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タイムカプセル

作者: 岡田久太郎

             一


 車窓に、馬の形をした山が見えてきた。馬の頭に当たる所が山頂で標高三百メートルほどある。山肌で杉を植林している所は濃い緑色をしている。杉が伐採された区画は下草がむき出しになり、薄緑色に見える。土か石を採取しているのだろう、茶色い地肌が見えている所もある。自然林など一切残っていない。梅雨空のせいか、山は貧相そのものだ。

 山本伸治は座席から立ち上がり、網棚に載せていたバッグをおろした。ドアのそばに立ち外を見ていると、福岡から乗った電車は水田地帯を通り過ぎ、山のふもとにある市街地に入っていった。関東の風景に慣れた目には、この九州の小都市の建物は低かった。空き地も目立つ。

 この町は炭鉱を中心にした工業都市だった。昭和二十年代が最盛期で、その後は斜陽の一途を辿っている。人口は往時の半分以下になった。

伸治は小学校を卒業するまでこの町で過ごした。中一の時に父親が勤めていた工場が閉鎖され、一家は東京に移った。それから十三年がたつ。この間、この町に足を踏み入れたことはない。あの山やこの町の風景を思い出すことはあった。今こうして実物と向き合ってみると、山は思い描いていたよりも低い。町も小さく寂しい。

景色を眺めていると、胸が絞めつけられるような気がしてきた。子供とは言え、辛い時もあった。友達と喧嘩をしたり、親や教師から叱られたりして、涙を流した時もある。それはすべて、この町で起きたことだ。そして、あの山が見守っていた。

 この街を去って十三年。今、こうなってしまった。暗い気持ちが襲ってくる。

「まもなく、O、Oに到着します」

 車内放送が町の名を告げた。スピードを落とした電車の中はがらんとしている。伸治のほかに降りようとする人はいない。伸治は再び外に目を向けた。町は殆ど変っていない。

踏切を通り過ぎるごとに目は道路に向かっていた。子供はいないだろうか。子供がいたら、その子の顔をよく見たい。ひょっとしたら、その子は子供の頃の自分かもしれない。そうだとしたら、その子に乗り移り、やり直したい。だが、町に人影は少なかった。


              二


 O駅で降りると、にぎやかな駅前商店街がある筈だった。しかし、殆どの店のシャッターが閉じていた。たまに開いている店があるが、中は暗く、商売をしているとは思えない。町の景気が良かった頃の名残で、道の上に屋根をかぶせたアーケードになっている。それだけに暗い。歩く人は殆どいない。

商店街を抜けると、小学校が見えてきた。三階の建物だが、樹木が高く伸びている。高い建物が少ないこの町では遠くからでもよく見える。

「山本君?」

 校門を入ると、背の高いがっちりした男が声をかけてきた。誰だが思い出せずに男の顔をじっと見た。

「佐々木だよ。分からない」

 佐々木、あの佐々木か。伸治はやっと分かった。目元に名残があるが、それ以外はまるっきり変わっている。小学生時代の佐々木は小柄で大人しい奴だった。駆けっこが無類に遅く、リレーをする時、同じチームになるのを嫌がられた。目の前にいる佐々木は背が伸治よりも高い。中学に入って背が伸びたようだ。

「東京からわざわざ来てくれて有難う」

 伸治は、東京じゃない、埼玉だよ、と言おうとしたが止めた。小学生の頃の自分もそうだったが、九州の人間には東京も埼玉も区別がつかない。

「皆、砂場の横に集まっている」

 佐々木は校庭の隅を指さした。そこには、既に十人ほどがいて立ち話をしている。

伸治が歩いて行くと、向こうから声をかけてくれた。小学校の同級生たちだった。この町では雇用が少ない。若者が去り、子供の数が激減した。学校の統廃合が進み、伸治が学んだこの小学校もとうとう無くなることになった。跡地は老人ホームになるらしい。

 伸治たちのクラスは小学校の卒業記念にタイムカプセルを埋めていた。三十年後に掘り出して開ける約束になっていたが、放っておけば工事で行方不明になってしまう。市役所に就職していた佐々木が音頭を取り、タイムカプセルを掘り出す会を開いてくれた。

 定刻の午後四時を過ぎると、佐々木が歩いてきた。

「青木君が来ることになってるけど、まだ来ないんだ。でも時間が来たから始めようか」

 総勢十二人になっていた。男が四人、女が八人。女性陣は名前をちゃんづけで呼び合い、うるさいぐらいに賑やかだ。男たちは近況を伝えあうと話すこともなくなった。煙草を吸ったり、イヤホーンで音楽を聴いたりしている。

 担任の先生は体調が悪く来ることができなかった。佐々木が学校からスコップを借りていて、砂場の横の地面を掘り始めた。

「佐々木君だけじゃなく、他の男子も手伝いなさいよ」

学級委員だった川田真知子が声をあげた。

「川田、うるさかぞ。お前はちーっともかわらん」

先生や女の子たちからいつも怒られていた古賀が口を尖らせた。伸治はスコップを手にし、佐々木と共に掘り始めた。梅雨が続いていたせいで土が柔らかい。十分もしないうちにタイムカプセルを掘り当てることができた。カプセルの周りの土を取り除くと、縦横五十センチ、深さ二十センチ、小さな金庫ほどの箱が姿を見せた。

「そうよ、これよ。ここに埋めたのを今思い出した」、「クラスで作った記念品とか、手紙とかを入れたのよね」、「懐かしい」

 皆、穴の周りに集まり、カプセルに目を向けた。伸治と佐々木が穴に下り、タイムカプセルに手をかける。そして、持ち上げた。

 バタン、大きな音がした。伸治の手にかかる重みが急に軽くなった。下に目を向けると、足下に紙やこまごました物が散乱している。

「何やってんの、開いちゃったじゃないの」

 真知子が笑いだした。他の全員も笑った。金具が錆つき、カプセルが開いてしまったようだ。

「しょうがない。中身を見ちゃおうぜ」

 何本もの手が穴に伸びてきた。各自が、色紙で折った鶴、絵本、寄せ書きをした色紙、人形、ミニカー、ガンダムなどを手にした。お互いに見せ合い、十三年前の日々を懐かしむ。 

「たまごっち、動くかな」

 古賀はゲーム機を動かそうと夢中になっている。少し離れた所で佐々木が何かを読んでいた。

「なんだいそれ」

伸治が声をかけると、佐々木は紙を伏せ、顔を上げた。

「手紙だよ。皆、三十年後の自分に向けて手紙を書いていたんだ。山本君のもあると思うよ」

 佐々木の足下に、ビニール袋に入った封筒の束があった。伸治は自分あての封筒を探しだした。今、読んでいいのかな、後ろめたい気持ちが少しあったが、手紙を読む誘惑に勝てなかった。封筒から手紙を取り出し、ブランコの所に行って読み始めた。


三十年後の山本伸治どの

あなたは、今、しあわせですか。

ぼくのゆめは船医になることです。

あさってから東京に行きます。東京の子にまけないようにがんばります。


これだけだった。太い鉛筆で殴り書きしている。字は今も下手だが、それ以上に汚い字だ。一文字ごとにあちこちを向いている。

『しあわせですか』か、今、幸せだろうか、伸治は自分に問いかけていた。幸せとは言えない。どこかで歯車が狂ってしまった。若い頃にもっと勉強すれば良かったか、あるいは、まともな企業に就職していれば違っていたか。

小六の頃の夢は船医だったようだ。そう言われればそうだった。母親は自分が医者になるのを望んでいた。自分はそれほど医者になりたかったわけではないが、ただで世界中に行けそうなのが良かった。

しかし、勉強に熱が入らなかった。中学、高校ではぱっとしない成績。医学部どころではなかった。三流私大の文系に入った。景気が回復してきたお陰で、名の通った住宅メーカーに就職できた。あの時、親は喜んだ。息子が一流企業に就職したと近所や親戚に話して回った。

仕事は営業だった。住宅展示場にいて、家を建てるかどうか迷っている客をその気にさせる。客が支払える限界ぎりぎりの住宅プランを提案する。他社に仕事を取られないよう、客のもとへ日参する。

でも、会社に入って二年になるが、契約できたのは一軒だけ。その一軒も親戚がお情けで仕事をくれたものだ。ああいう会社は客をつかむために新入社員を大量に採る、それがやっと分かった。

古参の社員が美味しい客を取ってしまうので、新入社員は成績をあげられない。しょうがないので親戚や知り合いに自分の会社を使って住宅を建ててくれと頼む。一、二軒は何とかなっても、その後は難しい。

成績のあがらない社員は皆の前で非難される。辞めたいと自分で言い出す。会社は給料が安いうちに社員を辞めさせ、新しい社員を入れる、そんな仕組みだ。

俺ももう辞める。辞めた後どうするかはまだ決めていない。いわゆるフリーターになるのだろうか。そうなるとさすがに、同窓会には出にくい。それで、連休を利用してここに来た。Oの町や小学校の同級生とは、これが見納めになるかもしれない。

『東京でがんばります』、か。もうちょっと頑張っていれば、違っていたかもしれない。でも、あの会社じゃ駄目だ。


             三


ぽつり、ぽつりと雨が降ってきた。伸治は手紙を封筒に戻した。皆で中身をタイムカプセルに戻すと、佐々木の車に運んだ。佐々木は、残りの十七年間、市役所の倉庫で保管する手筈を整えてくれていた。

暇な人間はカラオケに行くことになった。八人で個室に入ると、伸治は真知子の隣に座った。

「山本君、Mハウスに勤めてるんだって。すごいじゃない」

 真知子が話しかけてきた。

「営業だよ。客にぺこぺこしているだけさ」

「正社員でしょ、すごいよ。頑張ってるんだ。私は派遣よ」

 この町では福岡や関東に比べて就職先が少ない、と真知子は言う。アルコールが入り、曲を歌ううちに、八人は打ち解けてきた。伸治は仕事で我慢して貯めた金を散財する気だった。福岡まで飛行機で来た。宿は駅前のビジネスホテルを予約してある。仕事のことは頭の隅に追いやった。

「ファイト、ファイト、ファイト」景気の良い音楽が鳴り響いた。アントニオ猪木のテーマソングだ。古賀が立ち上がりマイクを握った。全員で手拍子を打ち始める。古賀は猪木の真似をしながら歌い始めた。

一番が終わった時、「赤コーナー、ジャイアント佐々木、ジャイアント佐々木。青コーナー、グレート山本、グレート山本」古賀が佐々木と伸治を指差し、リングアナウンサーの口調で叫んだ。佐々木と伸治は慌てて顔を横に振ったが、女の子たちはやれやれと囃し立てる。猪木のテーマソングが鳴り響く中、押し出されるように二人は前に出た。

 古賀が二人の手を取り、向かい合わせた。本気でプロレスをさせる気らしい。伸治は席に戻ろうとした。しかし、佐々木は音楽に合わせてステップを踏み、笑みを浮かべて伸治を見ている。伸治も腹を決めた。

 二人は相撲のように組み合った。力を抜いたまま押したり押されたりしているうちに、曲が終わった。そろそろ終わりにしようと思った時、佐々木が投げを打ってきた。倒れる前に力を抜いてくれるかなと思ったが、そのままの勢いで伸治は絨毯を敷いた床に倒された。佐々木が上になり、伸治の頭を床に押さえつける。逃げようとしたが、佐々木の体は伸治より大きい。顔をぐいぐいと床に押し付けられ、眼鏡が外れた。

 何だこいつ、思わずかっとなり、起き上がろうとした。だが、逃げることができない。押さえつけられているうちに、酒を飲んでいるせいもあるだろう、息が苦しくなってきた。


「カバンを返して」

 学校の帰り、背の低い子が自分のカバンを取り戻そうと、背の高い子に取りすがる。

「もう帰んのかよ。塾に行くのか。もっと遊ばんとおもしろなか」

背の高い子は、カバンを他の子に投げる。背の低い子がその子に向かうと、その子はカバンを他の子に投げる。背の低い子は半泣きになり、誰かにむしゃぶりつく。クラスで流行っているプロレスごっこになるが、じきに背の低い子は組み敷かれてしまう。

背の低い子は佐々木である。佐々木をからかっている数人の中に伸治がいる。

「佐々木、ギブアップか? はよ、ギブアップって言わんか。そうすりゃ勘弁してやる」

「ギブアップ」佐々木は息も絶え絶えに言う。

「よし、じゃ、第二ラウンドだ」

 やっと立ち上がった佐々木に他の子どもが組みかかる。佐々木は運動神経が鈍く、体も小さい。プロレス技がおもしろいようにかかる。


「もう、やめなさいよ」

 真知子の声が聞こえてきた。伸治は小学校六年の頃を思い出していた。今、自分がこうされているのを佐々木は毎日やられていた。

佐々木が力を抜いた。佐々木が、続いて伸治が起き上がった。古賀が間に入り、二人はそれぞれの席に戻った。

 真知子がビールを注いでくれた。伸治のコップを持つ手が震えていた。息も荒い。伸治はビールを飲み干すと、佐々木を見た。佐々木は次に歌い始めた女の子に目を向けている。

「大丈夫?」

 真知子が尋ねてきた。伸治は頷いた。あの野郎、本気でやりやがった、悔しくてまだ鼓動が速い。真知子がまたビールを注いでくれた。

「サンキュー」

 お礼を言ったが、顔がひきつっているのが自分でもわかる。

「山本君、お互いさまよ」

 真知子が伸治の顔をまっすぐに見ていた。

「山本君たちって、佐々木君をいじめてたでしょ」

「いじめじゃないよ」

 伸治は首を横に振った。いじめじゃない、ふざけていただけだ。

「いじめよ。あれは」

 真知子ははっきりと言った。伸治が佐々木を見ると、佐々木は穏やかな表情で、なおもステージに目を向けている。あれをいじめと言うのか。伸治は佐々木の泣き顔を思い出した。

「謝ってきたら」

 真知子が言った。

伸治はビールを手に立ち上がった。佐々木に近づくと、古賀が横にずれてくれた。その間に座り、佐々木のコップにビールを注ぐ。

「佐々木、小学校の頃はいろいろと悪かったな」

 佐々木は伸治に向かって笑顔を見せた。

「こっちこそごめんな。さっきはまじになっちゃった」

 伸治も笑うことができた。


             四


 翌朝、伸治が駅に行くと、真知子と佐々木が待っていた。

「また、来いよ」佐々木が言った。

 頷くのは簡単だった。だがここに来るには、飛行機代やホテル代がかかる。

「俺、会社辞めるんだよ。今度いつ来れるか分かんねぇな」

「山本君、会社辞めるの」

 真知子が尋ねてきた。

「ああ、俺はあの仕事を続けられない。格好悪いんで隠しておこうと思ったけど、昨日佐々木と取っ組み合いになって何かさばさばした。アルバイトでもするわ」

「そうね、無理をしても続かないから。元気でね」

「佐々木、タイムカプセルは頼んだぞ」

 佐々木は頷くと、口を開いた。

「昨日で俺とお前は貸し借り無しだ。東京で無理せずに頑張れよ」

 東京じゃなくて埼玉なんだけど、と言おうと思ったが止めた。


 電車がやってきた。乗り込むと、窓の外に目を向けた。山と町が遠ざかっていく。くよくよ後悔しても始まらない。ともかくあしたは仕事に行こう。十七年後、幸せかどうか分からない。でも、タイムカプセルを開けにこの町に戻ってくる、伸治はそう思った。


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