24.松坂牛で騙る女
そして学園祭当日。
前日まで裏方役として、模擬店の装飾品や大道具の制作を進めてきた拾蔵は、当日はほとんど何もやることが無い。
ホール担当役は主に女子が受け持ち、中でも玖瑠美は看板娘として一線級の活躍が期待されていた。
尚、2年A組の模擬店は、メイド風コンカフェ。ありがちでベタな選択だが、しかし人気が高いのも事実である。実際、開店当初から客の入りは上々だった。
一方、拾蔵は開店前の準備だけを終わらせ、さっさと教室外へ出た。
適当にぶらぶらと校舎内を歩き回る。色んな方向から元気な呼び込みの声が飛んでくるが、拾蔵はいずれもちらりと一瞥するだけで、特段どこかの出展に顔を覗かせるということはしなかった。
しかし、そのうち飽きてきた。
良い加減どこかで腰を落ち着けようかと考え始めた時、不意に和香が拾蔵の前にひょっこり現れた。
確か彼女も裏方役だった筈だから、今は暇を持て余していたのだろう。
「やっほぉ~、笠貫君! 暇してるぅ~?」
暇人かどうかを問いただすにしては、やけにテンション高めの和香。その手には、何やら派手な意匠のプリントが握られていた。
「それ何?」
「あ~、これ? アレだよ、ミス&ミスターコンの応募用紙」
ここで思わず小首を傾げた拾蔵。
和香はどちらかといえば、陰キャに近い。なのにミスコンに出ようというのだろうか。中々の度胸であるといわねばならない。
ところが次の瞬間、和香は恐ろしいひと言を放った。
「あ、代わりに笠貫君をエントリーしといたからね」
一瞬拾蔵は、和香が何をいっているのか分からなかった。彼女は今、確かに拾蔵をエントリーしたといった様に聞こえたのだが、空耳だろうか。
拾蔵が脂汗を流しながら再度訊いてみると、どうやら聞き間違いではなかった様だ。
「いやだから、笠貫君をミスターコンに推したんだよ。あたしが」
「……自分、なんちゅうことしてくれんねん……」
思わず天井を見上げた。そういえばこのミス&ミスターコンは他薦も可だった。本人の意志云々を問わず、知人友人が勝手にエントリーすることも出来るシステムだった。
しかし大抵の場合は自薦か、若しくは当人の了解を得た上での他薦だろう。
まさか和香が拾蔵の意志を確認もせずに勝手にエントリーしようなどとは、一体誰が想像出来るというのか。少なくとも拾蔵には全く思いもよらなかった。
ところが和香は悪びれた様子は一切見せない。それどころか、恩着せがましくドヤ顔を披露する有様だ。
「まぁね、笠貫君がこういうのに興味無いってのは何となく分かってたよ。でもね、ここ見てよ、ここ」
いいながら和香が指し示したのは、エントリー用紙の隅っこの部分。
そこにコンテスト1位の賞品がでかでかと記されていた。
「え、何? 松坂牛って、マジか?」
「うん、マジ。これはもう狙うしか無いっしょ」
この時、拾蔵の心は大きく揺れた。
陽キャ共の間に飛び込むなんて癪に障る様なことは極力避けたい。しかしこの松坂牛10kgというのは余りに魅力的だ。別に自分がイケメンだとも美男子だとも思っていないが、この美味そうな肉の絵面には抗えないものがある。
「ほぉ~ら……貴方は段々、出たくな~る……出たくな~る……」
「ぐぬぬぬ……」
拾蔵の前で松坂牛の部分をアピールしながら、エントリー用紙を左右にひらひらと振る和香。
凄まじい葛藤が、拾蔵の心を大きく揺さぶる。
しかし結局最後には、松坂牛の魅力には勝てなかった。
「教えてくれケツ山先生。俺は、何をしたら良い?」
「ぬふふふ……遂に決心した様だね玖瑠美割り拾蔵君」
この敗北感というか背徳感というか、兎に角物凄く悪いことをしている様な感覚に、和香の悪魔の様な囁きが心地よく響き渡る。
「何でも良いんだよ、笠貫君。場を盛り上げる必殺テクがあれば、大体はその場のノリで上手くいくものなんだよ。さぁて、君のアゲアゲな必勝サプライズは何かなぁ~?」
和香の甘言が拾蔵の深層心理にじわじわと攻め込んでくる。
この時拾蔵は、場を盛り上げる必殺テクというフレーズに思い当たるものがあった。
(そうや……厳さんにみっちり教えてもろた、アレがあるがな)
この時、閃いた。
拾蔵は両親を事故で亡くし、心身共に塞ぎ込んだ時期を過ごしたことがある。そんな時に厳輔が、気晴らしの為にと拾蔵にあるものを教えてくれた。
今ではすっかり手に取らなくなったが、少し練習をすればすぐに感覚を思い出すだろう。
(そうや、アレや……もうアレで勝負するしかないわ)
腹を括った拾蔵は和香の両肩を掴んで、ぐいっと引き寄せた。
和香はびっくり眼のまま、いきなり顔を近づけてきた拾蔵を、ぼーっと眺めている。
「夏樹さん、こうなったらもう、一蓮托生や。あんたにも手伝って貰うで」
「え? あ、あぁ、やる気になったんなら僥倖だけど……んで、何やんの?」
問い返す和香に、拾蔵は腹の底から響く様な低い笑い声を返した。
「あんたがいうところの、アゲアゲな必勝サプライズや。多分、この学校におる奴は誰も、俺の秘密兵器のことは知らん筈や」
「おっとぉ……こいつぁ期待出来そうじゃないか玖瑠美割り拾蔵君」
どうやら和香も、その気になってきたらしい。その瞳に野心の光がぎらぎらと輝き始めた。
待っとれよ、松坂牛――本気を出した拾蔵は、ひと味違う。
今、この男の頭の中には学園祭の成功など欠片も無く、ただひたすらに松坂牛ゲットの瞬間の光景だけが浮かんでいた。