29.戦友の敵
トレパクとは、トレースとパクりを組み合わせて略した造語である。
他者の著作物を無断でトレースし、それをパクる行為を意味するのだが、これはクリエイターとしては最もやってはならない卑劣な行いとして非難される。
特に既存のイラスト作品や写真作品に対してトレパクを実施し、それを無断で自作品として用いることは最大の禁忌であるとされている。
そのトレパク疑惑が、和香に向けられている。彼女がこれまでに発表したイラストのうち、十数品が該当すると指摘されているのだ。
和香は勿論、そんなことをした覚えは無いと主張している。
彼女はいつでも、自身の発想と独自のアイデアで作品を描き続けてきたという。拾蔵も、和香の言葉に嘘は無いと信じていた。
しかし事実は未だ、掴めていない。
夏樹家を辞してワンルームマンションの自室に戻った拾蔵は早速、和香がこれまでにネットにアップしてきた作品と、彼女にトレパク疑惑を突きつけているイラストレーターKEITOなる人物の作品を比較した。
確かに、よく似ている。否、似ているというよりも細部を除けばほぼ同一作品ではないかと思える程に、徹底してトレースされていた。
拾蔵は、ケツ山ゴン太郎の美麗な尻イラストのファンだと公言しているマインドシェイドの同僚ハッカー北岡と、通話回線を開いた。
そしてケツ山ゴン太郎にトレパク疑惑がかけられていることを知っているかと尋ねると、北岡は盛大な溜息を漏らした。
「うん、知ってる……もしそれが本当なら、僕も残念だよ。大好きな絵師さんだったんだけどなぁ」
「KIETOっていうイラストレーターのことは、知ってはります?」
拾蔵の問いかけに、北岡は最近頭角を現し始めた新鋭の絵師だと答えた。デビュー時期は分からないが、KEITO本人の言葉を借りれば、十年近いキャリアがあるとかどうとか。
「その絵師さん曰く、自分の絵の方が作成日は圧倒的に古いのがトレパクされた事実の最大のエビデンスだってことらしいけど」
北岡の言葉は今ひとつ、煮え切らない。彼もKEITOの主張に疑念を抱いているのだろうか。
拾蔵は、もう一度和香の部屋を訪ねる必要があると判断した。
「ところで何で、笠貫君がケツ山さんの件を気にしてるんだい?」
「知り合いにケツ山さんの大ファンのひとが居てはるんで、ちょっと気になったんですわ」
拾蔵は嘘をついた。迂闊に和香のことを喋ってしまえば話がこじれる様な気がしたからだ。
しかし北岡は然程気にした素振りも見せず、ふぅんと頷き返すばかりだった。
ここで拾蔵は通話回線を切り、今度は和香に生徒用SNSを通じて、明日もう一度夏樹家を訪ねる旨を申し入れた。
和香はすぐに返事を打ってきた。是非お待ちしています、と。
◆ ◇ ◆
翌日、拾蔵は学校から帰宅するとすぐに作業用のノートPCを抱えて夏樹家を訪れた。
この日は麗香ではなく、和香自ら玄関先に姿を見せた。彼女は昨日の様な部屋着ではなく、何故か外行きの衣服を纏っていた。
が、今はそんなことはどうでも良い。
拾蔵は和香ひとりだという夏樹家に早速、お邪魔させて貰った。麗香は今日は出勤しているらしく、共働きの両親も不在の為、和香と拾蔵ふたりきりということになる。
「えっと……お茶用意してくるから、適当に寛いでてくれるかな」
「ああ、お構いなく」
和香がキッチンへ足を運んでいる間に、拾蔵は作業用ノートPCを立ち上げた。
このノートPCはメインのハッキング用PC程のパワーと速度は無いが、和香のイラスト周辺の情報を探るには十分なスペックを具えている。
「お待たせー……んで、あたしは何をしたら良いのかな?」
お茶菓子を乗せたトレイを学習机に置きながら訊く和香に、まずはイラスト制作用のPCを立ち上げて欲しいと頼んだ。次いで、夏樹家のWiFiのセキュリティキーも要望。
和香は拾蔵の言葉に疑いを抱いた様子はなく、PC起動とセキュリティキーの提供に応じた。
その後、拾蔵は和香のPC内にWiFi経由で自身のノートPCから入り込み、そこに保存されている全てのイラストデータを抜き出してメタデータを解析した。
どのイラストもここ数年以内に制作されものばかりである。メタデータ内に保持されている作成日時には特に問題は無さそうだった。
次いで、KEITOが諸々のイラスト系SNSにアップしているデータをダウンロードし、それらに付随してくるメタデータを解析。
見た目には、KEITOのイラストの方が和香のものよりも数年以上早く制作されたことになっている。
が、拾蔵は僅か数分で、トレパクしたのはKEITOの方だと断じた。
「え……どうやって分かったの?」
「チェックサムが合わん。バイナリレベルで後からメタデータ弄っとる。書き換えたのは多分、作成日んとこやろな」
もうここまで分かれば、十分だ。後は拾蔵がハッカーとしての本来の能力をフルに発揮すれば、このKEITOを叩くことが出来る。
拾蔵は和香が出してくれた紅茶を一気に飲み干し、一緒に供された菓子類をポケットに突っ込みながら立ち上がった。
「ケツ山先生、三日だけ時間くれ。俺がこいつを始末する」
「そんなこと……出来るの? 拾蔵君が?」
驚いて立ち上がった和香。
信じられないという思いと、助けて欲しいと願う切実な思いが複雑に絡み合った色が、その瞳の中で揺れていた。
「まぁ、任せといてくれ。ケツ山先生の敵は、俺の敵や」
それは拾蔵の、偽りなき本心だった。
和香を傷つける奴に容赦するつもりは、一切無い。
彼女は、学園祭の後夜祭を共に走り抜いた大事な戦友でもある。これまで和香は拾蔵を色々と助けてくれたのだから、今度は拾蔵が彼女の為に動く番だった。
「そう……なんだ……拾蔵君が、あたしの為に……」
俯いた和香の声が、僅かに震えた。
拾蔵は辞去の挨拶だけ述べて早々に彼女の部屋を飛び出したが、その時、和香の頬を涙が伝い落ちていたことまでは全く気付いていなかった。