30.気が進まない男
夏樹家から帰宅後、拾蔵はすぐさまハッキングを開始した。
相手はイラストレーターKEITO。この人物が出入りしているイラスト投稿系SNSサイトからIPを逆に辿り、その個人PC内へ侵入する。
件のSNSサイトはそれなりのセキュリティを敷いてはいたが、拾蔵の手にかかれば目の粗い笊に過ぎなかった。
増してや個人のPCへの侵入など、赤子の手をひねる様なものだ。
恐らく個人レベルでセキュリティソフトを導入しているだろうが、国家レベルの情報戦を掻い潜ってきた拾蔵の前では、そんなものは何の役にも立たない。
(シケたファイアウォールやな……これがこの国のセキュリティ意識やねんから、平和なもんやで……)
幸い、KEITOはPCを起動している様だ。拾蔵は早速相手のファイルシステムに侵入した。
この人物が使用しているPCのスペックはまぁそこそこだが、しかし和香レベルと同等のイラストを描くにしては少々苦しい様にも思える。
何より、グラフィックボードを搭載していない。この貧弱なシステムで、本当に絵が描けるのか。
(いや、違う……こいつは自分で絵なんか描いてへんな)
ネットワークの接続履歴を漁ってみたところ、そのからくりが分かった。KEITOは生成AIを利用しているらしい。
(成程……そういうことか。ケツ山先生の絵を落としてきて、生成AIに食わせてんのやな)
手口は分かった。
後はこの人物が和香のイラストをトレパクしている事実を把握するだけだ。
拾蔵は再びファイルシステムに侵入した。
(何やこいつ……全然ド素人やないか。クラスタチェーン、全部残っとるわ)
クラスタチェーンとは、ファイルシステム内に構成される断片化されたデータの繋がりを示す為のリンク方法であり、ファイルシステムを知っている者ならば当然の知識だ。
ハードディスク上に存在するデータを消去しても、そのデータそのものは完全に消え去る訳ではなく、ファイルシステム上のクラスタチェーンも残っていることが多い。
ただ、人間の操作でデータを削除する際はそのクラスタチェーンの先頭を指すアドレスを差し替える為、見た目上はディスク内からデータが消えている様に見えるだけである。
このKEITOなる人物が恐ろしく迂闊だったのは、証拠となるデータを全てPC本体のディスク内に残していたことだ。これが仮に別ストレージにデータを保存し、そこでのみイラストを扱う習慣であったならば、この別ストレージの電源を切るだけでハッキングは難しくなる。
だがKEITOは、そうはしていなかった。全ての証拠が単一のPC内に残されている。
この程度の技量と知識で他人を蹴落とそうなど、拾蔵の目から見れば片腹痛い。
(証拠は押さえた。後はどないして料理するかやな)
今、クリエイター界隈では生成AIに対する拒否反応が凄まじいと聞いている。そこを突いてやれば、KEITOは簡単に潰せるだろう。
処分方法は決まった。後は実行に移すのみである。
◆ ◇ ◆
その二日後には、イラストレーターKEITOのアカウントは大炎上に見舞われた。
他人のイラストをトレパクしたのみならず、生成AIを用いて著作権を侵害しまくったとの情報がイラストレーター界隈に溢れた。その中で、ケツ山ゴン太郎も実はその被害者のひとりだったとして、彼女を擁護する声が圧倒的多数を占めた。
それまではKEITOにもそれなりのファンが付いていた様だが、それらのひとびとも一斉にKEITO離れを起こし、誰もKEITOの味方に付こうとはしなかった。
しかし拾蔵は、その程度では手を止めなかった。
KEITOが持っている全てのSNSアカウントを晒し上げ、それらが全て同一人物であり、悪辣な手を使って他者の権利を侵害しまくっている極悪人だと告発した。
勿論拾蔵自身は完全に匿名の殻を被り、正体不明の謎アカウントながら、KEITOを叩く為のエビデンスをこれでもかという程に流しまくった。
こうしてKEITOは完全に、息の根を止められた格好となった。
拾蔵は、ケツ山ゴン太郎が完全無罪を勝ち取った日の翌日に、和香宛てにDMを送った。
KEITOが持っていた幾つかのアカウントの中に、見覚えのあるものが無いかを確認させる為である。
すると、和香は生徒用SNSの通話回線を開いて拾蔵にコールしてきた。彼女に拾蔵自身の手でケリをつけると宣言してから、丁度三日後のことだった。
「拾蔵君……あたし、このアカウント知ってる」
「何をやらかした奴や?」
和香曰く、過去に無償でイラストを描いて欲しいとしつこく要望してきた図々しい奴、ということだった。
最初は折角付いてくれたファンだからということで、和香も気軽に応じて二枚程度の簡単なイラストを描いて提供してやった。
ところがこの人物は、更に数多くのイラストを無償で提供して欲しいと要望してきた。
和香は流石に応じられないと断ったのだが、そのやり取りが三カ月以上続いたということらしい。
(成程……要は逆恨みか)
この手の連中は兎に角自己中で、或る意味サイコパスだ。
自分の思い通りにならなければ信じられない様な攻撃性を発現し、他者に迷惑をかけることなどまるで顧みない。
もしかすると、和香以外にも被害に遭ったイラストレーターは居たのかも知れない。だが今回は、ハッカー拾蔵が和香の味方についた。それがKEITOにとっての命取りとなった。
勿論、KEITO自身はまさか自分が虎の尾を踏んだことなど、露とも気が付かなかったことだろう。
だが結局は、因果応報だ。
他者を貶める者には必ずや天罰が下るということを、拾蔵が知らしめた格好だった。
「もう、これで……安心して、良いんだね?」
「また似た様な奴が出てくるかも知れんけど、そん時はそん時や」
拾蔵は小さく肩を竦めた。
今後もいたちごっこは続くだろう。根本的な対処法が行政レベルで用意されない限り、今はこれ以上の手を打つことは出来ない。
それでも、和香はビデオ通話の画面越しにほっとした笑みを浮かべていた。
「ありがとね、拾蔵君……君だけは絶対、敵に廻しちゃいけないね」
「ケツ山先生がそんな下手こく訳ないやんか……ほんなら、また学校で」
拾蔵はそこで、回線を切った。
この直前、和香が嬉し泣きしそうな表情を浮かべていたのだが、女子の泣き顔をこんな間近で眺めるのは何となく気が進まなかったのである。




