった気がする。


祖母の押し花帳。


もう何年も開いていない。母がまだ生きていた時代の花が、一枚一枚丁寧に貼られていたはずだ。アネモネ、エーデルワイス、野薔薇。移ろう季節の中で何かを留めたかったのだろう。


押し花とは、そういうものなのかもしれない。生きている花を殺すのではなく、一番美しい瞬間を留める。祖母はよく言っていた。「花は一番きれいな時に摘むんだよ。早すぎても遅すぎてもいけない」と。


この銀木犀は、いつ摘まれたのだろう。花びらの開き具合からして、満開の直前。一番香りが強くなる瞬間だ。この人は、花の摘み時を知っている。


◇◇◇


返事を書くのに、三日かかった。


一日目は薬草の質問を整理した。二日目は種の播き方を調べた。三日目にようやく筆を執ったのだが、今回ばかりは止まらなかった。


辺境の気候について聞き返し、冬薔薇の種の播き方を質問し、銀木犀の香りへの感想を書いた。「乾いても香りが残っていました。素晴らしい保存状態です」——我ながら、学術報告のような感想だ。もう少し気の利いたことが書けないものか。


気づいたら、薬草以外のことも書いていた。


「こちらでは今年の冬が厳しく、庭の薬草が例年より元気がありません」「以前、祖母に教わった蒸留法を自己流で試しているのですが、温度管理がなかなか」「祖母も押し花が好きでした。同じ花を選ぶ方がいらっしゃるとは思いませんでした」


便箋が五枚になった。前回は四枚だったのに、増えている。しかも最後の一枚は、ほとんど薬草と関係のないことばかりだ。


冬の庭の様子。蒸留の失敗談。祖母の思い出。——こんなことを書いて、迷惑ではないだろうか。相手は忙しい方のはずだ。


迷った末に、五枚目の便箋を抜こうとした。手が止まった。抜いてしまうと、四枚目の末尾が中途半端に途切れてしまう。書き直すのも面倒だ。


まあ、いいのだけれど。このまま出してしまおう。


◇◇◇


「手紙が多いわね」


封をしようとした時、マルグリットの声がした。台所から出てきた兄嫁は、砂糖菓子をつまみながら私を見ている。


「薬草についての相談です」


「ああ、そう。北の方へのお返事、もう出すの?」


北の方。マルグリットは、手紙の差出人がどこの誰かを知らない。知らないはずだ。だが「北の方」という言い方には、何かを探るような響きがあった。


「辺境伯は、独身でしたわね。そういえば」


私は手紙を持ったまま、何も答えなかった。答えを返すのが得策とは思えなかった。マルグリットに情報を渡すと、三日後には兄の耳に入り、一週間後には何らかの干渉が始まる。それが、この家の法則だ。


「何でもないわ。ごゆっくり」


マルグリットは砂糖菓子をもう一つつまんで、居間へ戻っていった。甘い匂いが廊下に残る。


それに、そんなことは考えたこともない。手紙の相手が独身かどうかなんて。


——考えたことがない、はずだ。


◇◇◇


窓辺に、一通目の冬薔薇と並べて、銀木犀の押し花を置いた。


灰色の冬の景色の中に、白と淡い黄色。二つの花が、窓ガラスに映る。


銀木犀の花言葉は何だっただろう。祖母の押し花帳に書いてあった気がするのだけれど、思い出せない。今度、古い本を探してみようか。


次の定期便で、五枚の便箋は北へ向かった。


あの人は、今度は何を書いてくれるだろう。


不思議な人だ。温室を五年かけて作る人が、どんな顔で花を選んでいるのか。失敗した時、どんな顔をしていたのか。その人が、私の手紙を読みながら何を考えているのか。


知りたいとは思わない。薬草の知識を交換できれば、それで充分だ。


——いや。少しだけ、思っている。


窓ガラスに吐息が白く曇った。指で拭うと、銀木犀の花びらが透けて見えた。


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