9.強敵と書いて、『とも』と呼べる綺麗なお姉さん
ざる蕎麦を平らげたところで、琴音は更にレジ袋の中からごそごそと何か取り出した。
もっちりした食感が人気のロールケーキだった。
「えへへへ~、じゃ~ん……拾蔵君、別腹、イケそ?」
「全然イケます」
拾蔵はキッチンの戸棚からティーポットとアールグレイの茶葉を取り出し、紅茶の準備を進めた。
その間琴音は、拾蔵から受け取った小皿にロールケーキをそれぞれ取り分けている。
ひと通りの段取りが済んで、食後のスイーツタイムだ。何となく背徳的な感覚が、余計にその美味さを引き立ててくれる。
と、ここで琴音がふと思い出した様に小首を傾げて、拾蔵の面を覗き込んできた。
「そうそう、こないだから訊こうと思ってたんだけど……拾蔵君って格闘技、やってるんだよね? ほら、私をヤリサーの連中から助けてくれた時に、ばったばったと薙ぎ倒してた、アレ」
「よう覚えてはりますね」
拾蔵はあの状況でも、そこまで詳しく見ていた琴音の精神力に寧ろ感心した。
普通の女子なら、複数の男に輪姦されるかも知れないという恐怖で記憶が飛んでしまっても、全くおかしくはないところなのだが。
「でも、何か私の知ってるのとはちょっと違うっていうか……うちの大学にも空手部とかあるんだけど、あのひと達って、もっとこう、せあーっ、とか、でやーっ、みたいな気合の声、出してるのよね。でも拾蔵君のは何っていうか、ぱんぱんぱんってな軽い感じで、あっという間にやっつけちゃったっていうか……」
「うん、確かにちゃいますね。俺のは空手やなくて、我天月心流っていう古武術ですから」
答えながら拾蔵は紅茶をすすった。
するとどういう訳か琴音は尚も食い気味の様子で、ちゃぶ台上にずいっと上体を乗り出してきた。
「それって、どういう格闘技なの?」
「厳密にいうと、格闘技やなくて殺人術です」
そのひと言に琴音は驚いた様子で目を丸くした。
しかし柔道でも空手でも、その気になればひとは殺せる。ただ競技としてのルールがあるから、事件にも事故にも至っていないだけの話だ。
その一方で我天月心流には競技性は無い。ただ純粋に敵を打ち倒すのみの技法だ。だから格闘技ではない、という訳である。
「起源は鎌倉時代の雑色が使ってた暗殺術で、実はそこから派生した技術の一派が忍術という説もあるんですけど、詳細はよう分かってません」
「えっ! じゃあ拾蔵君ってもしかしたら、忍者になれたかも知れないってこと?」
何故か目をきらきらと輝かせている琴音。どうしてもそっち方面に思考を持っていきたいのだろうか。
だが流石にこの現代で、忍者というのはあり得ないだろう。
「まぁ五百年ぐらい前なら、そういう可能性もあったかもですけどね」
「わぁ~……格好良いなぁ……何か、浪漫がある!」
琴音が見せるこういう反応は、拾蔵としても初めてだった。大体の場合、我天月心流の説明をしてみせたところで、え、何それ、という返しで終わるのがオチだった。
それにしても、琴音の拾蔵に対する肯定感がやたらと目立つ。一体何を企んでいるのだろう。
「はぁ~……拾蔵君、格好良いなぁ……私ももう少し、若かったらなぁ……そしたら絶対、拾蔵君の追っかけとかやってたと思う……」
ちゃぶ台に頬杖を突き、うっとりとした表情で拾蔵の面を眺めてくる琴音。
そんな彼女に対し、拾蔵は内心で困惑していた。彼の人生に於いて、若い女性からこの様な反応を返されたのは、明菜を除いては皆無だったからだ。
そしてどうにも不思議な感覚だった。
あれ程までに女性に対して敵意を抱いていた拾蔵だが、この琴音に対してだけはその敵愾心がかなり薄れてきているのが自分でも分かった。
この心境の変化には、拾蔵自身説明が出来ない。一体自分の中で何が変わったというのだろう。
「っていうか雪祭さん、大丈夫なんですか? 今更気づいたんですけど、幾ら俺が高校生やいうても、男の部屋にお邪魔してるなんてこと知れたら、彼氏さん絶対激怒しますよ」
「彼氏……うぅ~ん、カレシかぁ……私ってもしかしたら、男運無いのかもねぇ」
そんなことをいいながら琴音は、ベタっと潰れる様な感覚でちゃぶ台に顎を乗せた。
何か、あったのだろうか。
「ほら、拾蔵君がやっつけてくれたヤリサーの連中……あれも実は、前の彼氏絡みなのよね」
これは新情報だった。
一体どういう繋がりなのだろう。
「ちょっとね、前の彼氏と倦怠期みたいな状態だったから、それじゃあ彼氏の友達と合コンやりましょう、ってなったのよ。で、その内のひとりと良いカンジになって、お持ち帰りされたら……その先がヤリサーだったって訳。ホントにもう、迂闊過ぎて私、自分で自分の頭をぶん殴ってやりたい気分だわ」
いいながら琴音は本当に自分の頭をぽかぽかと殴り始めた。
そして急にむくっと上体を起こし、頬を幾分赤らめながら、潤んだ瞳で拾蔵にその美貌を寄せてきた。
「ねぇ……拾蔵君から見てさ、私ってどう? ちゃんとオンナとして見て貰えてる?」
「はい、十分女性です。最初の頃なんか俺、殺気バシバシぶつけてましたから」
拾蔵にとって女は敵だ。それは今も変わらない。だから琴音と出会った当初は、彼女の中に女性を感じまくって怒りと憎悪をがんがんぶつけていたと説明した。
「あははは……何かそれ、すっごい複雑な気分……で、今はどうなの?」
「そうですね。強敵と書いて、ともと呼ぶ、的な感じですかね」
拾蔵からのその応えに、琴音はけらけらと笑い始めた。絶対元ネタなんて分からんだろうと思いながらぶつけてみたのだが、案外知っていそうな反応だった。
「そっか~……私ちゃんと、拾蔵君の強敵になれたんだぁ。それはすっごく大きな進歩だね。素直に嬉しいな」
笑い過ぎて涙が滲んでいる琴音だったが、その言葉には真摯な響きが感じられた。
そして拾蔵も、漸く気付いた。
自分はこの綺麗なお姉さんのことを、今ではもう全く嫌っていないという事実に。