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72) イリネイ炎上 中編 (ロズリーヌからのメール)


 “魔族の奴隷を解放したら、このゲームはやめよう”


 ヒロトの心に芽吹いたこの思いは、驚きの速さで成長し、無視することの出来ない大輪の花となって咲き、彼の心を占領してしまった。その原因はもちろん、ヒロトの心根(こころね)にある正義と悪のバランスが崩壊してしまった事にある。人間に捕らえられた魔族の人々を解放しようとする“正義”の心と、そのためには人間を殺傷しなくてはならない“悪”の心……正しい行いと罪の意識が真っ向からぶつかり、ゲームに対するモチベーションの低下を引き起こしてしまったのだ。

 ――悪をもって正義を成す―― ヒロトの行為をダークヒーローと言う解釈で考えれば、空想世界やファンタジー物語の世界において成立しうる状況ではある。だが若くして家を出て孤独な生活を続けるヒロトにとってはあまりにも刺激の強い結果となってしまったのだ。

 悲しいかな、勉強とフルダイブゲームを交互に行うだけの日々を続けるヒロトにとって、人との繋がりはゲーム内のみに限られている。家族と距離を取り、友人もおらず、コンビニエンスストアやスーパーのレジで店員から「レジ袋いりますか?」と問われて「はい」と答える程度しか社会と接点の無い彼は、他者とのコミュニケーションのその大部分を、ゲーム内での会話で成立させていたのである。

 ……それがたとえプレーヤーではなくNPCであったとしても。いや、これまで自分を快く受け入れてくれたNPCだからこそ、それらに(やいば)を向けて未来を刈り取っていると言う罪の意識は、思いの外深い傷を彼の心に残したのである。

 だからヒロトは決心した、魔族の奴隷を解放したら、このゲームはもうやめようと。

 ――だがその後ろ向きな決心が、先ほど音を立てて粉々に砕け散ってしまった。ちょうど十分ほど前の事、とあるきっかけを基点に彼は変わったのだ――


 この夜、このイリネイの街に立ったヒロトは、まるで憑き物が取れたかのような晴れ晴れとした表情で街を見下ろしている。彼が立つ場所はイリネイの街で一番高い場所、教会の鐘楼(しょうろう)の屋根の上だ。爽やかな夜風に髪を揺らして見下ろす街並みは、普段であるならば漆黒の闇に包まれている――誰も彼もが寝息を立てる星月夜の時間なのだが、彼の見下ろす街のあちこちには火の手が上がり始めており、恐慌の夜が今にも始まろうとする瞬間、その序章の幕が開けた瞬間に彼は立ち会っていたのだ。


「……ロズ姉、いよいよ始めたか」


 これでこのゲームともお別れだだと覚悟を決めてログインしたヒロト。イリネイの近郊にある森林にリスポーンポイントを設定しておいてログインしたのだが、月明かりさえ地面に届かないような深い森の中で、ログイン時に表示されるメニュー画面でひときわ眩しく点滅するメッセージに目を奪われたのだ。

 【メッセージ受信:未読一件 フレンド登録者より】

 濃い緑色の文字が点滅するそれは、運営からのイベント告知やアップデート情報の案内ではなく、ヒロトの数少ないフレンドの一人からのメールであった。

 一年ほど前、ナフェス荒野の海岸でギルドの解散式を行い、このゲームにおいてのフレンドとの関係は全て消えた。そして今に至るまで新たなフレンドを作る事も無く、このようなメールメッセージやボイスメッセージなどが送られて来る事など皆無であった事から、気になったヒロトは受信したメールをさっそく開封すると、意外な人物から懐かしくて甘い香りが漂うような文章が届いていたのである。


  “親愛なるヒロトへ

 ヒロちん元気にしてる?解散式終わらせた後にリアルで最後のオフ会やった時に、ヒロちんの健康が心配だから、美味しい料理作って待ってる、だから遠慮なく私の家にどんどん遊びに来なさいと言ったのに、全然連絡が来なくて寂しいです。旦那(だんな)にもヒロちんの話をたくさんしており、ウチの旦那もヒロちんに会うのを楽しみにしてるのに、ヒロちんは冷たい人ですね 笑笑笑笑

 さて前置きは前置きとして、マスターチーフが私に情報を提供してくれました。「ヒロトが良心の狭間(はざま)で苦しんでる」「ヒロトはまだKOGをプレイしているが、魔族の奴隷を解放しようと、たった一人の戦いを始めた」と―― 

 ヒロちん、いくらなんでも水臭いじゃない。レジオンは終わったゲームだし、KOGは水が合わないって辞めてくギルメン続出したけど、リアルフレンドを辞めた訳じゃないじゃないのよ。ヒロちんは優しくて真面目な子だから、独りで抱え込んで解決しようと考えたのかも知れないけど、あなたは決して一人じゃない。仲間を決して見捨てないって……戦場では誰一人置き去りにしないってみんなで誓った事、忘れた訳じゃないでしょ?

 だからロズ姉さんたちは今日、ヒロちんのために動きます、エヘン!

 今夜、イリネイの街中で囚われている魔族の奴隷を解放するための作戦を決行します。だからもし、ヒロちんがこのメールを見て、尚且つイリネイの近くにいるならば、街の外にある奴隷の強制収容所を強襲して魔族の人たちを救い出してあげて欲しい。大佐のRBO支社は私の方でリスキル続けるから安心して作戦に集中してね。

 それと、ヒロちんが悩んでいる件について一言。ヒロちんが善悪の狭間で思い悩むのは当たり前だと思ってる。そしてそれはヒロちんだけじゃなくて皆んなが思い悩む要素だと思ってる。悩む事すらせずに殺しまくるなら、それはただ単に大佐と同じだからね。ただ、もう一つ踏み込んで考えて欲しいの。このKOGの世界は、レジオンの頃の近代文明の世界とは違うと言う事を。民主主義も法律も無く、強い者だけが法を決める弱肉強食の時代。全ての人々の命の値段は現代人よりも安く、死と隣り合わせの世界よ。

 ――ヒロちん、苦しんでいる人を助けているのに、何を悩んでいるの?昔からあなたは、虐げられた人たちのために引き金を引いて来たんじゃなかったの?――

 だから、ロズ姉さんはヒロちんに全面的に協力します。ペエさんとマルヒトも賛同してるし、そうそう……それとヒナちゃんだけは大事にするのよ。

 「ヒロトは何一つ間違っていない!ヒロトが一人で苦しんでるなら、私が助けなきゃ!」

 あの子は、ヒナちゃんは、このKOG世界で初めてヒロちんのフレンドになる子。もしかしたらフレンド以上にヒロちんの事を想ってくれる理解者になる子よ。だから大事にしなさい。そして二人でこのKOGを楽しむの。私もヒロちんの事大好きだから、あんな事こんな事してやりたいと「うひひ」顔になるけど、旦那がいるしヒナちゃんがあれだけ真剣になってるんだから、二人の事を応援すると決めた。

 だから悩み過ぎちゃダメ、一人で結論を出しちゃダメ。あなたを想う大切な仲間がいる事をどうか忘れないで。

        ロズ姉より”


 メニュー画面を視覚に投影させ、再び開いたメールに目を通すヒロト。そこまで言われれば、このゲームをアンインストールする訳にはいかないかと、苦笑いで月を見上げる。


「ロズ姉、ペエさん、マルヒトさん、そしてヒナ。……ありがとう」


 再び“下界”に視線を落とす彼の瞳には、もはや迷いや(うれ)いの影など微塵も存在しない。自分の決心、つまり助けようと決めた自分の心に対して、嘘偽りや疑問すらも浮かばない、やり抜こうとする覚悟の眼光に染まっていた。


「目標、強制収容所の強襲。目的、奴隷の全解放。敵被害想定、制限無し……片っ端からやってやる!」


 そう言いながら鐘楼の屋根から飛び降りると、ヒロトは街の闇に同化して姿を消したのだ。つまりは本格的な『イリネイ炎上事件』はたった今、たった今始まったのである。


 人を助けるために人を殺す――このロジックに心を痛め、心が壊れかけていた少年はもういない。戦乱の世では正義を成す事すら暴力で解決しなければならないのだと自覚し、そしてそれを覚悟したのである。さらには貫き通すべき自分の正義が、単なる空虚な理想論ではない事を仲間が示してくれたのだ。

 そう、つまりそれは、暗殺者と言うジョブにありながらもダークヒーローの可能性を開花させた『英雄ヒロトの伝説』の始まりでもあったのだ。


 ヒロトはまだ気付いていない。KOGに買収された他のゲームから移籍して来たプレイヤーに付与される特典「三つの願い」がまだ完成されていない事を。

 ヒロトはまだ気付いていない。彼だけ「三つの願い」ではなく「四つの願い」が実装されたその意味を。

 ヒロトはまだ気付いていない。本人すらも理解出来ていなかったその四つ目の願いが、クエスチョンマークから文字に変換された事を。


 ――いつかはヒロトも気付くだろう。その四つ目の願いの項目が、【フレンドリーズ】つまり『友軍』と銘を打たれて燦然と輝いている事を――



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