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1.今どきのハッカーは拳も強い

 薄暗い部屋の中で、大型モニターだけが目に染みる光を煌々と放っている。

 ハッカー集団『マインドシェイド』のメンバー笠貫拾蔵(かさぬきじゅうぞう)は今宵、とあるSNSアプリのチャットサーバーとファイルサーバーの双方に侵入していた。


「厳さん、ここのセキュリティ、全然ダメですわ。穴、多過ぎ。今どきSQLインジェクションだけで、こんなあっさり入れるんですねぇ」


 別ウィンドウで立ち上げているチャットアプリで、マインドシェイドのリーダーであり拾蔵の従兄でもある笠貫厳輔(かさぬきげんすけ)に、呆れと同時に半ば愚痴にも近しいひと言を送りつけた。

 そんな拾蔵の声に対し、通話回線の向こう側で厳輔が静かに笑う気配を漂わせた。


「最近は色んなアプリが乱立しとるからな……素人に毛ぇ生えただけの奴にでもお手軽に立ち上げられる分、作る側のセキュリティ意識もどんどん低うなっとるわ」


 現代は情報過多の時代だ。同時に、ネットワークを介する無数のアプリがオンライン上に蔓延っており、その多くはセキュリティ対策が中途半端なままで終わっている。

 作った当人達は完璧に情報資産を守り切れているつもりなのだろうが、拾蔵の目から見れば、大手のしっかりしたソフトウェア会社製作のアプリ以外は、大抵どこかに致命的な穴が潜んでいた。


「ブツ発見、と……後は俺の方でやっときます」

「おう、済まんな……ところで拾蔵、お前まだ彼女出来へんのか」


 ひと仕事終えてチャットアプリも落とそうとした直前、厳輔からどこか憐れむ様な響きを含むひと言が飛んできた。

 拾蔵はもうすっかり慣れたのか、そうなんですわと自虐的に嗤った。


「お前も一向に童貞卒業出来へんなぁ……」

「もう良いですよ。諦めました。俺は一生童貞のままで結構です」


 それは半ば本気だった。

 かつて拾蔵には、将来を誓い合った幼馴染みの女性が居た。顔立ちも性格も良く、周囲から人気の高かった彼女は、十代半ばまでは本当に拾蔵と仲が良かった。

 そんな彼女に対して拾蔵は高校入学直前に告白し、晴れてOKを貰った。

 が、半年も経たない内に彼女の方が別の高校の年上イケメンと浮気し、あまつさえ寝取られの現場まで見せつけられた。その際に彼女が拾蔵に浴びせた罵声は、いつ思い出しても心が抉られる。

 この時、共に性の初体験を約束し合った仲は、そこであっさり瓦解した。

 後になって後悔したのか、幼馴染みは拾蔵に泣きながら何度も何度も繰り返し詫びたが、彼女の言葉は何ひとつ、拾蔵の心には響かなかった。

 そしてそれ以来拾蔵は極度の女性不信に陥り、その影響で十代半ばにして勃起不全を患う破目となった。

 これまでに女性の体に触れた経験といえば精々亡き母とのコミュニケーションと、破局した幼馴染みと手を繋いだことぐらいである。

 拾蔵としてはもうこのまま一生、愛するひとを作らずにひとり孤独に死んでゆく道以外にはあり得ないと腹を括っていた。


「勿体無いな……何でも出来る奴やのに」


 厳輔の、心底残念そうな声。

 拾蔵はこの万能な従兄に対してだけは、いつも感謝の念が止まない。

 彼からは色々なことを教わった。

 ハッキング技術に加え、いざという時の自衛の為に我天月心流(がてんげっしんりゅう)という必殺の古武術も習得させて貰った。

 それ以外にも料理や家事全般、株式投資のノウハウ、英仏露の実践語学など、多岐に亘る。

 それ故、厳輔の言葉には何ひとつ逆らう気は無いし、彼から何をいわれても気に障るということは絶対にあり得なかった。

 この時も、恋人がいつまで経っても出来ないという厳輔の残念がる言葉に対して、反発する気分など一切生じなかった。寧ろ逆に、己の情けなさと不甲斐なさだけを感じる始末だった。


「まぁ、まだまだ人生長いんやし、気長に構えとけ」

「そうしときます」


 ここで本当に、通話回線が切れた。


◆ ◇ ◆


 腹が減った。

 拾蔵は近所のファミレスで軽い食事を済ませ、自宅近くの河原の遊歩道で深夜の散歩へと洒落込んだ。

 平日の深更だからか、ひと気はほとんど無い。

 この静かな時間帯が拾蔵は大好きだった。何も考えず、無心で川の流れに耳を澄ませることが出来る。これまでの嫌な記憶、辛い思い出が全部洗い流される気分だった。

 ところが、この日の夜はいつもとは少し様子が異なった。

 誰かが、よろよろと頼りない足取りで近づいてくる。この遊歩道は余り灯火が多くない為、近くに寄ってくるまではその全貌がはっきりと視認出来ない。

 やがてその人影は拾蔵の姿を認めるや、急に足取りを急がせて近づいてきた。


「お、お願い……助けて……」


 女性だった。歳の頃は、拾蔵より幾つか上か。二十歳前後といったところか。

 整った顔立ちに、明るい髪色のミディアムボブがよく似合う。しかしその姿は奇妙な程に汚れていた。

 十月も半ばを過ぎた涼しい時期だというのに、纏っている衣服はややサイズが大きいグレーのパーカーのみ。若干派手なピンク色のブラジャーとミニスキャンティは、何故か気崩れている様にも見えた。

 しかもこの女性、裸足だった。

 一体何があったのだろうとのんびり眺めていると、遊歩道の向こうから幾つかの足音が迫ってくるのが聞こえてきた。

 女性は酷く怯えた様子で拾蔵の後ろに廻り、彼を盾にする様な格好で近づいてくる数名の男共に怯えた視線を投げかけた。


「おいガキ、おめぇ邪魔すんのか? ボコられたくなきゃあ、その女こっち寄越せ」


 先頭を歩いてきた派手なチャラ男が、下卑た笑みを浮かべながら偉そうに命令してきた。

 この瞬間、拾蔵は頭の中で何かがブチっと切れる感覚に身が震えた。折角の穏やかな時間を台無しにしてくれたこの連中に、無性に腹が立った。

 そしてそれから数分後――ほとんど裸に近い美女を追ってきた男共は、苦悶に呻きながら遊歩道の一角でのたうち廻っていた。

 後で知ったことだが、この連中はとある大学のサークル仲間だという話だった。女性を連れ込んで輪姦しまくる主旨の、所謂ヤリサーというやつだ。

 餌食になった女性は色々な手法で脅され、警察や家族に訴えることも出来ないらしい。

 拾蔵には全く無縁の、違う世界の話の様に思えた。

 彼に助けを求めてきた美女は、拾蔵に叩きのめされたヤリサー連中に狭いアパートの一室へと連れ込まれ、危うく地獄の様な目に遭わされるところだったという。


(ふぅん……色んな世界があるんやなぁ)


 件の美女は拾蔵にしがみつき、涙を流して何度も何度も感謝の言葉を繰り返していたが、拾蔵には今ひとつピンと来なかった。

 幼馴染みに裏切られた時の鈍い疼きが、胸の奥で蘇る。

 女なんてどいつもこいつも、皆クソばっかりだ。

 そんな思いで、拾蔵は泣きながらありがとうを連呼する美女を冷たく見下ろしていた。

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