10.おでんを囲む美女とハッカー
朝晩の空気がかなり冷たくなり始めてきた頃。
拾蔵は隣室の琴音から、おでんを一緒に食べないかと誘われた。
そろそろ鍋物が美味しい季節になってきている。琴音はこれまでも時折、肉じゃがやきんぴらごぼうなどを差し入れてくれたのだが、そのいずれもが美味だった。
拾蔵も料理には自信がある方だが、琴音も結構な腕前らしい。
そこへ来て、この日のおでんだ。これはもう期待するしかない。拾蔵は是非お伺いしますと応じてから、マインドシェイドとしての作業を手早く終わらせるよう努めた。
「最近、仕事が早いな」
チャットアプリの向こう側で、厳輔が穏やかに笑った。
拾蔵は隣に琴音が引っ越してきたことも報告しており、彼女とはお隣さんとして諸々の交流を続けていることまで包み隠さず話していた。
「彼女ではないんやろうけど、お前が女性と仲良く出来てるんなら、俺はそれで満足やで」
厳輔は決して茶化すことなく、琴音との交流を素直に喜んでくれた。
拾蔵も厳輔に認めて貰えたことで、以前よりも更に琴音との日々のやり取りが楽しく思える様になってきた。決して男女の仲になった訳ではないが、こういう心地良い時間というものは、人生に於いてはきっと重要なものなのだろう。
「ほんなら、ちょっとおでん、御馳走になってきます」
「おう、腹一杯食うてこい」
そこで通話を終えて作業用PCをシャットダウンし、失礼にならない程度の衣服に着替えて隣室を訪問。
呼び鈴を鳴らすと、すぐに琴音が扉を開けて出迎えてくれた。
「いらっしゃ~い! さぁ入って入って!」
「お邪魔しますー」
室内に入った瞬間、出汁がよく利いた香りが鼻腔をくすぐった。
琴音はリビングのこたつにカセットコンロを据えており、その上によく煮立った鍋がぐつぐつと心地良い音を奏でていた。
「ごめんね、私、お酒飲んじゃうから」
「あぁどうぞ。ここは琴音さんのお部屋なんで」
最近拾蔵は雪祭さん、ではなく、琴音さんと呼ぶ様になっている。これは琴音からのリクエストだった。
「私だけ拾蔵君って呼ぶのは不公平じゃない? 私のことも名前で呼んでよ~」
ということで、拾蔵も下の名前で、琴音さんと呼ぶ様になったという次第。
以前の彼ならば、考えられない話だった。
女性は全て敵、あらゆる異性に対して鉄壁のガードを張り巡らせていた拾蔵が、琴音と接する時だけはまるで何のわだかまりも無く、自由に言葉を交わすことが出来ている。
お互いに気兼ねすることなく、本音で語らい合うことが出来ている様に感じているのは、決して気の所為などでは無いだろう。
この日も琴音は缶ビールを三本空けたところで、酔っ払い特有のとろんした目つきを見せる様になっていた。他の男が居る時では絶対にこんな醜態は見せないと豪語していたが、果たしてどうなのだろう。
「あ、そうだ拾蔵君……ちょっと教えて欲しいんだけど」
若干呂律が廻らない酔っ払い美女が、不意に何かを思い出した様子で問いかけてきた。
「最近ね、友達の妹ちゃんが学校限定のSNSで凄く困ってるっていってたの。何だか、ありもしない噂をばら撒かれてるらしいんだって」
更によくよく話を聞いてみると、その妹なる人物は、拾蔵が通う私立K大学附属高校普通科の女子生徒だという話だった。
「分かる範囲で良かったら答えますけど……どんな困りごとなんですか?」
「何だかね、付き合ってもいないひとと付き合ってることになってるとか……それも相手はひとりやふたりじゃなくて、三股ぐらいかけてる様な書き方されてるみたいよ」
その話は拾蔵も、どこかで聞いたことがあった。
琴音は又聞きで話しているから然程の深刻性が無い様に聞こえるが、実際に拾蔵が校内で感じた限りでは、かなり拙い状況に陥っている様だ。
このまま放っておけば、事件性を孕んだ問題に発展する可能性もあった。
「そうですか……お友達の妹さんがねぇ」
拾蔵は、そういう場合はもっとインパクトの強い爆弾ネタを投下して、皆の意識を逸らせるのが手っ取り早い解決法だと伝えたものの、果たして本当にそれだけで終息し切るかどうかは、別問題であった。
攻撃を仕掛けた者がその女子生徒に対して恨みを募らせていた場合には、再び同様の噂をばら撒くなどして問題の再燃化を図るだろう。
そうなると矢張り、噂の根源をどうにかしなければならないということになる。
「う~ん、そっかぁ……でもその妹ちゃん、身に覚えが無いっていってるから、諸悪の根源を探すのはちょっと難しいかも知れないね」
琴音は酔っ払いつつも、割りと真剣な表情で大根を頬張った。
しかし何故彼女は、拾蔵にこの話を持ってきたのだろうか。その点について訊いてみると、琴音はそうねぇと宙に視線を漂わせた。
「ほら……前にヤリサー連中を拾蔵君がやっつけてくれた時さ、あいつらの部屋を割り出して、私の私物とかを取り返してきてくれたじゃない? だからそういう、探し物とか失せ物なんかの探し方には結構強いひとなのかなぁって思っちゃった訳ですよ」
琴音のこの応えに、拾蔵は成程、と内心で苦笑を漏らした。
あの時拾蔵は、奪還方法については細かく訊くなと釘を刺しておいたが、しかし忘れろとはいっていなかったことを思い出した。
そういう意味では、琴音の言動は正しい。彼女は決して間違ったことはいっていなかった。
「一度、俺の方でも調べてみましょか」
「わぁ~! それ嬉しいかも! っていうか、超嬉しい! 拾蔵君が助けてくれるなら、速攻で解決しちゃうよね!」
酔っ払いの赤ら顔で心底嬉しそうに笑う琴音。
こういう反応は素直に可愛らしいと思えた。この時の琴音は女性としてというよりも、子供っぽいあどけなさを感じさせる可愛らしさを発揮していた。