第10話 「色欲」の悪魔、襲来
だいぶと《箱庭》も賑やかになってきた。ソフィアは居住・研究中枢区にある資料室で、これまで出会った魔物娘たちについての記録をまとめていた。彼女たち一人一人のことを丁寧に書き記していく。この記録帳はソフィアにとってかけがえのない宝物になっていた。
「ソフィア、今ちょっと大丈夫?」
「ノクティア、どうしたの?何か相談?」
「うん、今度書きたい物語のプロットの相談に乗ってほしくて…」
居住・研究中枢区は基本的にはソフィアとフィオナの研究拠点ではあるが、どこに住むか未定の魔物娘たちも一緒に暮らしている。今はノクティアとリオスの姉妹、それにトレジアもいる。居住区画を多めに作っておいて正解だった。
「…結構面白いと思うけどね。ノクティアはどこで迷ってるの?」
「実は、ここの台詞なんだけどこっちとこっちで迷ってて…。」
「あぁ、確かに。助詞が少し変わるだけで一気にニュアンスが変わってくるね。」
「でしょ?よかった、ソフィアに相談して。なかなかこの違いを理解してもらえなくて…。」
今はこうやってノクティアの相談に乗ったり、リオスと遊んだり、トレジアに荷物の輸送を手伝ってもらったりして、一旦《箱庭》の整理をしている。だいぶ住人も増えてきたので、新たな住人を迎える前にある程度片付けておきたいのだ。
ノクティアが納得のいく答えを無事に見つけられ、再び資料室に戻った時、研究室のドアが勢いよく開けられた。
「ソフィア、いてる?」
「びっくりした…ブランメラ、どうしたの?」
「ねぇ、私たちが初めて会った時のこと覚えてる?」
「覚えてるっていうか、忘れようとしても忘れられないよ?だって、ほら。あの時のブランメラ、完全に僕を仕留めに来てたじゃん。」
「んんっ。まぁ、それに関しては申し訳ないと思ってるわよ。でも、そこじゃない。あの時に私がイライラした原因のスライムみたいなやつ。それを覚えてるか聞きたいの。」
「あぁ、覚えてるよ。あの黒い玉虫色のタールみたいにベタベタしたものだよね。」
「そうそう、トランクについていた断片から異様な魔力があふれてて…もしかしたら、あのスライムは何か特殊な個体なのかも。」
「…ほう。面白いじゃん。」
「それで、ソフィアにはそのスライムを探してもらいたいの。もしかしたら、本体に近づけたらその断片も取れるんじゃないかなって思って。」
「あぁ、それは一理あるかもね。…よし、探してみようか。」
ブランメラにトランクを持ってきてもらった。確かに、所々黒い塊がこびりついている。フィオナも話し声が聞こえていたようで見物に来ていた。
「…確かに、異常な魔力だな。私たち魔物娘のものとも違うが…こんなパターンは初めて見たな。」
「やっぱりそうよね。レストランにもいろんな魔物や魔物娘が来ていたけど、こんな魔力は感じたことないのよね。」
「これもペンダントで追跡できそうかな。」
「問題ないとは思うが…うまく働くといいな。」
トランクについた黒い塊にペンダントを掲げると、あのスライムと同じ色の魔力の流れがペンダントに吸い込まれていった。
「これでいけるかな。…よし、じゃあ探しに行ってくるね。」
「ありがとう、ソフィア。わがまま聞いてもらってごめんなさい。」
「いいよー、別に。だって、もしかしたら新しい魔物娘に出会えるかもしれないんだもん。」
「私も一緒に行こう。万が一があっては危ないからな。」
「じゃあ、二人とも、気を付けていってきてね。何か、美味しいものを作っておくわ。」
ペンダントに導かれた先は、ブランメラを発見した雑木林。どうやら、あのスライムはさほど遠くへ行っていないらしい。
「ん…あんまり場所が変わっていないみたい。そんなに遠くまで動けないのかな。」
「どうだろう、私は話しか聞いていないから何とも言えないな…。」
「こっちの方かな…。」
ペンダントの指し示すままに雑木林の奥へ入り込んでいくと、ある倒木の前でペンダントが激しく揺れ動いた。
「ここ?何もなさそうだけど…」
「いや、この中だ。ソフィア、倒木の中にいるんじゃないか。」
「なるほど、そういうことか。」
ソフィアが倒木の中を覗き込むと、奥の方で何かが輝いていた。一瞬黄金色の何かが見えたような気がしたが、それはふっと消え去り、残っていたのは玉虫色に輝く黒い塊―今回の捜索対象だ。
「あ、やっと出会えた。こんなところにいたんだ。ねぇ、フィオナ、この子どう思う?」
「…スライム、のように見えなくはないが…もっと異質の何かのように感じるな。」
「なるほどねぇ…まぁ、無事に発見できたし、この子を一旦拠点に連れて帰ろうよ。」
「そうだな。もしかしたら何日間も何も摂取していない可能性があるしな。」
なんとか倒木の中から掬い上げ、持参した特別なケースの中に移した。意外と触ってもベタつくことなく、手に僅かに吸い付くような感触だけだった。実際、手には何も残っていない。
「あれ、意外とベタベタしてない。もっと引っ付くかと。」
「もしかしたらブランメラの予想が当たっていて、本体に吸収されたんじゃないか?」
「あぁ、そういう可能性もあるのか。まぁ、いずれにせよこれでミッション完了だ。」
拠点に連れて帰り、ブランメラのトランクに試してみようと思ったが、ブランメラの姿が見えない。それどころか、ノクティアとリオスの姿も見えない。
「あれ…?みんなどこに行っちゃったんだろう。」
「何か重大なことでもあったのか?」
とりあえず、連れ帰ってきたスライム(仮)を研究室に安置して他の皆を探すことになった。ただ、ここを無人にするのも不安が残る。今後、このスライム(仮)がどうなるかわからない。
「…あの、よかったら私が見ておこうか?」
「トレジア、君は残ってたんだね。よかった。お願いしてもいいかな。」
「うん…いいよ。それと、ノクティアとリオスは初めて見た悪魔娘に呼ばれて行っちゃった。リヴィエルにゼビリアもいたから、だいぶ偉い悪魔だと思う…。」
「そっか、ありがとう。おかげで向かうべき場所が分かったよ。」
「気を付けてね。あの子のことはちゃんと見ておくから。」
「ありがとう、じゃあ行ってくるね。」
ソフィアはフィオナと共に紅蓮火山区を訪れた。ここ最近〈暴食班〉が開発を進めていた区域だ。かなり高温だが、広い空間になっているので熱はあまりこもってなく、耐えられるぐらいにはなっている。今回の目的地は〈パンデモニウム区〉、この紅蓮火山区の中枢となる予定の場所だ。〈暴食班〉が少しずつ資材を持って行っていたことからも、ここの整備が進んでいると考えられる。
「ねぇ、フィオナ。二人を連れて行った魔物娘って…。」
「十中八九アスモデウス娘だろうな。ノクティアとリオス、サキュバスとインキュバスという種族の本質にあるものを司っているからな。ベルフェゴール娘の可能性もあるが、まぁ、あっちは怠惰な性格だからわざわざそんなことはしないだろう。」
「だよね。ゼビリアとリヴィエルもいたことを考えるとそんな気がする。多分、ブランメラとフリッタは会食の料理を作るために駆り出されてるんじゃないかな。」
「それが、一番自然だろうな。」
火山の中を歩き続けていると、黄金に輝く建物が見えてきた。どうやら、あそこが今回の終着点のようだ。
近づくと、建物の前の庭らしきところに大きな机が置かれ、そこにみんなの姿が見えた。ノクティア、リオス、リヴィエル、ゼビリア、そしてまだ名を知らない魔物娘。燃えるような赤い髪に真紅のドレス。彼女こそが、二人を連れて行った悪魔娘だ。
「やぁ、ソフィアにフィオナ。わざわざこんなところまでどうしたの?」
「…っ、ソフィア?来てくれたの?」
「うん、トレジアから二人が高位の悪魔娘に呼ばれていったって聞いて。」
「えぇ、その通り。私が呼び出したの。」
「…僕はソフィア・ノヴァと言います。お名前をお伺いしても?」
「ふふ、いいわよ。答えてあげる。」
悪魔娘は手に持ったワイングラスをテーブルに置き、椅子から立ち上がった。そして、その翼を大きく広げて声高に名乗った。
「私はアスモデウス娘のモディナ。『色欲』を司る悪魔よ。」
「ありがとうございます。それで、本日はどのような用件で?」
モディナは少し面食らったようだが、平静を装って椅子に座り、隣の席のリヴィエルに耳打ちした。
「…ねぇ、この子、私の名前を聞いても全く動揺しないんだけど。」
「まぁ、ソフィアはそういう人だからね。」
「そうそう、この前はモニカに絡まれてたしね。」
「え、モニカに?…確かに、あれだけ強烈なのに絡まれてたらそうなるのかしら…」
「あの、ご用件を…」
「あぁ、そうだったわね。ごめんなさい。今日はね、二人に教育をしに来たの。」
「教育?」
「えぇ、二人とも夢魔なのにその能力を使っていないそうじゃない。そんなのだと腕がなまっちゃうわ。」
ノクティアとリオスの方を見ると、二人ともうつむいてしまっている。特にノクティアは、唇が固く結ばれ、目にうっすら光るものが見える。
「申し訳ありませんが、そのご要件にはお答えしかねます。」
モディナの目の色が変わった。こちらを試すように、心の奥まで見透かされるような目だ。
「…それはなぜ?」
「確かに、あなたの言う通り二人は夢魔としての性質を使っていないでしょう。ですが、ノクティアもリオスも、それぞれ自分の夢を目指して進んでいます。ですが、実はノクティアはリオスのために夢を諦めようとしていました。」
ノクティアの肩が微かに震えた。
「ですが、彼女からその話を聞いた僕は納得できませんでした。確かに、リオスのために夢を諦める。それは、リオスを食べさせるために必要だったかもしれませんが、それで彼女は喜ぶのでしょうか。僕は、そうは思えませんでした。だから、二人をこの島に招待したんです。ここ《箱庭》では、誰もが自分のありたいようにできる。ノクティアは作家を目指して執筆できるし、リオスは大好きな姉の作った物語を聞ける。そういう空間なんです、ここは。…なので、申し訳ありませんが、あなたの要請をこの《箱庭》の管理人として、そして何より、二人の友人として、受け入れることはできません。」
僕の話を聞き終えた後、モディナは深く考えていた。そして、口を開いた。
「熱く語ってくれたところ悪いけど、受け入れてもらうわよ。」
「そんな…何故ですか?」
「申し訳ないけど、その理由じゃ私は納得できないわ。」
沈黙が訪れる。ノクティアの指が白くなるほど、手が硬く膝の上で握られている。
「…まぁ、あまりに突然のことだったから、急に納得させろって言われても無理よね。そうねぇ…明日また来るから、それまでに私が納得いくような理由を用意して頂戴。」
そう言い残すと、モディナはブランメラとフリッタにごちそうさま、とだけ言って消えてしまった。
「…さて、ソフィア。ここからどうする?モディナはだいぶ手ごわいよ?」
珍しく、ゼビリアの声に明るさがない。真剣なようだ。
「…もちろん、無策じゃない。でも、賭けになるかも。」
「へぇ…当てがあるんだ?」
「うん…彼女なら力になってくれると思う。」
「彼女?」
「『探し物の達人』だよ。彼女なら、『モディナが納得できる理由』を一緒に探してくれると思う。」
「探し物の達人」、そのフレーズを聞いた瞬間、高位悪魔二人の目の色が変わった。ゼビリアの声にいつもの揶揄うような色が見えた。
「へぇ、面白いじゃん。彼女の力を借りるんだね。」
「うん、彼女ならどうにかしてくれるんじゃないかなって。」
「『彼女』…?私たちを助けてくれる人がいるんですか?」
「うん、ノクティアのことも、リオスちゃんのことも助ける方法を見つけてくれる人。」
再び、骨董店のオークションに来たソフィア。
「あの店主、一体どれだけため込んでたんだ…まだオークションやってるとか。…まぁ、今回はありがたいかな。」
会場を見渡したソフィアは、すぐに目的の人を見つけた。彼女がここにいないはずがなかったのだ。フードを目深にかぶり、フェイスベールを着けている占い師のような女性。
「んんっ、すみません。『探し物の達人』と噂されているあなたに探してほしいものがあるのですが。」
「…えぇ、構いませんが…。キッチリ対価は払ってもらいますよ?」
「もちろん、今回はちゃんと払うよ。だから、力を貸して…モニカ。」
○リヴィエルのざっくり解説コーナー
はぁ、全くソフィアったら、後先考えずに行動するんだから…。それもこれもモディナが急にあんなこと言いだしたからなのよね…。
改めて、モディナはアスモデウス娘。私たちと同じく、七つの大罪を司る悪魔で、彼女の管轄は『色欲』。だから、よくサキュバスやインキュバスには尊敬されているわね。そんな中、ノクティアとリオスっていうイレギュラーが現れたから、彼女的には納得いかなかったみたいね。それであんな強硬策に…。普段はあんなのじゃないんだけどねぇ…。
それにしてもソフィア、絶対頼りにしてる人ってモニカのことよね…。なんで私に頼ってくれないのかしら。
何?ゼビリア。え、目が緑になってるって?…っ、仕方ないじゃない!もっと私のことも頼ってほしいじゃないのよ。もう!




