11.違う世界の住人
酔い潰れた琴音をベッドに誘導してから、拾蔵は後片付けに着手した。
余ったおでんはタッパーに入れて冷蔵庫にIN。
カセットコンロからガスボンベを外して流し台の横の棚に退避させると、台布巾でこたつの上をさっと拭き上げた。この間、拾蔵の頭の中では私立K大学附属高校で運用されている生徒用SNSのソフトウェア仕様が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返している。
このソフトウェア仕様は校内ポータルサイトでも公開されている為、入手することは簡単だが、利用者の大半は恐らく一度も読んだことが無いだろう。
しかし拾蔵は最初にこの生徒用SNSに登録した際、真っ先にこの仕様書を熟読した。
自分が利用する、或いは情報を登録するアプリに関しては徹底的にその設計内容を洗い出し、仕様上の漏れや不具合が隠れていないかを炙り出すことにしていたのである。
実は拾蔵は既に、この生徒用SNSには幾つかの欠陥があることを見抜いていた。そのうちのひとつは、セキュリティに関する致命的な問題だった。
(このアプリ……セキュリティキーが三世代ぐらい前やんか……こんなん、そこらのハッカーやったら誰でも対照表持っとるで)
当然、拾蔵も持っていた。だからいつでも、この生徒用SNSのデータサーバーやファイルサーバーに侵入することが出来る。
この生徒用SNSに今まで見向きもしなかったのは、拾蔵自身が生徒同士のオンラインでの交流というものにほとんど興味を抱いていなかったからだ。
しかし、今回は違う。
琴音の友人の妹が、このSNS上で被害に遭っているのだ。
女子生徒の為に動くというのが癪に障るが、琴音の期待を裏切る訳にもいかない。
(まぁやるとしたら、仕掛けた張本人に脅しをかけるってのが一番手っ取り早くて効果的やけど……)
こたつの天板上を綺麗に拭き上げながら、拾蔵は内心で小首を傾げた。
まずは被害者がどの程度、この問題を深刻に捉えているか――そこを確認せねばならない。
幾ら周りが大騒ぎしたところで、肝心の本人が被害者意識を持っていなければ、やるだけ無駄だというのが拾蔵の判断だった。
「あぁん……うぅん……拾蔵君……私……もぅ……食べられ、ない……」
妙に色っぽい寝言だが、琴音が寝ぼけて口走っている内容が内容だけに、拾蔵は苦笑を禁じ得なかった。
(まぁ、後はこっちでやっときます)
拾蔵は換気の為に少しだけ空けていたサッシ窓を施錠し、シーリングライトを常夜灯に切り替えてから、琴音宅を辞した。
◆ ◇ ◆
翌朝拾蔵は登校するや、即座に自クラスの教室内の一角へと視線を走らせた。
教壇近くの席に、琴音の友人の妹というのが居ることを昨日のうちに調べ上げておいたのである。まさかのクラスメイトだった。
名前は、白坂玖瑠美。
掻き集めた噂を総合する限りでは、明るくて誰とでも陽気に接する派手なギャル系美少女だ。ポニーテールに纏め上げた明るい髪色のウェーブヘアが特徴で、遠目から見てもよく分かる程に目立つ。
どう考えても、拾蔵とは住む世界が余りに違い過ぎる系統の美少女だった。
拾蔵が所属する2年A組には他にもギャル系女子は多いのだが、玖瑠美はその中でも特に存在感が強く、彼女の美貌と明るい声音、そして誰とでも打ち解ける陽気な性格で、いつでもひとの輪の中心に居た。
逆に拾蔵は、玖瑠美とは間違い無く対極の位置に居る。少なくとも自分ではその様に考えている。
休み時間中はほとんど寝ているし、クラスメイトとも朝の挨拶や必要最低限のこと以外は、まず言葉を交わすことが無い。
陰キャ連中でさえ、趣味や気の合う者同士でグループを作っているというのに、拾蔵は2年に進級して以降、ほとんど誰とも友人付き合いをしてこなかった。
そんな拾蔵に対しても、玖瑠美は過去に何度か声をかけてきたことがある。
しかし幼馴染みの明菜から受けた仕打ちで極度の女性不信に陥っていた拾蔵は、玖瑠美からの声に対しても、ぞんざいな反応しか返さなかった。
その過剰な程の塩対応に愛想が尽きたのか、それ以降玖瑠美の方から話しかけてくることも無くなった。
明らかに別世界の住民たる玖瑠美だが、その彼女をこれから拾蔵は救おうとしている。
但しそれは、飽くまでも玖瑠美自身が例の問題を脅威として考えている場合の話だ。
全く気にも留めていないのなら、そもそも解決してやる必要も無いだろう。
(まぁやるとするなら、本人に分からんところで、こそっと始末しといたらエエか)
態々こちらから恩着せがましく呼びかける必要は無い。そんなことをすれば、クラスの男子共に対しても余計な誤解が生じかねないだろう。
それにしても、彼女は本当に困っているのだろうか。ここから密かに伺っている限りでは、玖瑠美には暗い表情や悲壮感の様なものなどは、欠片にも感じられなかった。
であれば、彼女に関わるSNS上の問題を解決する必要が、そもそもあるのだろうか。
(案外、本人は全然気にしとらんっつうか、そもそも気付いていない可能性もあるよな)
今の段階では、どうにも判断がつかない。
もう少し、玖瑠美の表情を観察してその本心を見抜く必要があるだろうか。
などと考えていると、不意に玖瑠美と目が合った。極力彼女の方には視線を向けない様にと気を付けていたつもりだったが、その表情をじっくり観察する為に、我知らず目線が固定されてしまっていたのかも知れない。
この時どういう訳か、玖瑠美は拾蔵に笑みを返し、おまけに軽く手を振ってきた。
これは拙い――拾蔵はすぐさま目線を逸らし、窓の外を眺める体を装った。
(面倒臭い真似してきやがって……俺が見てたことバレたら、どうしてくれんのや)
絶対女子連中からキモいだの何だのと責められ、男子達からは玖瑠美に色目を使うなど言語道断だとばかりに断罪されるだろう。
そもそも玖瑠美を救おうと考えたのも、琴音繋がりからだ。琴音から話を振られなければ、彼女ががどうなろうと知ったことではなかった。
そんな相手から親しげな笑みを向けられ、おまけに手まで振られた。
どう対応しろというのだろう。
(あかんな……悪い未来しか見えてけぇへんわ。兎に角あの子とは接触せんと、裏でこそっと解決するにとどめとこう)
拾蔵はこの後、次の授業まで寝たふりで過ごした。