41.物好きな女
今、拾蔵の部屋には玖瑠美が居る。
クリスマスイヴの夜、若い男女がひとつの部屋にふたりきりというシチュエーションは、普通に考えれば行くところまで行ってしまっても不思議ではない。
しかし拾蔵は玖瑠美には指ひとつ触れようとはせず、彼女をベッドの端に座らせたまま、熱い紅茶の準備を進めていた。
そもそも、彼女に触れたところでどうにもならなかった。拾蔵は男としては機能不全なのだ。仮に性欲が旺盛だったとしても、実際には何も出来ない。
玖瑠美もそのことを知った上で、悠然と構えているのだろうか。しかし彼女の面には、侮蔑や憐れみの色は全く見られない。ただ純粋に、拾蔵の部屋を訪問出来たことに静かな喜びを噛み締めている様に見えた。
「口に合うか分からんけど……」
いいながら拾蔵は、ティーセットとお茶請けのタルトを供した。玖瑠美はしかし、テーブルの上に並べられた物ではなく、拾蔵のごつごつした手に自身の柔らかな白い掌を添えた。
「ね、拾蔵君……今もまだ、あたしのことが嫌い?」
過日、拾蔵は自身が初恋に敗れてトラウマを背負い、それ以来女性を極端に嫌っていることを告げた。SNS問題で玖瑠美を救おうとした時でも、内心では彼女のことを激しく嫌悪していた。
しかし今は不思議な程に心が落ち着いている。
決定的だったのは、彼女が拾蔵の勃起不全を笑った男共に対し、激しい怒りを発した時だった。あれ以来、玖瑠美には何の嫌悪感も覚えなくなっていた。
拾蔵は、玖瑠美の意図が分からない。が、訊かれたことには素直に答えた。
「いや……今はもう、全然そんなことは無い。白坂さんは、何ていうかな……琴音さんとはちょっと違うんやけど、普通に話も出来るし、顔見てても特に嫌な気分にはならんよ」
これは拾蔵の偽らざる本心だった。
あれ程に嫌っていた玖瑠美の中の女性としての存在感を、今はすんなり受け入れることが出来ている。自分でも驚く程の変化だった。或いは、これを進歩といって良いのかどうか。
すると玖瑠美は、拾蔵の手を握ったまま更にその美貌を間近に寄せてきた。頬が僅かに上気している。その瞳には、決意めいた色が伺えた。
「だったらさ……拾蔵君、あたしと、付き合わない?」
「……また随分、急やな」
拾蔵は玖瑠美の顔を見つめ返したまま、僅かに眉を顰めた。しかし玖瑠美は、急に決めたことじゃないと小さくかぶりを振った。
「あたし、拾蔵君に助けて貰った時から、ずっと思ってたの。このひとは、他の男の子とは違うって」
「そらぁインポやねんから、違うのは当然やろう」
拾蔵は苦笑を浮かべたが、玖瑠美はそういうことじゃないと強く否定した。
「あたしさ……今まで何人もの彼氏と付き合ってきて……でも全然、長続きしなくて……元カレとは皆、付き合い始めてすぐにエッチする関係になったんだけど、二、三回ぐらいヤったらすぐに飽きられちゃって、あっさり終わっちゃうってことが多かったんだよね」
だから自分には、男漁りに余念が無いビッチだという噂が常に付き纏っていると苦笑した。拾蔵も、その話は薄っすら聞いたことはあった。
玖瑠美曰く、今までの男達は誰も彼も、まずセックスありきだったという。体の関係が無ければ、彼女に告白することはあり得なかっただろうとさえいい切った。
今までの元カレは全て、相手の方からいい寄ってきたらしい。玖瑠美から好きになった男というのは、実はただのひとりも居なかった。
その彼女が、生まれて初めて自分から好きになった男が現れた。それが、拾蔵なのだという。
「それはアレや、吊り橋効果ってやつや。変な自己暗示にかかっとるだけやって」
「うぅん、違う……そんなのじゃない。だってあたし、今はもう毎日の様に拾蔵君のことばっかり考えてるんだもん」
熱っぽく語る玖瑠美の目は、真剣そのものだった。
拾蔵は、どう対処して良いものかと頭を掻いた。
「けど俺、セックス出来へんのやで?」
「そんなの、どうだって良いよ。あたしが今まで元カレ全部とエッチしてきたのは、あたしがしたかったからじゃなくて、向こうがヤりたいっていうから、あたしも尽くしてあげなきゃって思って、そうしてきただけ」
そういうものなのか、と拾蔵は内心で小首を捻った。
相手が望めば、女性はそうも簡単に体を許すものなのか。今ひとつ、その辺の価値観がピンと来ない。
「いやまぁ、仮に俺と付き合うたとして、あんた何したいんよ」
「そうだね……うん、そう。例えば今みたいにまったりしながら、ただお話だけするとか」
それって女子会と何が違うねんと疑問を呈しかけた拾蔵だが、ここは敢えてその言葉を呑み込んだ。玖瑠美がいわんとしているのは、もう少し違う次元のものの様な気がした。
「でも、他に何がしたいかっていわれると、正直、よく分かんない。あたしの元カレ達は基本、自分がやりたいことだけやってて、あたしはそれに黙って付き合うってな感じだったし……」
「ふぅん……」
拾蔵は何とは無しに頷いた。ちゃんとしたデートというのは、こっぴどく振られた明菜と付き合い始めた当初に少し経験したぐらいだが、あの時は明菜が行きたい所に行き、やりたいことに付き合った。
それと同じ様なものなのだろうか。
「ほんなら明日、どっか行こか。白坂さんがやりたいことって何なのか、ちょっと興味がある」
「え……それじゃあ……」
玖瑠美の面が、ぱっと明るくなった。
拾蔵は微妙な表情で、鼻の頭に皺を寄せた。
「まずはお試し期間や。形だけでも付き合ってみて、それでもあんたが納得するんなら俺を彼氏にしてくれてもエエけど、俺なんてそんな大したモンちゃうで」
「全然……全然、そんなこと、無いから」
玖瑠美はベッドから降りて拾蔵ににじり寄り、そのままぎゅうっと抱き締めてきた。
「でも、嬉しい……これから、宜しくね、拾蔵君」
「うん、こちらこそ」
玖瑠美の肩が、僅かに震えている。彼女の喉の奥から、静かな嗚咽が漏れ聞こえてきた。
(よりにもよって俺なんかと……物好きな子やなぁ)
拾蔵は玖瑠美の肩を優しく撫でてやりながら、何ともいえぬ表情で壁を眺めていた。




