43.開かれた世界
大晦日の夜。
拾蔵は玖瑠美、和香、沙苗、琴音、美奈貴といった面々と共に、近所の神社へと足を運んでいた。
除夜の鐘が遠くから鳴り響いており、いよいよ年の瀬もカウントダウンに突入している。
「おぉ~おぉ~、おふたりさん、アチアチだね~」
「うは~……尊いなぁ、尊いなぁ!」
茶化す沙苗の傍らで和香がほわほわした顔を浮かべつつ、腕を組んでいる拾蔵と玖瑠美を幸せそうに眺めていた。
「やっぱ若いっていいわねぇ」
そんな彼女達に、琴音が穏やかな笑みを向けた。
この夜はその琴音の音頭で、新年が明けると同時にお参りしようということになり、こうして寒空の中を集団で練り歩いていたという訳だ。
尤も、参道は深夜の参拝客でごった返しており、ひとの熱気と左右に建ち並ぶ屋台からの照明やストーブの余熱などで、意外と空気の冷たさを感じることは無い。
玖瑠美はただ腕を組むだけではなく、拾蔵の太い豪腕にそっと顔を押し付ける格好で寄り添っていた。
その面には、ただ幸せそうな微笑が浮かんでいる。
拾蔵も、玖瑠美のそんな姿に不思議な安心感を覚えていた。
と、そこへはしゃぎながら参道を行ったり来たりしていた和香と沙苗が戻ってきて、強引に玖瑠美の手を取って拾蔵から引きはがした。
「くるみん、ちょっとちょっと。美味そうなたこ焼き、見つけたよ!」
「え、たこ焼き? 行く行く~」
和香に引き摺られる様な形で、少し先の屋台へと駆け出してゆく玖瑠美。拾蔵は僅かに苦笑を滲ませて、玖瑠美の背中をじっと見送っていた。
すると、まるでタイミングを計ったかの様に横合いから琴音がひょいっと顔を覗き込ませてきた。
「拾蔵君……良い笑顔、してるね」
「え、そんなニヤけてましたか」
拾蔵はつい驚いた面を返したが、琴音は冗談よと笑いながら拾蔵の大きな背中を軽くばしっと叩いた。
「でも、気分は悪くないでしょ?」
「そうですね……全然悪くないですよ。こんな気分、いつ以来やろか」
拾蔵は、参道でじゃれ合う玖瑠美、和香、沙苗の賑やかな姿を眺めながら、不思議なものだと小さな吐息を漏らした。
つい二カ月程前までなら、絶対に考えられない様な心境だった。
あれ程に女嫌いで、全ての女性は敵だと信じてやまなかった自分が、今ではこうして穏やかに、彼女らの笑顔を眺めている。
こんな奇跡が自分にも訪れることがあったのかと、心の底から感嘆する想いだった。
「拾蔵君が今のその気持ちを忘れない様に、私もお手伝いするからね。困ったことがあったら、何でもいってね……何たって私は、拾蔵君の強敵なんだから」
「あぁ、そうでしたね……こんなに頼もしい強敵は、今まで出会ったことがないです」
苦笑を返しながら、小さく肩を竦めた拾蔵。
そう――全ては、琴音との出会いから始まった。彼女があの時、拾蔵を頼ってきてくれなかったら、今のこの時間はあり得ない。
琴音は拾蔵に返し切れない恩があるといっているが、しかしそれ以上の恩を拾蔵は琴音に対して感じている。彼女こそ、拾蔵にとっては最大の恩人だった。
「はぁ~……私も拾蔵君に負けてらんないな。早く良い彼氏探さないと」
「ははは……んじゃあまた、当分合コン続きですかね」
冗談めかして笑い合いながら、拾蔵と琴音は百八つめの除夜の鐘の音を聞いた。
新しい年の幕開けだった。
◆ ◇ ◆
作業用PCの画面上に、幾つものコンソールが開かれている。
この日、拾蔵はマインドシェイドのメンバーとして、国内のとある大手メーカーに侵入しようとしている海外ハッカー集団を迎え撃とうとしていた。
そして、もう間も無く敵の侵入が始まろうとしていた頃合いになって、チャットアプリの向こうから厳輔がいつもの調子で呼びかけてきた。
「あ、厳さん……今日の相手はどこでしょうかね?」
「多分、イラン辺りとちゃうかな……それより拾蔵、玖瑠美ちゃんとはうまいこといってんのか?」
いきなり振られた恋バナに、拾蔵はつい苦笑を漏らした。
これまで何度も拾蔵に早く彼女を作れとしつこかった厳輔だったが、玖瑠美という彼女が出来たら出来たで、今度は仲は良いのか喧嘩はしてないかと、そんなことばかりを訊いてくる。
それ程、拾蔵のことを心配してくれていたのだろう。
拾蔵はもうアツアツですよと冗談交じりに惚気てみた。すると厳輔は、チャットアプリ越しに大声で笑い返してきた。
「まぁ、ようやったよ、お前は。これからは玖瑠美ちゃんの為にも、頑張らんとなぁ……あぁそうや、刃兵衛の奴が、おめでとうっていうてたわ。また近いうちに遊びに行くんちゃうか」
刃兵衛というのは厳輔の腹違いの弟で、十五歳年下の高校生だ。拾蔵から見れば、ひとつ年下の従弟ということになる。
我天月心流の開祖である拳鬼以来の天才といわれた若者だが、拾蔵から見れば大人しくて可愛らしい弟といった感じの存在だった。
「刃君も、そろそろ東京の高校に慣れてきてますかね?」
「いやぁ……まだまだやろな。あいつはまぁ、あんなんやから」
今度は苦笑めいた笑いが返ってきた。
拾蔵も、久々に可愛らしい面立ちの従弟と顔を合わせたい気分だったが、今はそれどころではない。
敵の侵入が始まった。
今度の相手は、相当に手強そうだ。
「ほんなら、気合入れていきましょか」
この時の拾蔵の面には、今までの様な悲壮感は無い。戦いが終われば、玖瑠美を呼んで久々の家デートの約束が待っている。
それまでに、この勝負にケリをつけるつもりだ。
(俺はもう、ひとりやない……皆が、玖瑠美が、支えてくれてる)
その熱い想いを乗せて、拾蔵はキーボード上に大きな掌を滑らせていった。




