28.トレパク疑惑
ミスター学園祭に選出され、周囲から今までにない注目が集まってしまうのではないかと危惧していた拾蔵だったが、しかしそんな心配を払拭してしまう事態が起きた。
(あれ……ケツ山先生、今日は休み?)
学園祭も終わっていつもの日常が帰ってきた、最初の通常授業の月曜日。
拾蔵は次々と飛んでくる朝の挨拶や学園祭での活躍についての感想などを適当に聞き流しながら、和香の席に誰も座っていないことに意識が向いた。
そして結局、彼女が登校することは無かった。
先週末の学園祭も、そしてその直後の土日のSNSアプリ上でも元気な様子だっただけに、拾蔵は少しばかり気になった。
(学園祭で疲れたんやろか)
六時間目を終えて、そのまま速攻で帰宅しながら道中でDMを送ってみたが、これにも返答が無い。
いつもなら一分と待たずに反応があるのに、これは一体どうしたことか。
(何かあったな、これは)
拾蔵はミスター学園祭の賞品である松坂牛の、和香の取り分を渡しに行くという口実で彼女の自宅を訪ねることにした。
和香から直接自宅住所を教えて貰ったことは無いが、全校生徒名簿には記載されている。そこから辿ったことにすれば違和感は無いだろう。
そうして帰宅後、切り分けて冷蔵庫内に保存していた松坂牛の一部を保冷バッグに突っ込んでから、私服に着替えて夏樹家まで足を延ばした。
「はぁ~い」
三階建ての比較的真新しい一戸建て住宅の玄関前で呼び鈴を鳴らすと、すぐに応答があった。玄関先に出てきたのは、呼び鈴の声の主らしき若い女性で、その顔立ちは和香そっくりだった。
「夏樹和香さんの同級生で笠貫といいます。先日の学園祭で貰った賞品の、夏樹さんの取り分をお渡しに来ました」
「あ、もしかすると君が、あの子がいってたギターの彼ね? どうぞ、上がって上がって」
その女性は夏樹麗香と名乗った。
和香の四つ年上の姉で、今は社会人として実家暮らしをしながら会社勤めしているとの由。
拾蔵が松坂牛3kgの入った保冷バッグを手渡すと、麗香は目を丸くしながらも素直に喜んでくれた。こうして笑顔を見せてくれるひとが居ると、頑張った甲斐があったというものである。
その後、拾蔵は三階にある和香の自室へと案内された。
「和香ぁ、お友達が来て下さったわよぉ」
すると『わかのひみつきち』というデコレーション文字が記されたドアが、秒で開いた。
「あれ……拾蔵君? 何でうちに?」
和香は上下ともグレーのスウェットで、髪は大雑把なお団子に纏めていた。
まさに部屋着の女子という雰囲気だったが、その顔立ちはいつもの彼女である。恐らく登校時でもスクールメイクは施していないのだろう。すっぴんの和香は教室で見せる整った容貌そのままだった。
「松坂牛、持って来させて貰たよ」
「あ……あぁ、アレね。態々ありがと」
微妙にはにかんだ笑みを浮かべながら和香は拾蔵を室内に招き入れた。
拾蔵はてっきり、女の子らしい可愛げのある部屋を想像していたのだが、意外とそうでも無かった。小綺麗に片付けられており、ファンシーな雰囲気や女子好みの可愛らしさを追求した感じは一切見られない。
ただ、ところどころにアニメグッズが点在しているのが和香らしいといえば、らしかった。
「ほら、座って座って」
和香は学習机から椅子を引っ張り出して拾蔵に勧めてから、自身はベッドに腰掛けた。
と、そこへ麗香がお茶菓子を持ってきてくれた。どうやら彼女は、この日は在宅勤務だったらしく、何かあれば声をかけて欲しいといい残して仕事部屋である自室に去っていった。
「元気そうやな。変な病気でのうて良かったわ」
「うん、まぁ、体の方はご覧の通り、ぴんぴんしてるんだけどね……」
この時、和香が見せた笑顔に翳りが差した。
矢張り何かあったな――拾蔵は、和香が日頃からざっくばらんな態度を見せていることに若干の期待を寄せつつ、いきなり本題へと切り込んだ。
「何があった? 学校を休む程に気分が滅入ることか?」
「え? あぁ、うん……まぁ、その通りっちゃあ、その通り、かな……」
和香の視線が学習机横の縦置き型パソコンと、その隣に立てかけられているデジタルイラスト制作用の液晶タブレットに、ちらりと飛んだ。
その一瞬で拾蔵は、イラストレーターとしての彼女に何かがあったと即座に察した。
「ケツ山ゴン太郎に問題発生なんやな」
「……拾蔵君、変なところで鋭いね」
和香は否定しなかった。
同時に拾蔵は、表情を引き締めた。ほとんど直感的に、自分の出番だと察した。そしてすぐにスマートフォンを手に取り、ケツ山ゴン太郎で検索をかける。
すると、和香が抱えている問題が数分とかからずに判明した。
「トレパク疑惑?」
「うん……あたしには全然、身に覚えの無いことなんだけど……」
沈んだ表情で俯く和香。
イラストレーターにとって、トレパク疑惑をかけられることは死活問題に直結する。これは決して、軽く見て良い問題では無かった。
(ケツ山先生に手ぇ出す奴がおんのか……エエ度胸しとるやないか)
我知らず、怒りの念が湧いた。
今までの彼ならば、女性の為に自分の意志で何かしてやろうというのはほとんど無かった。例外は琴音ぐらいであろう。
それ以外は大抵、他から依頼されて動くケースばかりだ。今回の和香の問題の様に、拾蔵が自ら動くというのは非常に珍しい。
いい換えれば、それ程に和香を大事な友人として認めていることでもあった。
「詳しく、聞かせてくれへんか」
「え……もしかしてあたしの為に、何かしてくれるの?」
驚きと疑念と、そして期待。
それらが複雑に入り混じった感情が、和香の瞳の中で渦巻いていた。