弟、襲来
「わたし宛……?」
裏返すと、ピンク色の小さなメモが貼ってあり、『リエナへ 今日は休むと伝えておきます。お大事に』と見慣れた字で書かれていた。このメモはフィリーナが残したもので間違いないだろう。昨日の今日だ、具合が悪いと勘違いして起こさないでくれたらしい。リエナは息を吐き出すと、手紙を見返した。
手紙が閉じてある蝋の刻印はフィリーネの実家であるライヘンベルガー家のものだった。貴族ではないベンクトソン家は家紋を持つことを許されておらず、子どもの頃からこの刻印入りの手紙が羨ましかった。
でも、なぜ、リエナ宛にライヘンベルガー家から手紙が届くのか。
不思議に思って手紙を開けようとした瞬間、背後で物音がした。今は授業中だ。寮に残っている生徒はいないはずなのに。
リエナが振り返るより前に背中に衝撃が走る。何かにぶつかった感触の後、細い腕がリエナの腰に回された。
「え」
振り返ると、唇が触れそうな距離に綺麗な頬があった。リエナは驚いて目を見開く。
「会いたかったよ、リエナ」
記憶にあるよりは少し低く、それでもまだまだ少年の面影を残した声が耳に触れそうな唇から漏れて聞こえる。
身体を捻って顔を正面から見据えると、記憶と違わない屈託のない笑顔の少年がいた。
「テオ!」
そこにいたのはフィリーネの四つしたの弟、テオだった。テオはリエナに正面から抱きついたまま、腕に力を入れた。おのずと距離は縮まり、吐息が感じられる。あまりに性急過ぎる動きにリエナは声が出ない。
「俺のリエナは益々可愛くなって……あれ?」
何かを言いかけたテオは少し固まると小さく首を傾げた。天使と評された容姿は健在で、むしろ輝きが増したようにも思えてなんだか眩しい。
「なんか、ブスになった?」
久々の再会なのに失礼にも程がある。これは泣き腫らしているだけで、本当はもっとマシな顔をしている、と抗議したいが、理由が理由なので言い出せない。
それに、やけに激しいテオのスキンシップも気になった。寄宿学校に入る前、最後にあった時のテオはこんな性格ではなかった。姉と似ている可愛い顔と栗色のねこっ毛をふわふわさせて、いつもフィリーネの影に隠れていた。リエナが話しかけると顔を赤らめて、それでも一生懸命に応えていた。そんな天使がこんな過剰なスキンシップをしてくるはずがない。
リエナはおもむろに目の前にあるテオの頬を摘まんで左右に引き伸ばした。男とは思えないほどのきめ細やかな質感に思わず声が出る。
「いたっ!」
テオの反応で我に返る。
「なに?」
「あの、もしかしたら夢かなって」
どうやら違うらしい。目の前にいるテオは本物で、腰を抱かれているこの状況も現実らしい。
「夢かと思うほど格好良くなってた?」
「それはどちらかというと印象変わらない」
ばっさりと切り捨てるが、姉と一緒で全く気にした素振りを見せない。
テオは腰に回していた腕を上げ、両手でリエナの頬を包み込んだ。輪郭をなぞるように滑らされていく指がやけにくすぐったい。
小さく声が出てしまい、慌てて顔を背けるが思ったよりも強い力で正面を向かせられる。フィリーネより暗い緑色の瞳と目が合い、なぜか逸らせなくなる。
「やっと追いついた……手が届く場所にリエナがいる」
テオは愛しむような瞳でリエナを見つめ続ける。リエナはこの状況をどうしたらいいのかと頭をフル回転させる。先程からずっとテオのペースに巻き込まれてしまっている。そもそもここは寄宿学校で、今は授業中で、それで。
「リエナ……」
テオはリエナの名前を呼ぶと、ゆっくりと顔を近づけてきた。が、リエナの頭の中はそれどころではない。考えて、考えて、一つの結論に至った。
「ここ女子寮!」
いきなり大きな声を出したリエナにテオはビクッと肩を上下させる。明らかに困惑しているテオをよそに、リエナは見る見る眉間に皺を寄せていった。
「男子禁制だから!」
それだけ言うと、立ち上がりテオの腕を掴み立ち上がらせる。有無を言わせない強い力に細身のテオは簡単に動かされる。
「とりあえず出て行って」
短くそれだけ言うと、テオを部屋から追い出した。廊下から困惑するテオの声が聞こえてくる。このままだとばれてしまうのも時間の問題だと思ったリエナはゆっくりと顔の幅だけドアを開けた。
「入ってきたんだから知ってると思うけど、そこの廊下を真っ直ぐ行って突き当たりを右に曲がると玄関だから。早く行った方がいいよ、寮母のケリーさん、怖い人だから見つかったら大変」
簡潔にそれだけ言うとすばやくドアを閉める。ドアの外側にしばらくあった気配はしぶしぶといった様子で小さい足音と共に消えていった。