3話「記憶喪失」
結局何語なんでしょう?
右斜め後方から誰かの声が聞こえてきた。声が聞こえたと思ったと同時に、その声の方向から急に突風が吹き、怪物を飛ばした。
怪物は飛ばされたのちに木に激突して少し絶叫した。怪物は痛みのせいか、すぐには立ち上がれなかった。声の主はまだ判明していない。
「ジャック・クルゥッ」
再び声が聞こえた。その瞬間、白髪の少年が駆けてきて俺の前を通り過ぎた。少年はそのままの足で倒れている怪物の前に行った。
少年は怪物の前に立つなり、腰に携えていた剣を鞘から抜いた。剣は木漏れ日に当たり輝きを放った。少年は剣を振り上げた。剣は振り上げられたのち、すぐに怪物のもとへと振り下ろされる。剣は同時に二本の首を切断した。これらは、ほんの一瞬の出来事だった。
怪物の身体から頭が落ちる。首の切断面からは夥しい量の血液が噴き出し、地面には血だまりができていた。血液の一部は少年に降りかかった。しかし少年は動じない。顔や服、きれいな白髪までもが血まみれになってもなお、怪物の前に居続けた。
よく見ると、首のない怪物の胴体がまだ少しぴくぴくと痙攣していた。少年は剣の握り方を変えると痙攣している怪物の胴体にめがけて剣を刺し下ろした。剣は怪物の皮膚を突き破り体内へと入っていく。同時に、「ぱりん」という音がした。そして、怪物の痙攣は収まった。たぶん、怪物は完全に絶命した。
近くに転がっていた怪物の四つの目はどこか空虚を見ていた。さっきまで俺を獲物として捕らえていた怪物の目にはもう光がなかった。
「デュド・ヤエ・スピュルート?」
黒髪の男性やってきて犬の死体に近づく。男性も腰に剣を携えていた。白髪の少年の仲間かなんかだろうか。
彼が何を言っているのかは聞き取れなかった。俺のリスニング能力の影響ではなさそうだ。確実に日本語ではなかった。男性の見た目も、日本人には見えなかった。異国人の狩猟をやっている方だろうか。
「ヨス・ウブ・ローコ」
白髪の少年が答える。英語でもなさそうだ。
二人は死体の回収を始めた。怪物の皮をはぎ、それを麻でできた袋に入れていく。また、手を、剣を刺したところから怪物の体内に突っ込み、中から赤色に鮮やかに発色する宝石のようなものを取り出した。いあったい、あれは何なのだろう。
俺が唖然として彼らを見ていると、突然後ろから声をかけられた。
「イロ・ヤエ・アキィ?」
女性の声だった。意味は解らないが、俺に対しての言葉のようだったので振り返る。
「あ、ありがとうござい……」
そこにはとても可愛らしい赤髪の少女がいた。年齢は俺より少し幼いだろうか。きれいな赤い髪を後頭部で束ねて留めていた。服装は普段日本で見るようなものとは違っていた。
「イロ・ヤエ・アキィ?」
何再び何かを俺に伝えようとしている。
「え、えーと」
でも、何を言っているのかがわからないのでどう反応すれば良いのかがわからない。相手の言語がわからない中、俺が何かを発しても伝わらないと思った。
「ミィボ・ヤエ・ダント・エンドォースゥティンド・ジュ・リィンゲィゴォ?」
彼女は俺に何かを必死に伝えようとしてくれている。でも本当に分からない。集中して聞いてみたが、やはり分からなかった。記憶喪失の上に、言語も通じないなんて、どうしろと?
そう悲観していると少女が何かひらめいたような顔をして、腰につけた鞄に手を入れた。そいして、何かを取り出した。
それは、透明な宝石の付いたネックレスだった。
「ペトゥ・ト・アン・テュス」
そう言いながら、彼女は俺にそれを差し出してきた。つけろと言っているのだろうか?
よくわからないが俺は彼女からネックレスを受け取り、自らの首に掛けた。
「デュル・セげ・こ……とば、分かるようになった?」
ネックレスを付けた瞬間、俺は彼女の言葉を理解できるようになった。今、何が起きた?
ネックレスを首に掛けただけだ。このネックレスに翻訳機能がついているとでもいうのか。現代にはもうすでにそんな技術ができていたのだろうか。
自分に何が起こったのかがわからないまま彼女は俺に問いかけてきた。
「言葉、わかるようになった?」
今度は完璧に聞き取れた。さっきまでの意味不明な言葉の羅列がうそのようであった。
「は、はい、わかります」
「それはよかったわ」
そういうと、彼女は鞄の蓋を閉じた。俺はいまだに動揺が隠せなかった。
「た、助けていただきありがとうございます。ところで、このネックレスは?」
俺は首にかかったネックレスをしっかりとみて彼女に尋ねた。
「それはね、特殊な魔道具なの。どんな言語でも意思に変換して通じるようになるのよ。師匠のルーナ先生が作ってくれたものでね――――」
彼女はたぶん、このネックレスの説明をしてくれているのだろう。しかし、マドウグ?などといった普段聞き慣れない単語が混じっているせいでよく理解ができなかった。
このネックレスがマドウグ?マドウグとは漫画とかに出てくるあの魔道具のことだろうか。自分でも変なことを考えていることは分かっている。
でも、もしこれが本当に魔道具ならば―――、
「あ、あなた指、怪我してるじゃない」
彼女の言葉で俺の意識は右手に行った。急に痛みが増してくる。血は多少止まっていたものの、肉の断裂は相変わらずだった。
「さっきの怪物に噛まれて……」
「消毒するわよ」
そういうと、彼女は再び鞄の中から何かを取り出した。それは小瓶だった。中にはなにかよくわからない液体が入っている。彼女は小瓶の蓋を開けると内容物を俺の指にかけた。瞬間、傷口に液体が染み込んで声にならない痛みが生じた。しかし、その痛みは時間とともに薄れていく。
彼女は消毒と言っていたが、ここがもしかして、もしかすると、その液体は―――、
「あなたどうしてこんなところに一人でいたの?どうしてサバーカに追われていたの?」
俺の馬鹿な考えは彼女の言葉によって再び妨げられた。
彼女は俺に質問をしているようだが、答えようがなかった。記憶喪失なのだからどうしているのかという説明はできない。と、その前に引っかかる単語があった。サバーカ?あの怪物のことだろうか。そんな品種聞いたことがなかった。無知なだけなのだろうか。
「あの、サバーカって……」
「あなた、サバーカを知らないの?」
「はい」
「どうして?」
「どうしてって言われても」
俺は回答に困った。どうしてといわれても、知らないことは知らないのだ。
「あなた、真剣に言ってるの??サバーカすら知らない人間がこの森に単独で入るわけがないでしょ?」
彼女は「どういうことよ」と言いながら俺の指に包帯を巻いてくれていた。
「で、どういうことなの?」
彼女が回答の催促をしてくる。
「いや、気づいたらこの森にいたというか、目を覚ましたらこの森にいたというか……」
「そんなことあるわけないでしょ」
彼女がジトっとこちらを見てくる。
「いやっ、本本当なんだって。俺も何が起きているかわからないし、ここがどこかもわからないんだから……」
俺は必死に伝えた。これ以上はどう説明することもできなかった。
「また何言ってるのよ。そんな言い訳が通じるとでも思ってるの?ここは冒険者四等級以上の冒険者しか入れない危険区域なのよ?見たところあなた、討伐証も持っていないみたいだし……もしかして、不法侵入の罰金を逃れようとしてるんでしょ」
聞き覚えのない言葉がまたいくつか聞こえた。オフィシエとか、トウバツショウとか。
というか、彼女は俺に対して怒っているようだった。怒られている原因が全く分からない。
わけのわからない言葉と怒られていることの両方に困惑していると、先ほどまで死体処理をしていた黒髪の男性が会話に入ってきた。白い髪の少年は一人で処理を続けていた。
「少年、名前は」
名前を聞かれた。俺は、さっき学生証で確認した名前を思い出す。
「ユウタです」
「出身は?」
「えっと、○○県です」
一応、出身は通っているはずの学校のあった○○県にしておいた。
「○○ケン……。聞いたことがない地名だな」
「東の皇国の方の出身かも」
赤い髪の少女が、そんなことを言った。
いや、そんなところではないのですが。日本の○○県なんですが。というかそこどこ?
「きみ、両親はいるのか?」
「そ、それが俺、記憶喪失みたいで。なにも思い出せなくて……」
典型的な記憶喪失です。