20.因縁との決着
徳谷敦の問題は、拾蔵が美奈貴に対してひと言、この男だけはやめておけと忠告するだけで全て終わった、と思っていた。
しかし現実は違った。
後で聞いた話によると、徳谷敦は自分に接触を取ってきたマッチングアプリの女性会員全てに対して、犯罪行為に関わらせる形で弱みを握り、自分から逃げられない様に楔を打ち込んでいるらしい。
ある女性は美人局の片棒を担がされ、ある女性は電車内で見知らぬ男性に痴漢冤罪をふっかける囮役をやらされた。
彼女達はいずれも、現実では非モテの所謂干物女的な存在であり、マッチングアプリで出会った徳谷敦に一瞬で口説き落とされ、彼に依存する様になってしまっているのだという。
そして彼女らは自分自身も犯罪行為に手を染めてしまった為、警察や親族に打ち明けることも出来ず、日々苦しい思いに苛まれているらしい。
これらの被害は件のマッチングアプリ運営会社にも持ってゆくことが出来ず、非公開のチャットルーム内でこれ以上被害者が出ない様にと、お互いに情報共有する形で泣き寝入りするしか無かった。
そのチャットルームに、美奈貴も招待されていたことから、徳谷敦の悪行について知ることが出来たのだという。
この話を、再び琴音の部屋で美奈貴の口から聞かされた時、拾蔵はどうしたものかと悩んだ。
全く見も知らぬ男であれば、琴音と美奈貴からの依頼という形で徳谷敦を社会的に潰すことも出来た。しかし奴は過去に、明菜を拾蔵から寝取ったという形で拾蔵個人と浅からぬ因縁を持っている。
そこがネックだった。
「ねぇ拾蔵君……その徳谷敦っていうふざけた奴を何とかする方法、無いかな?」
琴音が悔しそうに唇を噛んでいる。
だが拾蔵としては、この場で即答は出来ない。
「出来るかどうか、ちょっと調べさせて下さい」
一旦はそう答えるにとどめ、拾蔵は自室に戻ってすぐに厳輔と連絡を取った。
チャットアプリの向こうで厳輔は、ああそういうことかと苦笑を滲ませていた。
「せやけど拾蔵、お前がこうして態々俺に報告してくれたってことは、お前は絶対に間違いなんぞ犯さんってことが証明された訳や。せやから、お前の好きにしたらエエよ」
厳輔は拾蔵から多くを聞くまでもなく、端から信頼してくれていた。
拾蔵が所属するハッカー集団『マインドシェイド』は、日本政府公認のホワイトハッカー部隊だ。
これは換言すれば、国家権力を後ろ盾として持っているということに他ならない。
日本という国は人権尊重国家であり、専守防衛の国でもある。その理念の最たるものが、日本国憲法の前文と第九条に表れている。
マインドシェイドも日本政府に力を貸し、同時にその庇護を受ける以上は、国家公務員と同等とまではゆかなくとも、それに近しい精神をその屋台骨に刻む必要があった。
その表れのひとつが、隊規第二条。そこには、
『所属ハッカーは己の個人利益の為に、そのハッキング技術を利用して他者に不利益を与えてはならない』
という形として明記されている。
つまりは、警察がその権力を警察官個人の利益の為に用いることが出来ないのと似た様なものだ。
かつて拾蔵が徳谷敦に明菜を非道な形で奪われた際、あの男にハッキングを駆使して報復しなかったのは、この縛りがあったからだ。
明菜が拾蔵に復縁を迫った時でさえ、拾蔵は徳谷敦の現状を調べるにとどめ、それ以上何もしなかったのはこの隊規第二条に従ったからである。
しかし今回は、事情が違った。
飽くまでも琴音と美奈貴からの依頼であり、その範囲内でのみハッキング技術を駆使するというのであれば、拾蔵個人の利益の為に動いたとは見做されない。
対徳谷敦に於いて拾蔵が己の感情や過去の経緯を一切持ち込みさえしなければ、それで良いという訳だ。
「せやけど、その徳谷敦ってのもやらかしてしもうたな。余計なことせんとじっとしとったら、お前に目ぇつけられることも無かったやろうに」
などと笑いながら、厳輔は回線を切った。
拾蔵も、苦笑を禁じ得なかった。
◆ ◇ ◆
数日後、徳谷敦は麻薬取締法違反の罪で現行犯逮捕された。更に数十件にも及ぶ諸々の犯罪も積み重なり、執行猶予はほぼ期待出来ない状況にまで追い込まれていた。
また、件のマッチングアプリで徳谷敦と関わったとされる女性達は、その関連の痕跡が一切消去されていた。徳谷敦がどれほど訴えようとも、証拠が何ひとつ残されていない為、警察も検察も全く相手にしようとはしなかったという。
この結果を、拾蔵が琴音の部屋で掻い摘んで説明すると、琴音は心からほっとした表情を浮かべた。
「ありがとうね拾蔵君……君ならきっと何とかしてくれるんじゃないかって思ってた」
「いや、俺が直接何かした訳やなくて、ちょっとそっち方面のひとらに相談しただけですわ」
この応えは、嘘である。拾蔵が直接徳谷敦を徹底的に潰したのだが、自身がハッカーであることを琴音には話していない為、それ以上のことはいえなかった。
「これで拾蔵君も、やっと次のステップに進めそうかな」
「いや……そらぁ無理ですね。ED患ってる奴を誰が相手するんですか」
拾蔵は苦笑を滲ませながら琴音が出してくれた熱いコーヒーをすすっていたが、その隣で琴音は、愕然と美貌を凍り付かせていた。
「え……拾蔵君……もしかして……その、例の酷い裏切りが、原因で……そんなことに……なってたの?」
「あれ? 話してませんでしたっけ?」
拾蔵は自身が勃起不全であることにすっかり慣れてしまい、今更ショックを受けることもないから軽い気分でさらっと話したつもりだったが、琴音はこの世の終わりの様な表情で、拾蔵の顔をじっと見つめた。
「御免、拾蔵君……そんなことになってるなんて、知らなかったから……私、もしかしたら、拾蔵君を傷つけること、いってたかも……」
「いやいや、そんなん気にせんといて下さいって。実際俺、琴音さんとこうして気軽に話せる様になってから、今まで一度かて嫌な気分になったことなんてありませんて」
そして同時に、拾蔵は悲観など一切していなかった。
琴音とはもうすっかり、本当の姉弟の様に気軽に話せるまでになっている。彼女に対しては敵愾心など欠片にも湧いてこない。
そして不思議なことに、クラスの女子達に対しても今までの様な嫌悪感、敵愾心が湧くことが少なくなっていた。それは拾蔵自身でも驚きの変化だったが、徳谷敦との因縁が決着に至ったことに加えて、琴音が拾蔵に施してくれた数々の心遣いのお陰だと思っている。
(とはいえ、あんなに毎日追い掛け回されんのは論外やけどな……)
勃起不全と少々の女性不信は未だに残っているものの、今後は余り苛々せずに学校生活を送ることが出来るだろうか。
拾蔵は少しばかり、期待した。