16話~ミルフィーユ、捕まる~
その夜、私は必死に飛び続けていた。
暗い夜空は、昼間よりもさらに広く感じる。
どこへ向かっているのかすら分からない。
ただ恐怖に怯え、ボウルとの別れを思い出しては涙が溢れ、羽ばたくしかなかった。
――気付けば、私は崖の中腹にある小さな洞穴の中で目を覚ましていた。
疲れ切った体が、無意識にその穴へ逃げ込み、そのまま眠ってしまっていたのだ。
泣きすぎたせいで、頭がガンガンする。
喉も渇いていて、私はふらりと洞穴の外に出た。
太陽さんが、変わらず空から眩しく微笑んでくれる。
その光に包まれながら、私はぽつりと呟いた。
「……太陽さんだけだね。私のそばにずっといてくれるのは。」
そう言いながら羽ばたき、近くを流れる川へ降り立つ。
冷たい水に顔を突っ込み、夢中で喉を潤した。
「ボウル……」
ボウルは今、どうしているんだろう?
胸の奥が、ぎゅっと痛んだ。
――嫌われてもいい。
――怒られてもいい。
それでも、ボウルの声が聞きたい。
ボウルの顔が見たい。
そう願って、私はまた飛び始める。
ボウルと別れたあの場所を探して。
低く、低く、羽を必死に動かしながら……。
空を飛び続けて、どれほど経っただろう。
ようやく見覚えのある真っ白な街が視界に映った。
ジールド・ルーンの城下町。
昨晩、私たちが眠った場所だ。
あの街の近くの森に、きっとボウルがいる。
私は森を探し、やがて木々の間にそれを見つけ、羽ばたいて中へ入っていった。
すると――すぐにボウルの姿が目に飛び込んできた。
草の上に、うつ伏せで倒れている。
「ボウル!!」
私は声を張り上げ、真っ直ぐに彼のもとへ飛んでいった。
けれど、近づいた途端、違和感に気付く。
切断された左足の出血はすでに止まっている。
背中には、突き刺さった長い棒が突き出ていて、その根元は血で真っ赤に染まっていた。
顔の毛並みも、いつもの艶やかさを失い、ぼさぼさになっている。
「……ボウル?」
私は恐る恐る呼びかけ、体を揺さぶった。
けれど、ボウルの体は冷たく、固くなっていた。
「ボウル?」
もう一度呼んで、少し強めに揺さぶる。
でも、やっぱり何の反応も返ってこない。
……もしかして、私が戻ってきたから怒ってるの?
嫌われたから、無視してるの?
私は揺さぶっても答えてくれないボウルを見ながら、最初に一緒に暮らしたディアンヌのことを思い出した。
あのときも、ディアンヌに無視されていた。
無視されるのは――怒られるよりも、ずっと辛い。
ポタリ――。
ボウルを揺さぶる私の瞳から、涙がこぼれ落ちる。
「ボウルゥ……!」
ガサッ!
返事をしてくれないボウルに気を取られていたその隙に、後ろから突然、誰かに抱き上げられた。
「!?」
一瞬、何が起こったのか分からず、私は声を失う。
「わはははは! やった……やったぞ! 赤竜のガキを捕まえた!!」
その声を聞いて、すぐに理解した。
――昨日の犯罪者だ。
「離して! ボウルとお話しするの!」
必死にもがくけれど、その腕は痛いほど強く、抜け出すことはできない。
いつも誰かに抱き上げてもらうときの優しさなんて、そこにはまるでなかった。
「昨日の狼の反応を見て確信したんだ。お前は絶対に戻ってくるってな!」
男は笑いながら、私の首に奴隷の首輪をはめた。
「ボウル、逃げて! ボウル、起きて!!」
私の叫びは虚しく森にこだまし、木々に吸い込まれていくだけだった。
こうして私は、ご機嫌な男の腕に抱えられたまま――連れ去られてしまった。
* * *
その後、私はジールド・ルーンの街のどこかの民家に閉じ込められていた。
首輪をはめられ、鉄の檻の中に入れられたまま。
犯罪者の男は、私の目の届く場所で椅子に座り、分厚い本を読んでいる。
私は檻の中でシクシクと泣き続けていた。
「ほぅ……飛翔能力に夜目、嗅覚も聴覚も優れている……。
赤竜の吐く炎は岩すら一瞬で灰にし、尻尾は巨大熊を一撃で仕留める筋肉の塊。
皮膚硬化すれば、鰐の牙すら砕くほどの強度……さらに筋力も魔力量もすべての生物を凌駕する……だってよ! 化けもんだなぁ」
「化けもんじゃないもん……。ボウル……」
泣きながら答える私に、男はニヤリと笑った。
「お前にあの狼なんて必要ねぇだろ? お前と比べりゃ、ただの格下の生き物だ」
男は読んでいた本を机に置き、伸びをしながら続ける。
「……ま、あいつには感謝してやらねぇとな。
ツレを2人も殺ってくれたおかげで、取り分は全部オレのもんだ。
奴隷商人に売るのもいいが、どうせならオークションにかけてやった方が儲かる。
――で? お前、どこまで赤竜の特性を持ってる?」
「知らない! 大嫌い!!」
私は心の中で、この男だけは絶対に許さないと誓った。
友達を殺されて喜ぶなんて、普通じゃない。
ボウルをいじめて笑うなんて、絶対に許せない。
「ほう? そうかい? なら試すだけだ」
男はトンカチを手に取り、私の腕を乱暴に掴む。
「皮膚硬化できなきゃ、痛いぞ?」
ニヤニヤと笑いながら、トンカチを振り下ろした。
ドスッ。
鈍い音とともに、私の腕に衝撃が走る。
「ひっ……!」
思わず悲鳴をあげる私を見て、男は愉快そうに口を歪めた。
「なんだ? 硬化できねぇのか。もう一発いってみるか?」
――ボウルも、こんな風に痛めつけられたのかな……?
プチン。
その瞬間、私の中で何かが弾けた。
――もう、みんな大嫌い!!!
私の体から突然、透明な膜のようなものがあふれ出す。
バシュンッ!
檻が粉々に砕け、犯罪者の体は宙を舞って壁に叩きつけられた。
「ま、魔力……衝撃波……だと……?」
血を吐きながら、男はかすれた声を残す。
私の全身からあふれ出す力は、瞬く間に膨れ上がり、犯罪者のいた家をもろともに吹き飛ばした。
その奔流は止まることなく拡大し、私は宙に持ち上げられたまま、街のど真ん中で注目を浴びていた。
「嫌い、嫌い、嫌い、嫌い……嫌いっ!!」
私は目につくすべてが嫌になっていた。
いつも側にいるのに、助けてはくれない太陽さん。
私を無視するボウル。
ボウルや私をいたぶった犯罪者。
白くて綺麗な街並みも、強くて優しいはずの聖騎士様も……
結局みんな、私の気持ちなんて関係なく、苦しむ私を見ても気にも留めず、楽しい毎日を送っている。
――みんな、この膜に押し潰されてしまえばいい!
生まれて初めて、心の底から怒りに燃えた。
生まれて初めて、破壊衝動に身を委ねた。
ドンッ!
突然、私の膜が一方向から強く押し返される。
視線を向けると、ひとりの綺麗なお姉さんが、私と同じ膜を張り、ぶつけてきていた。
その隣にはシリアと、シノちゃんの姿。
シリアは必死の表情で、お姉さんに叫んでいた。
「綾菜、早く眠りの魔法を!!」
「おいたをする幼児を寝かし付けて黙らせる……そんな無責任な大人の対応、できるわけないでしょ!」
「え……?」
綾菜の言葉に、私は一瞬で力が抜けた。
人を傷つけ、家を吹き飛ばした私を――彼女は「おいたする幼児」と言った。
気の抜けた私の膜は、綾菜の放った膜に押し戻され、パァン!と大きな音を立てて弾け飛んだ。
膜が消えた私は、力なく地面へと落ちていった。
「シノちゃん!」
「デス!」
綾菜が叫ぶと、シノちゃんは私の真下まで駆け寄り、落ちてきた私の体をしっかりと抱き止めてくれた。
「ありがとう……」
私はシノちゃんに礼を言い、綾菜を見上げる。
彼女は地面にしゃがみ込み、ゼエゼエと息を切らしていた。
シリアがすぐに近づき、手を添えて魔法を唱える。
「だから眠りの魔法をって言ったんですよ。魔力衝撃波なんて、非効率的で危ないことはもうやめてくださいね。」
お説教混じりの声。綾菜はその魔法を受けて息を整え、再びこちらへと歩み寄ってきた。
キィンッ!
力なく振るった私の右手を、綾菜は腰のレイピアで受け止める。
体が少しよろめきながらも、彼女は笑みを崩さなかった。
「ぶたないで……」
私は震える声で訴えた。
「どうしてぶたれると思ったの?」
穏やかな声。
「私が……化け物だから……」
涙混じりに口にした言葉は、自分でも意味が分からなかった。
「可愛い化け物ね。――でも、私のほうが化け物よ?」
綾菜は小さく笑い、私の首にかけられていた奴隷の首輪を外してくれた。
「あら、可愛い!」
顔を覗き込んだ瞬間、綾菜の瞳がきらきらと輝く。
「綾菜の病気が始まったデス……」
シノちゃんがため息混じりに呟く。
「シノちゃん、ちょっと抱っこさせて!」
その願いに、シノちゃんは無言で私を預けた。
綾菜は私を強く抱きしめ、頬をすり寄せて、満足そうに笑う。
女の人に抱きしめられるのは、なんだか久しぶりな気がする。
その温もりに、私は少しだけ安心した。
「む~……ねぇ、シリア。可愛い子が2人揃ったら、お揃いの服を着せてみたくならない?」
「ならないデス。そもそも、私は成人デス。」
即答するシノちゃんだったが、あっさりと綾菜に捕まる。
「シリア。私、ちょっと疲れたみたい。そこの誘拐犯の処理、任せてもいい?」
「どうぞ。」
「ありがとう!」
綾菜は私とシノちゃんを抱えたまま走り出した。
「ちょっ、綾菜!そっちは家じゃないデス!!商店街デス!!」
シノちゃんのツッコミも虚しく、綾菜の足は止まらない。
「シリア!ここにも誘拐犯がいるデス!!」
シノちゃんの叫びが、夕暮れの空に響き渡る。
――こうして、私の新しい生活が始まりつつあった。




