5.怒れる女
琴音に連れられて駅前へと足を運んだ拾蔵は、今まで入ったことも無い様なお洒落な装いのカフェの奥へと連れ込まれた。
そこは、ウェルドールという名のカフェだった。
雰囲気も客層も、そして値段設定に至るまでが、並みの高校生だけでは少々ハードルが高い様に思える。
しかしながら、拾蔵の資金力ならば特に問題無く常連になることも出来るだろう。
供されるスイーツは、確かに絶品だった。加えて紅茶も薫り高く非常に高品質であることが、店内に漂う空気から十分に感じ取ることが出来た。
もう少し大人になってからであれば、週一ぐらいのペースで足を運んでも良さそうだなと本気で思わせるぐらいには、拾蔵の興味を引くことに成功したといえる。
「どう? 気に入った?」
「あぁ、良いですねぇ。俺は好きです」
拾蔵の応えを聞いて、琴音は心底ほっとした様子で胸を撫で下ろす仕草を見せた。
きっと彼女なりに知恵を搾り出した結果、拾蔵をここへ誘ってみようという結論に至ったのだろう。その判断には間違いが無かったといって良い。
「はぁぁぁ……良かったぁ~。私、ここでハズしたらホント、どうしようかと思ってたの。でも笠貫君が気に入ってくれて、すっごくほっとしちゃった」
はにかんだ笑みを浮かべながら、えへへと頭を掻く琴音。時折彼女はこんな風に、幼い少女の様な仕草や笑顔を見せたりする。
普通の男ならもうこれだけで、彼女に心を奪われてしまうのではないだろうか。それ程に今日の琴音は女性としての魅力に満ちている。
が、ここに居るのは極度の女性不信で全ての異性を敵視している拾蔵だ。如何に琴音が女性の美しさと華やかさを振り撒いたところで、何の効果も得られないだろう。
事実、拾蔵は紅茶やスイーツを口に運ぶ際には幾分表情が和らいでいるのだが、琴音と言葉を交わす際は相変わらずの仏頂面、超が付く程の塩対応だった。
「それで、あのね、笠貫君……その……もし、もしだよ? もし、貴方さえ良かったら、その……下のお名前を教えて欲しいな、なんて思ったりして……」
「ん? いや、別に良いですよ。フルネームは笠貫拾蔵ていいます」
どんな字を書くのかと問われた為、拾蔵はスマートフォンの画面上にメモ帳アプリを起動して、そこに自身の名を打ち込んだ。
「へぇ……ちょっと他には無いユニークなお名前だね。でも、響きが渋くて、私は好きだな」
すると琴音はお返しとばかりに、自身のフルネームを手帳に記してそっと差し出してきた。
「あは……こうして並べてみると、揃って古風な感じだね」
更に琴音はふっと何かを思いついた様子で、自身のスマートフォンを取り出しSNSアプリを起動した。
「あ、ねぇ笠貫君……私とID交換、してくれないかな? あ、その、嫌だったら別に良いんだけど、もし良かったら……ってね。勿論、その、彼女さんに嫌だっていわれたら断ってくれても良いよ。笠貫君から見たら、私みたいなおばさんにID交換頼まれるなんて、論外かも知れないし……」
ここで拾蔵は内心、イラっときていた。
彼女などという言葉を軽々しく口にされるのは、何よりも腹が立つ。自身に心の深手を負わせた、あの幼馴染みの顔が脳裏に浮かんでしまった。
とはいえ、目の前の琴音には罪は無い。
全ての女は須らく、クソな存在であるという信念に変わりは無いが、琴音に対してまで幼馴染みの罪を被せるのは、筋が違うだろう。
拾蔵はひと呼吸置いて己の気分を落ち着かせ、ID交換に応じるといいながら自身のスマートフォンにも同じSNSアプリを起動させた。
交換自体は、すぐに終わった。
が、その後に琴音は何故か感慨にふける様子で、満足げな笑みを浮かべながら己がスマートフォンを胸の辺りでぎゅっと握り締めていた。
「良かった……これでいつでも、拾蔵君と繋がれるね……」
いつの間にか琴音からの呼び名が、名字から下の名前に変わっていた。ID交換したことでより親密さを覚える様になったのだろうか。
「大丈夫、彼女さんにはバレない様に気を付けるから。変な修羅場に巻き込ませちゃったら、悪いもんね」
「さっきから何のこというてはるんか知りませんけど、俺彼女なんて居ませんよ」
拾蔵のその言葉に、琴音は大袈裟なぐらいに驚きの仕草と表情を返してきた。
「えっ、嘘っ! だって拾蔵君、私から見てもイケメンだよ? 顔立ちはすっきりしてるし、目鼻立ちは整っててバランス良いし……どうしてそれで彼女が出来ない訳?」
「一度、寝取られてますからね。それ以降、女は皆、俺の敵に廻ってます」
そんな台詞でしれっと答えながら、拾蔵は絶品な味わいのスイーツを静かに堪能した。
ところが琴音は、どういう訳か怒りと悲しみが綯い交ぜになった様な色を浮かべて、口元をわなわなと震わせていた。
「拾蔵君……今、何て……」
「初恋の幼馴染みを他所の男に寝取られて、浮気されました。それからもう二度と、女のひとは信用せんことにしたんです。俺に彼女がおらんのは、そういう理屈です」
良い加減面倒臭くなってきた拾蔵は、もうはっきりといい切った。ここまでずばっといえば、流石に琴音もこれ以上は余計な恋バナを振ってくることも無いだろう。
ところがここで、奇妙な現象が起きた。
琴音がいきなり涙目になって、口元を両手で押さえたのである。しかもその潤んだ瞳には、憤怒の色が見え隠れしていた。
「ど、どうして……どうしてそんな酷いことが、出来るの……だって、幼馴染み、だったんだよね?」
「はい、幼馴染みです。でも人間どんなに長く接してても、裏切る時ゃあそんなもんです」
拾蔵はさらりといってのけた。
女なんて生き物は信ずるに値しない。特に恋愛面に於いては、尚更だ。
拾蔵が、女は全て男を騙し、裏切る存在だと言外に示すと、琴音は両の瞼をぎゅうっと強く閉じて、わなわなと全身を小刻みに震わせながら大きくかぶりを振った。
「拾蔵君……私が……その辛い思い出……何とか、消してあげたい……」
その琴音の台詞に、拾蔵は内心で小首を捻った。
このひとは何をイミフな台詞を口走っているのか――全く以て理解不能だった。