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32.従妹登場

 背後で、琴音が目覚める気配が漂った。


「あ……ごめん、拾蔵君。寝ちゃってた……」

「良いですよ、琴音さん、まだ寝といて下さい。熱下がってないでしょうし」


 パソコンデスク前の椅子で上体だけを振り向かせ、拾蔵は起き上がろうとする琴音を手で制した。

 数日前から風邪をこじらせて寝込んでいた琴音だが、その美麗な面はまだ若干火照っている様に赤みが差している。

 拾蔵がベッドの枕元に用意してやっていたスポーツドリンクに手を伸ばし、ひと口飲んでふぅと息をついた琴音。その表情には幾らか余裕が垣間見える。峠は越えたのかも知れない。


「ホント、御免ね拾蔵君、何から何まで……」

「いやいや、もうホンマに気にせんとって下さいて。俺かていつも何やかんやとお世話になってますし」


 申し訳無さそうに顔を伏せ、上目遣いにじぃっと見つめてくる琴音に、拾蔵は苦笑を返した。

 琴音が体調不良を訴え始めたその日から、拾蔵は時間の許す限り彼女の看病に徹した。昼間は学校がある為、どうしてもその時間帯だけは琴音をひとりにせざるを得ないのだが、それ以外は極力彼女の部屋で看病に時間を割き続けた。

 ところがこの日は、少し勝手が違った。

 琴音は何かの支払いをうっかり忘れていたらしく、インターネットバンキングの為にPCを起動した。ところが熱で頭がぼーっとしていたのか、妙なサイトの怪しげなURLを踏んでしまい、それ以降、PCの動きが極端におかしくなったのだという。

 恐らく、何らかのウィルスの侵入を許してしまったのだろう。

 琴音から事情を聞き出した拾蔵は早速ウィルスの除去とPCの復旧へと着手したのだが、それがほんのつい数分前のことだった。

 それまでは琴音の為におかゆを作ったり、洗い物を片付けたりなど、まずは彼女の身の回りのことを優先していた訳である。

 そうして漸く、パソコンデスクに就いたところだった。


「はぁ……隣に拾蔵君が住んでてくれて、助かっちゃった……もし他のひとだったら、こんなこと絶対頼めないもんねぇ」

「俺で良かったらいつでもお手伝いしますんで、今日はもうゆっくりしといて下さい」


 いいながら拾蔵は立ち上がってベッドの傍らに寄り、その大きな掌で琴音の額に触れた。解熱用シートが相当な温度になっている。これは取り換えた方が良さそうだ。

 拾蔵は冷蔵庫を開けて、開封済みの断熱袋を取り出した。

 呼び鈴が鳴ったのはその時だった。


「あれ? 今日どなたか来られる予定やったんですか?」

「う~ん……別に今日は、誰とも約束してなかった筈なんだけど……」


 軽く咳き込む琴音を尻目に、拾蔵が玄関扉を開けて応対に出た。

 すると、廊下に同い年ぐらいの少女が驚いた顔つきで佇んでいた。


「え……あんた、誰?」


 少女は端正な面に、疑惑と懸念の色を同時に浮かべた。拾蔵に対して、敵意に近い感情を向けている様に思えた。


「あれ? 沙苗ちゃんじゃない?」


 琴音が、ベッドの際から顔を覗かせていた。

 その琴音の姿を見た瞬間、沙苗と呼ばれた娘は大急ぎで靴を脱ぎ、拾蔵を押し退ける様にして室内へと飛び込んでゆく。


「琴姉ちゃん、大丈夫? 何もされてない?」


 これが、私立N高等学校情報工学科一年生、雪祭沙苗(ゆきまつりさなえ)との出会いだった。

 彼女は琴音の従妹で、隣町に住んでいるとの話だった。


◆ ◇ ◆


 沙苗は風邪で寝込んだ琴音を心配し、大好きな従姉の看病の為に駆けつけてきたらしい。

 ところが琴音の部屋を訪れてみると、見も知らぬ大男が応対に出てきたものだから、驚くと同時に琴音のことが酷く心配になったとの由。


(まぁ、そらそうやろな)


 拾蔵は自分で考えても、沙苗の反応は極々常識的なものだった様に感じる。美人女子大生の部屋に、どこの馬の骨とも知れぬ輩が当たり前の様に上がり込んでいたら、警戒するのが普通だろう。

 実際沙苗は、琴音からの説明を受けて、改めて拾蔵を紹介された今でも、疑念の眼差しを向けてきている。

 しかしその表情には、純粋に琴音を案じ、彼女を心から心配している様子が伺える為、拾蔵としては特に気分を害することも無かった。

 寧ろ、それだけ琴音のことを大事に思っている可愛らしい従妹だと安堵する気分だった。


「まぁ……あんたが琴姉ちゃんの看病に色々尽くしてくれたってのは分かったけど……でも、琴姉ちゃんのパソコンで一体、何やってんの? 看病とPC立ち上げるのは、話が違うんじゃない?」

「あぁ、これは……」


 拾蔵は琴音に頼まれて、ウィルスに感染したらしいPCの復旧に着手しかかっていた旨を告げた。

 すると沙苗は更に険しい顔つきで拾蔵をじろりと睨みつけてきた。


「あんた、何学部?」

「何学部て、普通科やけど」


 その瞬間、沙苗はやれやれとかぶりを振り、馬鹿にした様な目つきで拾蔵を鼻で笑った。


「はっ……よく居るのよねぇ。ちょっとパソコンに詳しいぐらいで、自分は一流のハッカーか何かかと勘違いする輩が。普通科の素人が、何いっちょこ前にドヤ顔してんの? ここは私に任せ貰えるかしら?」


 いいながら沙苗は、拾蔵の巨躯を強引に押し退けてパソコンデスク前に陣取った。

 琴音は沙苗が気付かぬ位置で、両手を合わせて拝む様な仕草で拾蔵に御免ごめんと頭を下げている。

 しかしこの従妹が情報工学科であるならば、ここは彼女に任せても良いだろう。あれ程に自信満々だったのだから、きっと何とかする筈だ。


「ほな、俺は失礼します。今日のところは、従妹さんにお任せしてもエエですね」

「今日だけじゃないわよ。あんたみたいな役立たず、もう琴姉ちゃんに金輪際、近づかなくて良いから」


 また随分と嫌われたものだ――拾蔵は内心で苦笑を滲ませながら、琴音の部屋を辞した。

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