表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/18

強引な約束

***


 リエナは目の腫れが引いたことを確認すると、ゆっくりと部屋を出て、校舎の中にある食堂へと向かった。窓から見える景色は近くの木々も遠くの雲も赤く染まり始めていて、もうすぐ夕暮れの時間だと分かる。一日サボってしまった後悔と、誰にもばれないで済んだという脱力感が伴ってぐったりとする。この倦怠感の理由はそれだけではない。昼間、突如として襲撃してきたテオが気がかりだったせいでもある。一応、出口は教えた。手伝えることは手伝ったつもりだったが、後になってちゃんと帰れただろうかと心配になってきた。幼い頃から一緒に育ってきたのだ、自分の弟のようでどうにも落ち着かない。それに、フィリーネにも心配を掛けることになるかもしれないと思うと、引き止めて状況を確認しておかなかったのは失敗だったかもしれないと思い始めた。


「はぁ……」


 悲しいことに、心配事が多くてもお腹は減る。


 この寄宿学校での食事は決まった時間帯に男女隔てなく食べる決まりになっていた。そろそろ夕食の時間だろう、とリエナは先程からうるさいお腹を押さえて周りに聞こえないように誤魔化す。


 まだフィリーネは部屋に帰ってきていなかったが、昨日の夜から何も口にしていないリエナのお腹は限界を迎えていた。それに、なんとなく顔も合わせづらく、フィリーネを待たずに逃げるように出てきてしまった。


「あ」

「リエナ」

「リエナ!」


 食堂の入り口でフィリーネとテオに遭遇する。姉弟揃って、同じ様に目を丸くして、同じトーンでリエナの名前を呼ぶものだから、食堂にいた生徒の視線を集める羽目になり、恥ずかしくて顔が熱くなる。


 食堂に着いたら、なるべく早く食事を済ませて早々に退散しよう。そう思っていたのに、リエナの運は昨日から無くなったようだ。


 テオはともかく、フィリーネはリエナの元気そうな様子を見て、安堵したような暖かい笑顔を向けた。


「リエナ、元気になったのね! 良かったぁ」


 やはり心配をかけていたのかと思うと心苦しさでまともに目が見れなくなる。フィリーネの視線を遮るように顔を微妙に逸らす。テオは何かを考えるように首を捻った後、リエナの顔を覗き込んだ。


「具合悪かったの?」

「ええ、まぁ……」

「そっか」


 テオには昼間、腫れ上がった目を見られているため、嘘がバレそうで内心焦る。姉とは違い、昔からテオは物事の本質を見極めるのが得意だった。良く言えば気を利かせることが出来る、悪く言えばいつも周囲の流れに気を張っていて、子どもながらに色々と感じることが多そうだった。それ故の引っ込み思案だったのだが、今の性格になっても芯は変わっていなさそうで少し怖い。虚勢を張っている今の自分を悟られたくない、と強く思う。


「あの」

「あ、リエナも一緒に夕食をとりましょう! 話したいこともたくさんあるの」



 リエナが口を開きかけたのを遮ってフィリーネは声を弾ませた。リエナに向けられたそっくりな二つの笑顔を見た瞬間、三人を囲む空気が昔のような穏やかなものに変わった気がした。リエナは思わず肩に入れていた力を抜き、小さく頷いた。


 フィリーネは嬉々としてリエナの手を取り、半ば強制的に近くの長テーブルの端に座らせた。フィリーネはリエナの横を陣取り、テオはリエナの向かい側の席に着いた。完全にライヘンベルガー包囲網だ。姉弟の息のあった行動を久しぶりに目の当たりにし、一人っ子であるリエナは羨ましさで懐かしくなった。


「今日はシチューみたいよ! わたしこの食堂のシチュー大好きなの」


 夕食のメニューでこれだけ舞い上がれるところがフィリーネの素直で隣に居て心地よい性格を表しているなぁ、と思う。こんな素直さが自分にあれば、と何回思ったことか。


「はい、どうぞ」


 気が付けばテオが三人分の食事を用意してくれていた。家では食事を始め、身の回りの世話は全てメイドがやっていた。それは由緒ある侯爵家のフィリーネやテオも同じはずで、食事を運んだことすらないだろう。自分のことは自分でする、を校訓に掲げているエールマー校に入学したからには仕方のないことだと思うが、テオが食事を運ぶ姿に違和感を拭うことが出来なかった。


 ふと、リエナは改めてテオを観察した。最後に会ったのは四年前で、今は十三歳になっているはずである。声は少し低くなったような気がしたが、他は記憶と大差ない。背も少し成長したようだが、長身のリエナの背を越すにはまだかかりそうだ。


 リエナは心の中で少し安堵した。多少性格が変わったような気がしたが、テオは今も可愛い弟だと再確認できた。


「あ、そういえばテオからの手紙置いておいたの、分かった?」

「あ……」


 フィリーネは思い出したようにリエナの方を向いて小首を傾げた。


 あの手紙はテオからだったのか。手紙を読む前に本人が登場してしまい、バタバタしている間にすっかり忘れてしまっていた。


「この子ったら、いつも連絡がギリギリなんだから」

「それはフィリーネも一緒でしょ」


 呆れるようにテオの方を見るフィリーネと呆れ返すように茶化すテオ。日常だった優しい光景にリエナの心は段々と溶けていく。


「ごめんなさい。色々あって手紙読めていないんだけど、何か用があったの?」

「え、読んでないの? だからかぁ……」


 テオは大袈裟に肩を落とすと、いたずらっぽい瞳でリエナを見た。その瞳が意味することをリエナは知らないが、少しの違和感は感じ取った。言葉にするのは難しいが、獲物を見つめているときの猫の瞳に似ているような気がした。


「俺もエールマー校に編入することになったからっていう報告が書いてあったんだよね」


 面会日でもないのにテオがここにいる時点である程度予測はしていた。あんなに小さくてフィリーネの影に隠れていたテオがもう入学出来る歳になったのかぁ、と感慨にふける。が、同時に色々な疑問が浮かんでくる。


「でも、よくこんな田舎の学校に入学させてもらえたわね? わたし、てっきりテオは王都の学校に行くものだとばかり思ってたわ」


 姉のフィリーネも隣で強く頷いているので、元々はそういう流れだったのだろう。テオほどの名家の長子はこの学校では珍しい。ここに居るのは大体が家を継がない貴族の子女たちばかりだ。よく言えば友人たちと隔たりが無い関係を築けるが、逆に言えば本来王都で築けるはずのネットワークやコネクションは望みが薄い。幼い頃からそういう教育を受けてきたテオがそこを理解していないはずがないのだが。


「そこは、愛の力かな」


 テオは誇らしげに言うが、リエナは首を傾げる。


 愛の力、とは……?


「この学校に好きな子でもいるの?」

「まぁ、そうなのテオ!」


 リエナが問い掛けると、横でフィリーネが瞳を輝かせてテオの方を見た。そんなフィリーネの様子を見て、リエナは後悔した。弾みとはいえプライベートな質問を、こともあろうに実の姉の前でしてしまうなんて。


「いるけど」


 しかしテオは気にする素振りも見せずにきっぱりと言い放った。あまりにもはっきりと肯定するテオに聞いたこっちが恥ずかしくなってくる。だが、これほど素直に自分の想いを伝えられることが、こんなにも羨ましいと思う自分がいるのも確かだ。もう今更、全て遅いけれど。


「応援してるわ」


 せめて幼馴染のテオには幸せになってもらいたいと心から思う。勿論、早々に興味が弟の恋愛からシチューへと移って、隣で美味しそうにシチューを頬張って小動物のような顔をしているフィリーネにも幸せになってもらいたいと思う。今はまだ心の整理がついていないけれど、時間が解決してくれるのを待つしかないと、リエナは小さく息を吐いた。


「応援してくれるの?」


 テオは思わぬ言葉に食いついた。その言葉に嘘はなかったけれど、ここまで当てにされてしまうと自信がなくなる。そもそも自分の恋愛すら上手くいかなかったリエナにテオの応援が出来るのだろうか。


 不安になってきて声が小さくなる。頼りない姉でごめんね、と心の中で謝りながら精一杯の気持ちを込めて答える。


「え、えぇ……わたしに出来ることなら……」

「あるある、たくさんある!」


 テオの勢いに流される形で言質を取られる。テオ性格が変わってしまったことも含め、好きな子のために必死なっている姿が、いかにも年頃の男の子という印象を受けて少し胸が跳ねる。こんなに想われて、相手の女の子はきっと幸せになれるだろう。根拠は無いがそう思わずにはいられない。


「じゃあ明日授業が終わったら放課後図書室で」

「えっ」

「応援、してくれるんでしょ?」


 ヤケに“応援“に含みを持たせてテオは言う。リエナは気押されるように目を丸くするとわけもわからず首を小さく縦に振った。


「やったぁ」


 テオは昔と変わらない天使の笑顔を見せる。その瞬間、テオはテオなのだと再認識してなぜか安堵した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ