ロマンス過多で死にそう――貴族学園でパン生地より薄い命綱
「あなた、魂の形が素敵ね。とても、とても美しいわ……」
うっとりとした声で、目の前にいる絶世の美女がそんなことを囁く。
誰?
というか、ここどこ?
私の最後の記憶は、夜道で通り魔に……思い出すのはやめよう。
少なくとも、私は一度死んだはずだ。
「せっかくだから、あなたにはとびっきりの幸せをプレゼントするわね!」
女神と名乗った彼女がそう言うと、私の意識は光に包まれて遠のいていった。
◇◇◇◇
そうして私が転生したのは、リナリア・ブレッドという名のパン屋の娘だった。
石畳の道に馬車が行き交う、中世ヨーロッパ風の世界。
正直、現代日本の便利な生活に慣れきっていた私には、なかなかにハードな環境だ。
トイレは汲み取り式だし、お風呂は週に一度。
娯楽なんてほとんどない。
(これは……早々に心が折れそう……)
だけど、嘆いてばかりもいられない。
幸いだったのは、転生先がパン屋だったこと。
前世で趣味だったパン作りの知識がここで花開いた。
「お父さん、果物や穀物から起こす『自然酵母』を使ってみない?」
この世界では一般的ではなかったその製法は、パンに風味と柔らかさをもたらした。
私の提案で作ったパンは、瞬く間に街で評判になった。
父の職人技と私の知識が合わさる。
うちの『ブレッドパン』は王都で一番とまで言われるようになったのだ!
そして、店の経営が軌道に乗り、弟たちに後を任せられるようになった頃。
私の功績が王家の耳にまで届いたらしい。
「リナリア=ブレッドに、王立学園への特待生入学を許可する」
王宮からの使者がそう告げたとき、私はあんぐりと口を開けるしかなかった。
王立学園といえば、貴族の子弟が通う最高学府。
そこに、パン屋の、娘が?
まったく意味が分からなかったが、父も母も大喜びだし、王宮の好意など断れない。
こうして私は、貴族だらけの学園に通うことになったのだった。
◇◇◇◇
案の定、学園に通い始めると、私は好奇の目にさらされた。
「あの娘が、パン屋の特待生?」
「平民が、なぜここに……」
そんな囁きが聞こえてくるけれど、思ったより意地悪をされることはなかった。
住む世界が違いすぎて、逆に興味の対象にすらならないのかもしれない。
それに、私にはすぐに友人ができた。
「君がリナリアさんだね。筆記試験、僕より成績が良かったろう? 一体どんな勉強をしてるんだい?」
そう気さくに話しかけてくれたのは、アラン=フィーノくん。
準男爵家の令息で、学年次席の秀才だ。
準男爵というのは一代限りの貴族で、彼の代でまた平民に戻るらしい。
だからだろうか、彼は貴族ぶったところがなく、とても話しやすい。
「勉強って言っても、昔……ちょっと本を読むのが好きだっただけだよ」
「それでもすごいよ。良かったら、今度一緒に図書館で勉強しないかい?」
アランくんは太陽みたいに笑う。
彼との時間は穏やかで、学園での癒やしだった。
(もしかしたら、彼とこのまま仲良くなって、卒業したら結婚……なんてこともあるのかなぁ)
そんな淡い期待を抱き始めた、ある日のこと。
「君が、噂の特待生か」
凛とした声に振り返ると、そこに立っていたのは息を呑むほどに精悍な青年。
彼はガイウス=フォルティス。
騎士団長の息子で、剣術においては学園で右に出る者はいない。
燃えるような赤い髪に、鋭い金の瞳。
いかにも武人、といった雰囲気だ。
「筆記はどうも苦手でな。君が首席だと聞いた。少し勉強を教えてくれないか?」
あまりにも真っ直ぐな瞳に、私はたじろぐ。
「え、えっと……私でよければ……」
「助かる! では、放課後、中庭で待っている!」
そう一方的に告げると、彼は嵐のように去っていった。
(な、なんだ今の……? 騎士団長の御曹司が、平民の私に勉強を……?)
よく分からないまま、私はアランくんに事情を話して、放課後に中庭へと向かった。
それからというもの、ガイウス様はことあるごとに私に声をかけてくるようになった。
はじめは、勉強を教えるだけだったはず。
しかし、いつの間にか彼の剣術の稽古を見学させられたり、街へ買い物に誘われたり……。
距離がやけに近い。
「リナリアが淹れてくれるお茶は、世界一美味いな!」
「リナリアが作ったパンは、どんなご馳走よりも力が出る!」
彼はいつも、全力で私を褒める。
その好意はあまりにも明け透けで、周囲の生徒たちもざわつき始めた。
(いやいやいや、待って! これ以上はまずい!)
私は必死に彼を避けようとする。
けれど、彼はそんなのお構いなしに、ぐいぐいと距離を詰めてくるのだ。
「なぜ俺を避けるんだ、リナリア!」
「そ、それは……身分が違いますから……」
「身分など関係ない! 俺は、君のそのひたむきな姿に惹かれたんだ!」
ある日、ついに彼は私の腕を掴んで、熱っぽくそう宣言した。
「君を誰にも渡したくない! 俺のそばにいてくれ!」
(こいつ、イカれてるのか!?)
私の心の声が、喉から飛び出しそうになる。
騎士団長の息子が、平民のパン屋の娘に告白!?
しかも学園のど真ん中で!
ありえない! 絶対にありえない!
もし彼を篭絡しようとする娘と認定されたら、私は路地裏に連れ込まれて……
なんて恐ろしい想像が頭をよぎる!
(身分差を考えろ! 私が暗殺されかねないんだぞ!)
恐怖で顔が青ざめる私に、ガイウス様はさらに畳みかけてくる。
もう、どうしたらいいのか分からない……!
◇◇◇◇
ガイウス様の猛アタックに頭を悩ませる日々は、さらなる混乱を極めることになった。
「君がリナリアか。面白い娘がいると聞いてね」
ある日の昼休み、柔らかな声が降ってきた。
見上げると、そこにいたのは。
この国の第一王子、レオ=ルークス=クライス殿下その人だった。
陽の光を反射して輝く金髪に、空の色を閉じ込めたような青い瞳。
物語から抜け出してきたような完璧な美貌。
周囲の令嬢たちがうっとりとため息をついている。
(恐れ多い! 近寄らないでください!)
心の中で絶叫しながら、私は慌てて立ち上がり、最敬礼をした。
「お初にお目にかかります、リナリアと申します」
「ああ、そんなに固くならないで。君が考案したというパン、城でも評判なんだ。今度、作り方を教えてくれるかな?」
にこりと微笑む王子は、信じられないほど友好的だった。
それからというもの、なぜか王子まで私に関わってくるようになった。
図書館にいれば「どんな本を読んでいるんだい?」と隣に座る。
食堂にいれば「そこの席、空いているかな?」と相席してくる。
そして、私のやることなすこと、すべてを好意的に解釈するのだ。
「君の意見は斬新で面白い。いつも僕を驚かせてくれる」
「君と話していると、心が安らぐようだ」
だんだんと、その視線に熱がこもっていくのが分かって、私の胃はキリキリと痛み始めた。
そして、ついにその日はやってきた。
「リナリア。君以外の人を妃に迎えるなんて、考えられないよ」
二人きりになった図書室の隅で、王子は真剣な顔でそう告げた。
(何考えてるんだ、この人たちは!? 揃いも揃って、私を殺したいのか!?)
憤りで体が震える。
でも、相手は国の王子様だ。
邪険にできるわけがない。
私が言葉に詰まっていると、そこに血相を変えたガイウス様が飛び込んできた。
「殿下! リナリアに何をなさるおつもりですか!」
「おや、ガイウス。見ての通りだが?」
「リナリアは俺のものです! 殿下であろうと渡しません!」
「ほう? 力で奪ってみるかい?」
次の瞬間、二人は訓練用の剣を抜き、中庭で決闘を始めてしまった。
生徒たちが遠巻きに見守る中、火花が散る。
(やめてええええええ!)
私の悲鳴も虚しく、事態はさらに悪化する。
「二人とも! どんなに身分が上の人にも、リナリアは渡しません!」
なんと、いつもは穏やかなアランくんまでが二人の間に割って入って叫んだ。
(お前もか! お前も消されかねないからおとなしくしてろよ!)
もうパニックだ。
イケメン三人が私を取り合って争うなんて、乙女の夢かもしれないけれど……
現実は地獄でしかない。
最近では、クールでイケメンと話題の算術のシリウス先生まで、何かと理由をつけて私に話しかけてくる始末。
私の胃は、もう限界だった。
そんな騒動の真っ只中。
ついに、ラスボスが登場した。
「あなた、平民のパン屋ふぜいが、レオ様やガイウス様に色目を使うなどと……! 身分の違いを分かっているの!?」
腰に手を当て、私を睨みつけてきたのは、公爵令嬢のロザリア=ホーエン様。
きつく巻かれた縦ロールの髪に、扇子を構えて言い放つ。
彼女の言うことは、あまりにも正論だった。
(はい! その通りです! 私もそう思ってるんです! でもどうすれば……!)
心の中で激しく同意しながら、私は涙目で彼女の前にひざまずいた。
「も、申し訳ありません! すべて私の不徳の致すところで……!」
ただひたすらに、平謝りするしかなかった。
私のあまりの必死さに、逆に毒気を抜かれたのだろうか。
ロザリア様は私の顔を上から下まで値踏みするように眺めている。
そして、突然、奇妙な声を上げた。
「ふあぁっ!!」
え?
予想外の声に顔を上げると、ロザリア様は頬をほんのり上気させている。
キラキラした目で私を見下ろしていた。
「で、でも、あなた可愛いから許しちゃいますわ! そうですわ、いいことを思いつきました! うちのメイドとして働きませんこと!?」
「…………へ?」
開いた口が塞がらない。
叱責され、罵倒される覚悟はできていた。
しかし、まさかスカウトされるなんて。
(もう、何がどうなったらそうなるんだ!?)
王子に求婚され、騎士に決闘され。
今度は悪役令嬢にメイドとしてスカウトされる。
私の運命はどこへ向かっているのか……
もう、誰か助けて……
◇◇◇◇女神視点
天界の、雲の上に広がる神々の庭園。
私、女神アウローラはきらきらと輝く水鏡を覗き込み、下界の様子を見ていた。
「きゃー! リナリア、すごいすごい!」
水鏡に映っているのは、私が転生させた愛しい魂を持つ子、リナリア。
通り魔に刺されて私の元へ来た彼女の、魂の美しさに一目で魅了されてしまった。
純粋で、温かくて、それでいて強い光を放つ、水晶のような魂。
「この子には、絶対に幸せになってほしいわ!」
そう決心した私は、彼女に最高のプレゼントをあげることにした。
日本人女性なら誰もが憧れるという、乙女ゲームの世界への転生だ。
その名も『ドリーム・キングダム・シンフォニー』!
その主人公として、彼女を転生させたのだ。
パン屋を盛り立てる彼女の姿に、私は「頑張れー!」とポンポンを振って応援した。
そして、彼女が学園に入学して攻略対象の準男爵令息のアランと仲良くなる。
それを見て、私は閃いた。
「せっかくだもの。一人だけじゃなくて、みんなに好かれたほうがもっと幸せよね!」
良かれと思って、私はちょっぴり運命の糸をいじってみた。
このゲームの全キャラクターから愛される『ハーレムエンド』
そのルートに進むように、そっと導いてあげたのだ。
すると、どうでしょう!
騎士団長令息のガイウスも、王子のレオも、果てはクールな算術教師のシリウスまで、みんなリナリアのことが大好きになっていく。
「いいじゃん、いいじゃん! モテモテよ、リナリア!」
私は大喜びで水鏡を見ていた。
なのになぜかリナリアは青い顔で胃を押さえたり、逃げるように走り回ったり……
どうしてあんなに焦っているのかしら?
不満そうな顔もするし……
女の子は、イケメンに囲まれるのが好きなんでしょう?
すると、このゲームの悪役令嬢、ロザリアがリナリアに突っかかるのが見えた。
――まあ、失礼しちゃう!
私はぷうっと頬を膨らませる。
「あの子、リナリアの素敵な魂を見れば、きっと意地悪なんてやめるはずよ!」
いっそのこと、このロザリアもリナリアの魅力に気づいて、大好きになるように運命を書き換えちゃおうかしら?
うん、それがいいわ!
女の子同士の友情も、きっと素敵よね!
そう思い、私はちょちょっと運命を操作した。
……でも、あんまりゲームの展開を変えすぎるのも、リナリアのためにならないのかしら?
女神である私は、水鏡の前でうーんと腕を組む。
――リナリアの胃痛の日々はまだまだ続きそうなのだった。
★登場人物紹介★
リナリア・ブレッド
『歩くイケメンホイホイ』
本作の主人公。前世の知識を活かして実家を大繁盛させた苦労人。そのせいで貴族学園に放り込まれ、日々イケメンからの殺意求愛に晒される羽目に。乙女ゲームをプレイしていないばかりに、求愛から本気で暗殺を心配する常識人。
アラン=フィーノ
『爽やか系ヤンデレ』
学園で最初にできた、太陽みたいな笑顔の友人。癒やし枠…だったのは遠い昔。王子や騎士がリナリアに群がり始めると突如覚醒。爽やかな顔で恋愛デスマッチに参戦する隠れ闘争心の塊。
ガイウス=フォルティス
『好意過積載ダンプカー』
騎士団長の息子で、筋肉と熱血でできた男。リナリアへの好意を隠すという概念がない。「好きだ!」「美味い!」「俺のそばにいろ!」と常に大声で愛を叫ぶ。
彼の接近はリナリアにとって不審者情報レベルの恐怖。
レオ=ルークス=クライス
『笑顔の最終兵器』
この国の第一王子。キラキラの金髪と完璧なスマイルで外堀を埋め立ててくるラスボス。「君以外を妃に迎えるなんて考えられないよ(ニッコリ)」の一言で、リナリアを恐怖のどん底に突き落とす。
ロザリア=ホーエン
『求婚ではなく求人』
縦ロールに扇子がトレードマークの、ザ・悪役令嬢。リナリアをいびりに来たはずが、恐怖で涙目の主人公を見て「ふあぁっ!!」と謎の扉を開き、まさかの陥落。
女神アウローラ
『究極の推し活エンジョイ勢』
リナリアを転生させた女神様。彼女の魂の美しさに心酔し、「せっかくだから最高の幸せをあげるわね♡」と逆ハーレムルートに強制設定した張本人。下界でリナリアが逃げ惑う姿を、天界から「きゃー!モテモテで素敵ー!」とポップコーン片手に応援している、この物語最大の邪神。