Alice in belly
少年が長い袖で見えない腕をゆっくりこちらにかざすと、大百足はそれに呼応して顎をカチカチと鳴らし、ゆらりと動く。
あ
静寂を壊したのは少女でした。
百足が体を前に飛ばす、そのコンマ数秒前に麗夜の足が横に向いた。
片腕で音源を取って、ぐいと引き、身を投げる覚悟で後ろに跳んだ。
ガドンと地面が砕けて、つぶてが散る。
五歩あるくほど不安定な着地をした麗夜の耳には、残響よりカチカチという異音が響いていた。
「おー?お姉さん霊能者かー、なぁ?いやそうだなぁ」
奇妙に間延びした声が粉塵の中から現れる。
「……誰、アンタ」
「あはぁー……端的にいうならぁ…?自己紹介でもしようか?」
オーバーなコートの袖を、持て余すようにふるふるとしながら歩いてくる。
「僕はリュウ、君たちが今生に会う最後の人だよ。」
ドゴン!
後ろから音の衝撃が飛んでくる。
見れば粉塵の中にいたはずの大百足が民家から這い出ていた。
また後ろから、恐ろしい何かが近づいてくるのを感じた。
「よく気づいた、ねぇ?」
鎌と見紛うような鋭さの蹴りが、すんででかわした麗夜の腕を掠め切る。
摩擦か血か、熱さがあった。
拙い走りで背中を向けて走るが、停止。
前方はズルズルとよじる音をならす大百足が道を塞いでいる。
狩りや戦をてんで知らない麗夜にとっても、挟み撃ちというのがいかに恐ろしく強力なのかが理解できた。
一瞬だけ後方をみやる。
「んひ、ひひひ、ははあはは」
長い袖を振り子のようにさせながら、少年は歩いてゆっくりと迫ってきていた。
再び訪れた静寂にまとわりつくような笑い声と己の荒れた息が加わっていく。
麗夜は思考する。
アレはなんなのか。
今何をするべきか。
麗夜は死が関わるタイミングであることを正しく理解していた。
腕の中でかくりと気を失う少女は、存外重石というわけでもない。
殴りかかるわけでもない、腕が使えないだけだ。
その上で選択肢は
①逃げる。
②戦う。
③話し合う。
③はないだろう。なんせ一番最後に出てきた。
腕が使えない状態で②も危うい。
①はいの一番に思いついたが、あの少年は多分自分より速い。
困ったことに、私の手札は殴ることと跳んで逃げることしかない。
一応二十さんから貰ったお守りはあったか
「あ」
思考から帰還する。
リュウがゆっくりと歩いてくる中、少女を肩に抱えて、右のポケットを漁った。
「なぁにか、やる気かぁ。その子邪魔でしょお?先に殺そうかぁ」
気味の悪い笑い声を止めて、少年は両腕を突き出す。
「開錠、『二足』屑食」
突き出して垂れた袖からぼとりと塊が落ちて,地面に沿って平たく咲いた。
花弁だったものはくずれてまとまらず、こちらへすり寄ってくる。
「うっ!?」
おびただしい数の百足が明らかに意志を持ってやってきた。
さすがのビジュアルに息を吞んだ。
けど、たぶん
「これなら」
好都合。
そう思考して麗夜は赤色の紋が描かれた札を突き出した。
「…符術ぅ…?ウェイジン!」
赤い札から光が形を持って湧き出す。
槍、あるいは鉛筆のような、赤色をわずかにまとった尖形の光だ。
それを認識した頃にはすでに速度を持っていた。
「ば、爆発!!!!」
逃げても殴ってもダメそうなら逃げて殴ればいい。
光は杭のごとく地面へ突き刺さり、赤色を増して、光をまき散らし、轟音を鳴らす。
土に這った百足が吹き飛ぶのをよそに、衝撃で震える足をなんとか曲げて屋根より高く飛び上がる。
前からは空気の強い抵抗が、後ろからは大百足のものであろう太い破砕音、痛みを想起するほどの寒気が体を包む。
一つ飛び越えた先の屋根に着地する。
「だァ〜れ、だ!!!」
「ッ!!」
素人故の幸運か、確認に振り向いた麗夜に蹴撃、反射で出た左腕が頭を守った。
「ぁ…」
しかし運動エネルギーはそのまま後ろへ向き、体制がぐらり、目の前には赤い空が広がる。
落下、衝撃、反発、静止。
少女のクッションになることだけを意識したまま、屋根とコンクリートを転がった。
「けほっけほっ…ねぇ〜、ウェイジン。ツイてたね。」
筒の少年、リュウは這い上がってきた大百足の頭を小さい手で撫で、間延びした声で呟く。
「あの札、多分お守りか何かだ、つまるとこ新芽だよ。蒐集期なのかな。んふふ、皮肉~。」
視線の先の少女は動かない。
リュウは軽やかに屋根から降り、広い駐車場に足を落とす。
「……とぉ〜…思ってたより広いなぁ。ウェイジン、早くおいで。僕は食べられたくないよ。」
大百足を急かして、再び少女を見やる。
「…............?」
蠢いている。
躍動している、拍動している、鳴動している。
少女の周りをかぶさって脈打っている。
「霊力............」
「…イチマル!!!!」
少女の周りに黒があふれた。
それは爪があり牙があり、光がなかった。
「はぁ?」
「バウ!!!!」
あふれた黒からは鋭い爪をもつ獣の足が飛び出し、リュウの胴体をへこませて吹き飛ばす。
「へがっ」
「運んで!!」
リュウが二転三転して吹き飛ぶのをよそに、獣は鋭い牙で器用にすくい取り、噛み砕かぬよう二人を咥えて遁走した。
「だぁ〜…くそ、式神ぃ?かほごだなぁ……んん?あ、」
ぬおんと手も使わずに起き上がり、かったるそうに立ち尽くす。
「ちょっとぉ〜!!!そっちはやめてくれないかなぁ〜!!!!」
だだっ広い駐車場に少年の声が響き渡るが、当然宛先からの返答はない。
黒い獣は少女たちを連れ去って、消えた。
「............さーいーあーくー…」
少年はくるりと振り返って、カチカチと顎を鳴らす大百足と相対する。
「ウェイジン、あんまり痛くしないでね?できれば」
少年の足がコートごと千切れた。
朦朧としていた思考が明瞭になったのは、均一だった振動がゆっくりかつバラバラになったせいだ。
さらに水たまりを駆け続けるような足音が加わって違和感に気づく。
問いかける暇もないうちに麗夜の体は下降した。
「ありがとイチマル…............イチマル?」
少女をできるだけ丁寧に寝かせ、息だけ確認してイチマルを見やる。
影のようなイチマルの肉体は石油のように粘性を持って滴っていた。
ぐちゅりと音を立てながら外形がくずれるとイチマルの体がひずむようにして小さくなり、文字通り瞬く間に黒色の札に戻っていた。
「…おつかれ、ありがと」
札を持つとまだイチマルの気配を感じた。
二十さんの言っていた限界なのだろう。
イチマルや自身の安否について考えたところではっとして、ようやく辺りを見回す。
さすがに追ってきてないらしい。
撒いたのだろうと勝手に思っていたので二度目の安堵の息を漏らす。
どうやらここはマンションの中庭らしい、見回した先四面には多数のドアがあった。
違和感には気づけなかった。
まだ安心してはならない、撒いたのなら早いところ出てしまわねば。
邪魔の入らないうちに黄色の札をとりだして、とっとと霊力を込めた。
「…あれ?」
開かない。
手のひらからあふれる感覚は、間違いなくある。
二十さんの説明なら、これは異界を出る札のはずだ。
「そういえば…」
使えない条件があると、
『条件?』
『うむ、異界に入った直後なら大抵関係ないんじゃがな。』
『というと』
きっと関係ないだろうと二十も軽く言っていた。
『特異界、あの三叉路のような、』
『霊のナワバリじゃよ。』
手元の札から顔を上げた。
そして辺りを見渡す。
ここはマンションの中庭だ。
なぜなら周りに、そう四面に、ほの暗くあるドアが規則的に並んでいるからだ。
右にも、後ろにも左にも、前にも。
では私は、どうやってこの場所にいるのか?
空を見上げた。
正四角形に切り取られた真っ赤な空が、そこにはあった。




