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いきなり失恋

 努力は必ず報われるって、誰が言い出したのかも分からない言葉を信じ続けた自分が馬鹿だった。


 そんな名前も知らない誰かに八つ当たりをしてしまう位には、人生が逆さまにでもなってしまったような気分だった。


 決定打、と表現すれば、今の自分の気持ちを表すのに丁度良いだろうか。今までの自分を全て否定されたような、でも心の奥で納得している自分がいるような、なんとも言いがたい気持ちに鈍い痛みが伴う。


 こんなことなら最初から全部、無かったことにならないかな、などと自暴自棄にも近い考えに至ってみる。けれど、どうあがいても、自分はリエナ・ベンクトソンである事実は変わらず、長年の秘めた想いを諦めなければならない現実も変えようがなかった。



 放課後の図書室。リエナは明日の予習に必要な資料を探すべく、壁一面に広がった天井に付きそうなくらい大きな本棚の間を縫うように歩いていた。火気厳禁の図書室は暖房器具が窓際のヒーターのみで肌寒い。はぁ、と吐き出した空気はすぐに白く曇り、ふわりと広がって消えていく。リエナは両手を握ると小さく身震いした。膝下まであるグレーのスカートから覗く足は厚手の黒のストッキングを履いている。加えて学校指定のモスグリーンのセーターを着ているがあまり温かさは感じられない。窓の外には雪がちらついていて、もうすぐクリスマスなのだということを感じて少し気持ちが高ぶってしまう。


 歴史あるこのエールマー校の誇れるものの一つにこの広大な図書室があった。学術的にも貴重な資料を保管しているここは、リエナのお気に入りの場所で、暇を見つけては通っていた。大概の生徒は本になど興味がなく、ここを訪れる人間は多くない。一人になりたい時は決まってここで過ごしてきた。誰の視線も気にしなくていい、そんな場所だからこの場所が好きになっていった。


 しかし今日は珍しく先客がいるらしい。ひそひそと、しかし堪えきれないような女の子の笑い声が聞こえてきた。リエナは何の気なしに喋り声が聞こえる方へ歩いていく。と、会話の中に気になる名前が出た。


 女の子たちは図書室の中にある談話室の中に居るようだった。リエナは出来るだけ息を殺すと、悪趣味だとは思いながらもそっと窓際から中を覗きこんだ。真っ直ぐすぎるくらいの黒髪が肩から落ちて壁に張り付き、まるで壁と一体になったかのような体勢になってしまい、あまりの光景に恥ずかしくなってくる。しかし、リエナは小さく頭を振って羞恥心を追い払った。改めて中を覗くと、同じクラスのハンナとレナが小さなテーブルに向かい合って座っていた。


「ねぇ聞いた!?」


 ふわふわとした柔らかそうな髪の毛のみつあみを揺らしながらハンナが少し興奮気味に身を乗り出す。ハンナはクラスの中でも好奇心が旺盛で、色々なうわさ話を知っていた。いつもハンナを含む数人が、きゃあきゃあと楽しそうにうわさ話をしていて、遠巻きに眺めていたが、しばらくすると自分の中で羨ましいという感情が生まれてしまったこともある。秘密を共有する姿が、なんだか見えない絆で結ばれているような気がしたからだ。


「何が?」


 対するレナは落ち着いた印象の女の子だった。どちらかと言えばリエナ寄りの性格のはずだが、リエナと違って誰とでも仲が良かった。将来の夢は医者だと公言するにふさわしい成績と人望で、学年の中でも一、二を争う成績の持ち主だった。父親は爵位持ちの貴族だが、彼女の優秀さには後ろ盾など感じさせない。男兄弟もいる中で彼女が一番優秀で揉めているらしい、という話だが彼女は気にするでも無く、そんな所も彼女の人望を厚くする要因だった。


 リエナは話したことも無いクラスメイトに思いを馳せた。いつか話せたらいいな、と夢を見ながら随分と日が経ってしまった。いい加減、勇気を出してみよう、そんなことを考えていると。


「カルヴィン様のお相手が決まったって!」


 ハンナの言葉に背筋が凍った。


「え、それ本当なの!?」


 いつもは冷静なレナも少し大きな声を上げた。それもそうだろう、彼はいつでもここの生徒の一番の関心の的なのだ。リエナだって例外ではない。ただその“関心”を寄せている時間が他の生徒より長いというだけで。


「この目で見たんだから間違いないわよ!」


 間違いない、という言葉に目の前が真っ暗になって涙が出そうになる。現実を受け止め切れなくて下唇を噛む。これはリエナが子どもの時から、辛いことがあるとついやってしまう癖だったが、最近はしないようにと自制していた。なのに。


「でもそれが本当なら、リエナ様のお立場が……」


 急にハンナがリエナの話題を出し始め、思わず声を出しそうになった。慌てて口を両手で塞ぐと呼吸を整える。


「あー、まぁ……相手が侯爵令嬢のフィリーネ様じゃ……」


 レナの言わんとしていることに耳を塞ぎたくなる。レナは賢く現実的だ。他意はなく、リエナの一番気にしている、心の奥底にしまい続けている思いを口に出そうとする。


「そうね……。いくら資産家の娘と言っても……」


 リエナがすぐ近くにいるとはつゆ知らず、ハンナとレナは噂話に花を咲かせる。この二人に悪気はない。勝手に聞き耳を立てている自分が悪いのだ。そう分かっていてもいつもの悪い癖が出そうになる。


「フィリーネ様とカルヴィン様お似合いですものね」

「ねー! あー憧れちゃうなぁ」


 カァッと火がついたように身体が熱くなる。押さえていた感情が溢れ出してくるのが分かった。また同じことを繰り返してしまうと、頭では分かっているのに押さえが利かない。


 リエナはゆっくりと立ち上がると二人が話している談話室の半分開いたドアをノックする。場違いなくらいの笑顔を見せながら。


「もうそろそろ寮の門限じゃない?」


 リエナの顔を見たハンナとレナは顔面から血の気を無くして、操られたように機敏に立ち上がった。そして慌てて荷物をまとめると、気まずそうにリエナの横を通り過ぎ、逃げるように足早に去っていった。


 またやってしまったと後悔の念がリエナを取り巻く。決して脅したかったわけじゃない。どう声を掛けたらいいのか分からず、会話と関係ない話を振ってみたが、どうやら失敗だったらしい。



 一代で莫大な資産を成したリエナの家は、常に周りから成金のレッテルを貼られ続けてきた。近づく大人なみんな打算的、声を掛けてくる男は資産目当て。周りの人間に恵まれなかったリエナの唯一の理解者が大貴族のフィリーネだった。小さい頃に出会って以来、いつも一緒にいた。中々素直になれないリエナに寄り添い、いつも笑顔で隣にいてくれた。そんなフィリーネがリエナは大好きだった。


 十三歳になると、フィリーネは全寮制の寄宿学校に行くことになった。フィリーネしか友達がいなかったリエナは自分に甘いと認識している父親に頼み込んで、同じ寄宿学校に通わせてもらえることになった。フィリーネと一緒に居られれば何でも良いと思っていたリエナだったが、不覚にもこのエールマー校で一歳年上のカルヴィンに出会い、目を奪われた。


 カルヴィンは王家の親類だが病気がちだったため、王都から遠く離れた田舎にあるエールマー校に療養も兼ねて通っていた。しかし、体調が安定することは少なく、中々姿を見ることは叶わなかった。


 会えない時間は重なり合って感情へと育ち始める。リエナは初めての感情に戸惑い、カルヴィンの事をもっと知りたいと思うようになった。不器用なリエナが思いついた方法は、カルヴィンと同じ生徒会役員になることだった。元々潤沢な資金で英才教育を施されていたリエナは生徒会に入ることも難しくはなかった。


 生徒会に入った後も、リエナはあらゆる方面で努力をし続けた。病弱なカルヴィンを支えられるようなパートナーになれるようにと、張り切り過ぎたせいで、乗馬やフェンシング、その他多くの競技で男子生徒をも負かすほどの腕前になっていた。


 しかしそこからが問題だった。フィリーネとしか接してこなかったリエナは圧倒的にコミュニケーション能力が足りなかった。フィリーネは穏やかな性格で何を言っても肯定してくれるため、リエナの言葉遣いは少々冷たく感じるものになってしまっていた。自分では意図しない方向で誤解をされ、誤解を解く方法を知らなかったリエナはクラスはおろか学園内でも浮いた存在になっていた。


 そんな生活を送っていくと、皆は口々にこう言い始めた。太陽のような笑顔で優しいフィリーネは物語のヒロインのような存在、対して何でもこなせるがキツい性格のリエナは冷血令嬢だ、と。


 冷血令嬢のレッテルにリエナのコンプレックスはどんどん増し、カルヴィンはおろかフィリーネとも距離を置き始めた。それでも、自分に原因があると理解しているリエナは人知れず努力を重ねていた。


 努力すれば認められて、みんなの輪の中に入っていけると思ったのに。



 先程のハンナとレナの会話を思い出す。諦めと惨めな気持ちが折り重なって、心が考えることを拒否する。リエナは頭を振ると図書室を出た。


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