第2話 婚約破棄の結末
「いや実は――――…
最近、今は使われていない旧校舎に人が出入るするところを見かけてね。あの建物は立ち入り禁止になっているから、先生に確認してもらえないか頼んだんだ」
「旧校舎?」
…そういえば、この間トール様と女生徒が裏庭にいたけど、あの時向かった先は……
「わ、私も一緒にいっていい?」
「ああ、俺の後についてくるんだぞ」
「うん」
教師がいるけれど、エリオだけを行かせるのは心配だった。
それにひとつ気になる事ができたし…
旧校舎に入ると、どこからか物音が聞こえてきた。
人の声のような…音のような…
エリオが口元に人差し指を当て、私たちを誘導するかのように先を歩く。
音のする教室の扉を少し開け、様子を窺うとそこには…
「ふふ…婚約者がいるのにいいの?」
「君と過ごす濃密な時間の方が楽しいよ」
「じゃあ、もっと濃密に過ごしましょうよ。んん…っ」
舌を絡ませる唾液の音。
荒くなる互いの息遣い。
喘ぐ女性の上で、激しく身体を上下させている…
私の婚約者―――トール様!!
(…な、何…これ…っ!!!)
私は足が地面に縫い付けられたかのように、その場を動けなかった。
固まった思考を動かしたのは、生活指導主任のブランビ教師の怒声。
「こ、こんなところで何をやっているんだああぁぁ!!」
「ブ、ブランビ教師!? カ、カシリーナ!?!?」
裸の彼は、慌てて脱ぎ捨てられた制服で前を隠した。
(まっっったく隠せていないけど!!)
「君たち名前は!」
先生は、二人に名前を問い質した。
先に答えたのは、半裸状態の女性だった。
「私? 私はアンヌ。ここの生徒じゃないわ、娼婦やっていま―――す♡」
「はあああ?! 娼婦ぅぅぅぅ!?!? こ、ここの生徒の一年じゃなかったのか!?!?」
一番驚いていたのは……トール様だった。
「え〜!? そんな事言ったぁ? 制服プレイが好きだって言ったのはあんたでしょ? だからわざわざ着てきたんじゃんっ お金も貰ってるしねっ ほら!」
そういうと女性は乱れた制服のポケットから数枚のお札を取り出した。
「な、何だっ その言葉遣いはっ 今までそんな話し方しなかったのに…っ そ、それに僕はそんな下品なことを要求してないし、金なんか渡していない! しょ、娼婦なんて知らなかったんだ!!」
蒼白の顔で、まるで助けを求めるかのように私を見たトール様。
「何……その顔、その言い訳!
相手が娼婦である事を知らなかったとか、制服プレイを要求していなかったとか、金銭の授受があろうとなかろうとそんな事は今、ど―――――――っっっっでもいいの!! あなた、浮気していた自覚あるんですか!!!」
私は堪らず、婚約者を怒鳴りつけた。
「ち、違うんだ違うんだ違うんだ違……っ」
彼はパニックになったように、頭を抱えて同じ言葉を繰り返し始めた。
「いい加減にしなさい!! この学び舎で何と不純な! 早く服を着て学院長室に来るんだ!! …ヴィオランテ君、君たちは教室に戻りなさい」
そんな彼を見たブランビ教師も青筋を立てて叱責し、私たちには教室へ戻るよう促した。
「はい。…行こう、カシリーナ」
私はエリオとともに部屋を出た。
「カ、カシリーナ、待ってくれ!!」
「…この事は、父に報告させて頂きます。私、変態を婚約者にするつもりはさらさらありませんから!」
私は絶対零度の視線で彼を見下し、拒絶した。
「あ…あ…ああぁぁぁぁあ!!」
背中でトール様が情けない叫び声を上げていたが、私は振り返る事なくその場から立ち去った。
その後、トール様には退学処分が下された。
女性はいつの間にか姿を晦ましたらしい。
相手がいなくても目撃者である私たちがいる。
女性にお金を渡し、学院で行為があった事実は言い逃れできない。
その後、私とトール様との婚約は破棄となり、当然慰謝料を請求。
貴族令息が学院に娼婦を呼んで行為に及んでいた事は、瞬く間に生徒の中で話が広まっていった。
学院史上ありえない醜聞だ。
今後、バーニン伯爵家は社交界では奇異の目に晒され、トール様の縁談は難しくなるだろう。
腸が煮えくり返ったけれど、彼が裏切ったという事実は悲しくはなかった。
逆に、結婚しなくてよかったと安堵している。
彼が私に想いがなかったように、私も彼に気持ちがなかったようだ。
「あんな最低な男とは思わなかったわ! 結婚前に本性が分かってよかった。けど…私、傷物になっちゃったから次の婚約は難しいだろうな〜。周りの目を気にして、焦って決めるんじゃなかった…」
学院内のガゼボにいた私は、向かいに座っているエリオに愚痴を溢していた。
そりゃあ…個人の人柄云々よりも、貴族としては家柄重視なのはわかるけど…私はやっぱり家柄より一緒にいて心安くて、楽しく過ごせる…そう例えば…
「じゃあ、俺なんかどう? 俺たちならお互いの事分かっているし、うまくいくと思うけど」
「…え? な、何言って…」
私は心を見透かされたかと思って、ビックリした!
いつもの軽い口調で言うから冗談かと思ったけど、急に真面目な顔で話を続けるエリオ。
「…本当は以前から申し込みたかったけれど、うちは下位貴族だろ? おまけにタイミング悪くバーニン伯爵家からの縁談が持ち上がったから諦めていたんだ」
待って!
じゃあ、エリオは私の事が好き……ってこと?
え――――!?
い、今まで友達として過ごしてきたから、そんな風に考えたことはな……くもなかった…かな…?
だって、トール様との間で気持ちが揺れたのは確かだもの。
「………ほ…んき…なの?」
私は遠慮がちに、エリオに確認する。
「ああ、もうずっと前からな」
そういうと彼は私の手を取り、甲にそっと唇を当てた。
「!!!」
「…ふっ、顔真っ赤!」
「エ、エリオが突然し、紳士的な事をするから…っ」
私はあわてて彼から手を放し、火照った頬を両手で押さえた。
そんな私を見て、彼は嬉しそうに微笑んだ。
数日後、ボルサ伯爵家とヴィオランテ子爵家の婚約が結ばれた―――
◇◇◇◇
「ご苦労様。助かったよ」
俺は下町の路地裏で、バーニンの相手をした娼婦に金の入った袋を渡した。
「こんなに! 逆に悪いわね、毎度♡」
娼婦は金の入った袋を受け取ると、軽い足取りで去って行った。
「簡単だったな」
俺は満足気に呟く。
中等学院時代から、俺はカシリーナが好きだった。
けれど彼女は伯爵令嬢。
下位貴族の俺との婚姻は難しいと思った。
それでも諦めきれなくて伯爵家へ打診しようと思った矢先、バーニン伯爵令息との婚約が決まってしまった。
嬉しそうに婚約報告する君に、俺は祝いの言葉をかける事しかできなかった。
紹介されたバーニンは、子爵家の俺をあからさまに見下していた。
そしてその後、カシリーナが俺を避けるようになった。
バーニンが何か言ったであろう事は明白だ。
カシリーナの婚約者になっただけではなく、俺との時間まで奪うつもりか!
俺たちの間に割り込んできたあいつに、これ以上邪魔されてたまるか!
俺はこの婚約をぶち壊す事を考えた。
要はあいつが不貞を犯せばいい事だ。
学院で、しかも相手は娼婦となれば、最高の醜聞。
金で雇った娼婦に学院の制服を着させ、生徒のふりをしてあいつに近づき、誘惑するように指示した。
ここは帝国内で一番生徒数の多い学院。一人くらい外部の人間がいてもバレやしない。
制服を着ていれば尚更だ。
それに、男の全てを知っている娼婦の手練手管にかかれば、一介の貴族のボンボンなんぞ簡単に堕ちる。
あの時あの場所にあいつを連れ込むように指示したのも、俺だ。
面白いように全てが上手くいった。
ただ…婚約破棄する事でカシリーナが傷物扱いされるのは心苦しかったが、そうなれば下位貴族である俺との縁談を持って行きやすくなると思った。
そしてその通りになった。
「ごめんな、傷つける真似をして…。けど、必ず幸せにするよ、カシリーナ。これからもずっと一緒だ」
俺は誓いを立てるかのように、彼女と取り交わした婚約指輪に口づけをした。
【終】