13.天敵たる美少女
理科室に入り、玖瑠美と差し向かいで椅子に腰を下ろした拾蔵は、扉の外に少なくない気配が張り付いていることに盛大な溜息を漏らした。
「何やっとんねん、あいつら……」
「あは……な、何か、緊張しちゃうね……」
玖瑠美は幾分困った様な表情で、はにかんだ笑みを漏らした。
緊張しているのか、或いは迷惑に思っているのか。それは拾蔵には分からないが、表面上だけでも笑顔を向けてきているということは、会話の余地はある。
拾蔵はこの際、外の連中のことは無視することにして、目の前の美少女の表情にだけ意識を集中させた。
「ほな早速やけど白坂さん、あんたに訊きたいことがあります」
「あ……は、はいっ」
ぬぅっと上体を乗り出す拾蔵に対し、玖瑠美は圧倒された様に背筋を伸ばした。
「ここ最近、白坂さんを中傷する書き込みが生徒用SNSの間で出回ってるのは知ってると思うけど、白坂さん自身はあれについて、どない思うてる?」
「え……あぁ、あれ?」
玖瑠美は拍子抜けした様子で目を瞬かせた。もっと違う言葉で迫られるとでも思っていたのだろうか。
ともあれ、彼女は暫く考え込む素振りを見せてから、僅かに俯き、上目遣いで見つめ返してきた。
「えと……笠貫君もあの噂、気になってたりする?」
「いや、俺のことはエエねん。白坂さんにとって実害が出てるかどうかを聞きたい」
拾蔵は仏頂面のまま、玖瑠美の美貌を真正面からじぃっと凝視した。
これに対し玖瑠美は一瞬残念そうな面持ちを見せたが、すぐに気を取り直した様子でかぶりを振った。
「んと……あたし自身は別に、あんなの何とも思ってない、かな。あたしが今までやってきたこと、知ってるひとは全部知ってるんだし……」
随分と意味深で、且つ遠回しな口ぶりだ。何か裏に抱えているものがあるのだろうか。
しかし今はそんなことはどうでも良い。拾蔵が知りたいのは、玖瑠美にとって実際に被害が出ているかどうかの一点のみだ。
「でも、そうだね……あそこに名前を出されたひと達には申し訳無いっていうか、あたしの所為ですっごく迷惑かけちゃってるから、そこだけは本当にキツいかな」
曰く、玖瑠美と付き合っているなどと嘘の情報を流されたことで、彼らは次のステップに進めなくなっているかも知れない。他の新しい彼女を作りたくとも、あの噂の所為でそれが出来なくなるのではないかという点を、玖瑠美は随分と危惧していた。
ここで拾蔵は表情こそ変えなかったものの、内心では幾らか感心した。
玖瑠美はどうやら、他者への気遣いが出来る女子らしい。見た目は派手なギャルで、自分さえ良ければ何でも良い陽キャのひとりかと思っていただが、案外そうでもなさそうだった。
しかしいずれにせよ、彼女が気を病んでいるという事実はこれではっきりした。
であれば、矢張りこの問題は始末をつける必要があるだろう。そして拾蔵の技術を駆使すれば、犯人を特定することは難しい話ではない。というよりも、ほとんど朝飯前だといって良い。
結果を出すまでには三日も要らない。今夜中には犯人の特定と対処法は或る程度の目途付けが可能だろう。
但し問題は、この犯人の動機だ。
動機が分からなければ、確かな対処法が確立出来ない。
(最初は本人に黙って進めようとか思うてたけど、ちょっと無理かも知れんな……)
犯人特定後、もう一度玖瑠美に、本当に身に覚えは無いのかを訊かなければならない。そこで初めて、効果的な対策を打つことが出来る。
となると、もうここは腹を括るしかない。
拾蔵は敢えて、被害者たる玖瑠美を巻き込む方向に舵を切った。
「この問題、三日で片付ける」
「……え?」
玖瑠美の、きょとんとした表情。
それもそうだろう。本来であれば、拾蔵には彼女の問題に首を突っ込む理由も動機も無い。不思議に思われても仕方が無いだろう。
「ど……どういうこと? だって笠貫君、全然無関係じゃん……それに一体どうやって解決するの?」
「エエから、俺の話を聞け」
拾蔵は玖瑠美からの疑問の数々をシャットアウトした。今の彼に必要なのは問題の解決であって、玖瑠美が抱く疑問などにいちいち耳を貸すつもりも無かった。
「今夜、あんたにDM送る。そこで面通しや。犯人の動機が掴めたら、後はこっちで始末する」
伝えるべきことは伝えた。これ以上は時間の無駄だ。
立ち上がった拾蔵は玖瑠美の前から立ち去ろうとした。が、出来なかった。
どういう訳か玖瑠美が、拾蔵の上着の裾をぎゅっと掴んでいた。彼女は俯き、肩を小刻みに震わせている。
拾蔵は訝しげに首を捻った。
「もうエエで、帰って貰っても。こっから先は俺の領分やし」
「……あり……が、とう……」
よく聞き取れなかった。拾蔵としては出来るだけ早く、彼女とは距離を取りたいのだが。でなければ、あらぬ噂をばら撒かれる恐れがあった。
しかし玖瑠美は更に強く、拾蔵の上着の裾を握り締める。正直、迷惑だった。
「何か用あんの? 元々今日は、俺があんたにSNSの件を聞きたかっただけやねんけど」
すると玖瑠美は、涙に濡れた瞳を拾蔵の面に向けてきた。
拾蔵は逆に、渋い顔でじろりと睨んだ。
これだ――この顔が、拾蔵が最も嫌う女の醜い凶器だ。明菜が拾蔵を心のダメージで叩きのめした時も、今の玖瑠美と同じ様な表情を見せていた。
(クソが……女なんて、ホンマどいつもこいつも……)
しかしここで邪険に扱う訳にはいかない。下手に突き放してしまうと、この女から必要な情報を吸い出すことが出来なくなるだろう。
拾蔵は内心で盛大な溜息を漏らしながらも、表面上は何とか無表情を装いつつ、上着の裾を握り締める玖瑠美の手をそっと押しのけた。
「礼は早い。まずは結果や」
彼女の手が幾らか躊躇いの動きを見せながらも、一旦は離れた。これでやっと自由に動ける。
そう思って今度こそ踵を返して理科室を出ようとしたら、更に思わぬ攻撃が飛んできた。
いきなり玖瑠美が背後から抱き着いてきたのである。拾蔵はぎょっとなった。
「ご、御免ね……でも、あの……もうちょっと……一緒に、居て欲しいな、なんて……」
この瞬間、拾蔵は頭の中で怒り爆発寸前だった。
(もう何やねん、こいつは……エエから手ぇ放せや)
だが流石に、これもいえない。今の段階ではまだ、彼女を突き放す訳にはいかないのだ。
それにしても、本当に困った。
こういう手合いが一番厄介だ。拾蔵にとってはまさに、天敵の様な存在だった。