71) イリネイ炎上 前編
野犬の遠吠えが星空に響くイリネイの夜。ほとんどの家屋はランプの灯りを落として次の日に備えているものの、まだ窓から灯りが漏れている場所もチラホラと見受けられる。その多くは居酒屋や遊郭のある繁華街なのだが、今夜に限っては珍しい現象も起きていた。――昨晩、謎の集団から襲撃を受けたイリネイ総督府も、煌々と灯りを照らしながら警戒を続けていたのだ。もちろん、昨晩に引き続き総督府が襲われる可能性に当事者たちが怯えた結果であり、今宵の総督府が襲われる事はない。ただただ、街に起こる騒乱に振り回されるだけなのである。
ここはその総督府から歩いて十分ほどの住宅街。戸建ての家屋が整然とならぶ高級感はまるで無く、石積み・ブロックレンガ積みの二階建て三階建ての集合住宅がひしめき合う“一般的な鉱山労働者”の住まいの中で、一件だけ灯りを消していない家がある。明日の労働のために深い寝息を立てるのではなく、ご丁寧に入り口の扉の前に護衛の兵を二人も立たせるこの家。これこそ『ローカルバトル・アウトカムズ社』……いわゆる傭兵団RBO社のイリネイ支部であったのだ。
ヒロトが以前にプレイしていたゲームの頃から何かと因縁のあるプレイヤー、他者から“中佐”と呼ばれるパウル・ランデスコープが設立したギルドがRBO社であり、このゲームにおいてもわざわざ当時の名前を引き続き使っているのは、それだけ思い入れがあるのだろうかとも推察されるのだが、「悪名は無名に勝る」と言う世の諺にある通り、当時のRBO社を知っている者には不快感を持って受け入れられていた。
今はアルドワン国王の王弟のクラン(氏族)に取り入って、プレヴァンと言う王弟の姓と子爵位を受けた事により、更に強大な権力を得た彼は、王族の肩書きを使って更なる高みを目指すと思われる。それが王族としての責任を抱いての野望なのか、それとも悪質プレイヤーとして名を馳せたそのままをこのゲームで再現させるのかは分からない。だが確実なところ、三大国家の一つであるアルドワン王国の王権を蝕んでいるのは間違いの無い事実である。このイリネイにおいても、彼の影響力は着実に浸透していたのだ。
パウル・ランデスコープ・プレヴァンがイリネイに置く拠点は三つ。総督府と公式に関係を持つための庭付きの公邸が一件と、水面下で裏仕事を行う際の基点となる、このセーフハウスでもあるイリネイ支部、そして郊外の魔族強制収容所に隣接された兵員宿舎だ。この三箇所に主だったプレイヤーはおらず、そのほとんどが現地採用のNPCである。だが今宵はちょっとだけ様子が違った。――イリネイ支部の建物の奥に、複数名のプレイヤーが詰めていたのだ
「おい、知ってるか?」と、親方気取りの戦士が仲間に向かって声を張り上げる。部屋には合計五名の戦士や魔法使いが詰めており、五名ともRBO社に所属するプレイヤーだ。
「最近王都で噂が流れ始めたんだが、どうやら“三つの願い”が廃止されるらしいぞ」
「ええっ!何すかそれ」
「いや、これは前々からネットでは騒がれてはいたんだよ」
「あれでしょ?一般プレイヤーが不公平だって文句垂れてたやつでしょ」
「しょうがないっすよねえ!会社乗っ取りで以前遊んでたゲームが強制的に無くなるんだから」
「だよなあ!こちとらカラニシコフやアサルトライフルぶっ放して遊んでたのに、剣と魔法の世界に移籍だぜえ。何か特典無けりゃ馬鹿馬鹿しくてやってられねえよな」
どうやらこの部屋はRBO社イリネイ支部所属のプレイヤーが詰めている、言わば“役員室”。雑務や警備はNPCに任せておいて、幹部らしきプレイヤーたちは室内で雑談を楽しんでいるようだ。
「今回噂になってるのは、この先プラネット社が他のゲーム会社買い取っても、移籍させるプレイヤーに特典が付かなくなるらしいって話でな」
「て事は、俺たちはセーフって事っすよね?」
「だろうな。って言うか、そうでないと困る。三つの願いが廃止されたら、真っ先に誰が激怒するか、お前らなら想像出来るだろ?」
――ああ、なるほど。他人には考えられないほどのえげつない事をするクセに、自分が不利になると途端に激怒する人がいたよ――
その場にいる者たちは口には出さないものの、どうやら長い間付き従って来た自分たちのリーダーを想像したようだ。そう、以前プレイしていたゲームでは『中佐』と呼ばれていた、あの害悪プレイヤーを。
「楽しそうっすね、今頃新装されたマップを満喫してるんでしょうね」
「バーカ!もうディスノミアからこっちに向かってるわ」
「えっ、えっ?帰るの早くないっすか?」
「最近ここら辺一帯で不穏な空気が流れてたろ?だからディスノミアがビジネスになるかどうか確認するだけで戻って来る積もりだったそうだ」
親方気取りの戦士は椅子から立ち上がり、周囲の部下を見回す。
「だからお前らも気合い入れとけよ。今までみたいに面倒くせえからって、何でもかんでもNPCに仕事押し付けてると、酷え目に遭うぞ!」
酷え目に遭うぞ……もちろんこれはヘマをすると中佐によるペナルティが待ってると言う事を示唆する言葉である。だがこの言葉を言い終えるや否や、この建物がドン!と言う地響きに包まれ、誰もが戦士の言葉に耳を傾けなくなっていた。――そう、その場のプレイヤーが無視出来ないほどの揺れが走り、まるでそれは直下型地震のような勢いだったのだ
「……何だ、何が起きた!」
「階下から……悲鳴が聞こえる?」
「おい、お前ら何してる!敵襲かも知れないぞ!」
RBO社のプレイヤーたちは剣や杖を手に慌てて階下へと駆け降りる。三階建てらしきその建物の階段を、下れば下るほどに無数の悲鳴が聞こえて来るのだが、もちろんその悲鳴の主は男たちであり、RBO社が雇ったNPCたちに違いないはず。つまりこの建物は今、謎の勢力から襲撃を受けているのだと容易に推察出来る。
(いくら弱っちくても、一階には少なくとも十二人ほどのNPCがいた。俺たち五人のプレイヤーで迎撃出来るか……?)と不安がよぎる中、一階にたどり着いたプレイヤーたちは口を“あんぐり”と開けたまま、呆けてその場に立ち尽くしてしまったのだ。
「……な、何だこれは?何が起きてる?俺は夢でも見てるのか?」
親方気取りの戦士がそう呟くのも仕方なかった。何故ならば、支部の一階フロアは血の海と化しており、真ん中に見た事も無い天使族の女性が一人立っているだけなのだ。それにこの現場の凄惨さ……。何をどうやればここまでの地獄絵図が描けるのかと思うほどに、一人として「まとも」な死体が無いのだ。支部の構成員だったNPCたちの死体はもれなく爆発したように四散しており、手足や顔までもが壁や天井に飛び散ってびちゃりとくっつき、生存の可能性を一切合切否定していたのである。
「あら、プレイヤーさんたちはあなたたちだけ?たった五人で私に勝てる?」
そこに立っていたのは“撲殺天使”ロズリーヌ。穏やかな口調で猛々しい言葉を吐く彼女は、五人のプレイヤーを前に慌てもせずに、怪しく輝く瞳で見返している。天使族の麗しい身体と大量にあびた返り血が、まるで猟奇的だ。
「これ……お前が全部やったのか?お前一人で殴り込んで来たのか?さっきの地鳴りみたいなやつは何だ!」
「あらあら、質問の多い殿方だこと。せっかちな方は淑女に嫌われますよ」
「う、うるせえ!」
この場で一体何が起きたのか、一人立ち尽くす天使と自分たちとの戦力差はいかほどかなど、顧みる事も考察を入れる事もなく、ロズリーヌの挑発に簡単に乗ってしまう親方気取りの戦士。頭に血が昇って剣を手に掛けるのだが、その剣を抜き放って自由に振るう事は無かった。剣の柄を触った瞬間、再びこの建物にドカン!と言う巨大な振動と圧が現れ、その戦士は後方に吹っ飛び壁に激突したのだ。
「な、何だあ!」
「大丈夫っすか?」
目の前で起きた異変に驚く部下のプレイヤーたち。彼らが目の当たりにしたのは、ロズリーヌが作り出した床の石ブロックを粉々に砕く程の強烈な足跡と、電光石火の如く瞬時に距離を詰めた姿。そう、撲殺天使は得意の八極拳を使い、震脚で親方の懐に急接近。その低い姿勢のまま右肘を前方に突き出して親方の心臓目掛けて打ち込んだのだ。彼女のユニークスキルである三つの願いを三つともクリティカルにした『クリティカル三乗』の最恐ダメージが繰り出されれば、それはもう鋼鉄製のパイルバンカー(杭打ち機)。親方の心臓は破裂してその勢いで後ろの壁に叩き付けられても全く不思議ではなかったのだ。
「私の大事な友人たちがね、魂を焦がす勢いで怒り狂ってるの。だからあなたたちを絶対に許さない」
口元はニヤリと笑みを浮かべるものの、硬い表情と殺意を轟々と吹き出す瞳。ロズリーヌはまるで笑っていない。
「ほら、早く蘇生してあげなさいな。どうせリスポーンビーコンは上の階に設定してるんでしょ?私にビビって逃げ出せば、私にビーコン壊されて遥か彼方の初期スタート地点にリスポーンされちゃうわよ」
心臓破壊の余韻を楽しむように、肘打ちフィニッシュの姿勢を続けていたロズリーヌが、すうっと立ち上がり背筋をピンと伸ばす。RBO社のプレイヤーたちは彼女に完全に飲まれてしまったのか、二の足を踏むどころか剣に手も掛けられない。
「決闘契約なんかしない、ギブアップ宣言しても受け入れ拒否。あなたたちが鼻水垂らして泣いても土下座しても許さない。時間が来るまで、ただ一方的にあなたたちを駆逐して解体し続けてあげる。ふふふ……悔しいからってリアルで失禁しちゃダメよ」
“イリネイ炎上” いよいよその時が来た――
ロズリーヌはRBO社のプレイヤーを潰し続け、ヒナたちは街で奴隷の解放を続ける。そして残された課題である強制収容所の破壊と奴隷解放……この日を待っていたあの少年が満を辞して動き出すのである。




