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70) 恐怖の選択肢


 巨大なる王権国家、この世界での“三大国家”の一つと呼ばれるアルドワン王国。その強大な王国を魔族の勢力から守るために、国の最南端に辺境伯の自治領がある。ラニエーリ家が代々受け継いで来た防壁、国境を守るラニエーリ辺境伯領がそれだ。当代の伯爵名はクレメンテ・ラニエーリ、KOG世界の設定上婿養子として迎え入れられた屈強な戦士だが、彼はNPCではなく純粋なプレイヤーである。このゲームの最大の難関であった『辺境伯への道』クエストをことごとくクリアして、見事に辺境伯の地位を勝ち取った唯一のプレイヤーだ。

 戦士としての通常プレイはもとより、自治領領主としての統治権限をも与えられたクレメンテは、昼間は探索やモンスターとの戦闘を楽しみながら、太陽が沈むと今度は辺境伯としての立場へ自らを変えて、与えられた執務室で部下に様々な行政への指示を出していた。

 そんなクレメンテのとある夜。遊ぶだけ遊んでその後政治を行うような、ごくごく普通の日を終わらせようとした時に、彼の身の回りに立ち込める異変で緊張感を増すトラブルが起きた。ゲームをログアウトしようとして執務室から寝室へと移った際に、ただならぬ他人の気配を感じたのだ。


「はあ……またかね」


 これがクレメンテの第一声。寝室に自分以外の存在があり、ため息混じりにそう言葉を発したのだが、彼には呆れる理由がある。――先日も同様の経験をしていたからだ。

 自分の寝室に暗殺者が潜んでいると言う事実に直面しながら、その暗殺者は殺意どころか悪意や害意すら放っていないと言う、奇異なる場面に直面した。暗殺者の名前はヒロトと表示されており、間違いなくプレイヤーだったのだが、この時クレメンテが肝を冷やしたのは、暗殺者と直面した事ではなく、暗殺者が話した内容にこそあった。魔族の人々が大量に拉致され、イリネイの街で不当に働かされていると言った、トップの辺境伯でさえ知らされていない衝撃的な内容だったのだ。


「ヒロト君……だっけ?前回ここに来て言いたいだけ言って姿を消したろ?だから俺は俺でその後動いたんだぜ」


 暗がりの執務室の更に暗い場所……厚手にカーテンの裏に向かって言葉を投げかける。前回、酷く憤っていたヒロトに向かい、今言っている事が言い訳だと受けとられないよう、慎重に言葉を選びながらだ。


「辺境伯一族、ラニエーリ家にも様々な派閥があるから、事が大きくならないように密偵を送り込んで情報収集をさせている。昨日誰かにやられて密偵がリスポーンしてたが、またイリネイに向かったし。この件で遺憾(いかん)だと君に発言したが、それでも独自に調査を始めた事は評価してもらいたいね」


 今日だって、今まさに執務室で部下に指示を出してたんだ。――イリネイの財務調査を行えと―― この言葉を言い切る前に、クレメンテは口をつぐんでしまう。本人はヒロトに向かって話している積もりだったのだが、何かヒロトとは違うヒリついた空気を感じ取ったのだ。そして腰のベルトにある護身用の短剣に手を添えて、闇を睨み付けながら背中を丸め、あらためてこう言う――「誰だお前は?」と


「ラニエーリ辺境伯領の領主で、アルドワン王国の伯爵号叙勲者、クレメンテ・ラニエーリ辺境伯よ、はじめまして」


 厚手のカーテンを手で避けて出て来た男は、これ以上無いほどの丁寧さを持って辺境伯に挨拶しながら、自分の姿を窓から差し込む月明かりに晒す。短く刈り込んだ頭髪にいかつい表情、これだけ見てもエンジョイ派のプレイヤーではなくガチプレイを信条とするようなプレイヤーのキャラクタークリエイトに見えるのだが、着ている物が普段着過ぎる。ウールで編み上げたタートルネックのフィッシャーマンズセーターの上にトレンチコートを羽織っただけの軽装で、剣や盾など冒険者らしい装備など一切しておらぬのだ。――クレメンテにとっては、それが逆に恐ろしい存在だと認識するに至っている。彼がまるで戦士や剣士ではなく、何か軍隊の保安部に所属して秘密裡に事を進めるような不気味さを(いだ)かせる、私服のエージェントに見えてしまうからだ。


「ご丁寧な挨拶どうも。あんたの名は……マスターチーフ(上級兵曹・上級曹長)って言うのか。これ名前?役職?プレイヤーネームなの?」

「プレイヤーネームだ。気に入っている名称で、ゲームアカウントはいつもこれを使ってる」


 ここでクレメンテは「はて?」と首を捻る。メニュー画面で自分の名前やプロフィールやプロフィールカードを他者に対して開示するかどうかの自由は個々にあり、名前だけが表示されたり視点カーソルを合わせるとプロフィールなど情報が表示されたりするのだが、このマスターチーフなる人物は何かが違う。もちろん多くを語りたくないのか表示は最小限度で名前しか読み取れないのだが、その名前の末尾に違和感を感じたのだ。


「マスターチーフ、あんたの名前の後ろに付いてるマーク……なんだそれ?あんた公式インフルエンサーかい?」


 眉間に皺を寄せてマジマジと見詰めるのだが、どうやら認証バッジでは無さそうだ。このゲームは自らのSNSを連動させる事が可能で、莫大なフォロワー数を持って活動を周知出来るアカウントに対しては、認証バッジを付与してインセンティブ収益を得る事が認められているのだが、俗に言うインフルエンサー用の「青バッジ」のように見えるも、小さな文字すらも浮かんで見えてチェックマークも入っていないのだ。ーーだがそれから十数秒沈黙が続いた後、クレメンテは両手をバタつかせながら派手に驚いたのだ。


「プ、プラネットグループ!あんた、あんたが何でプラネット社の会社ロゴを名前に付けてるんだよ!つまりあんたは運営の公式って事だろ?」

「否定はしない、だが肯定もしない。ここに私が存在する事自体が異例中の異例だからね」

「そんな存在が何で俺に?……そうか、あんたは何かしらヒロトと関係があるんだな。イリネイの件か?」

「勘が鋭いね、さすがは勇気と知力に長けた者。辺境伯の名は伊達(だて)ではなさそうだね」

「お世辞は良いよ。それでイリネイの件って、もしかして……俺に軍隊を出せとでも言うのかい?」


 マスターチーフはその質問に対し、一切言葉を発する事無く表情で答える。片方の口角を少しだけ上げて「良く分かってるじゃないか」とサインを送ったのだ。


「ダメだ!ダメだダメダメだ!あんただって知ってるだろ?イリネイはラニエーリ家の領土ではあるがエマヌエーラ派の領地だ、辺境伯主流派の管轄ではない。越権行為になるぞ!それにエマヌエーラ派のバックについてる組織に対して剣を抜く事になるんだぞ!」

「バックの組織?……パウル・ランデスコープ・プレヴァンの事か。奴らが恐いのか?」

「恐い?俺があいつに恐怖してると?違う違う良く考えてみろ!プレヴァン家はアルドワン王国現国王の異母弟の一族で近年急速に成長して来た武闘派クランだ。パウルがどんな人間なのかなんて知ったこっちゃないが、王国正統派貴族のプレヴァン派と事を構えると言う事は、ラニエーリ一族は逆賊になっちまうんだぞ!」


イリネイに不穏な気配が流れ、身も知らぬ一人の少年が警告を発して来た……「イリネイを火の海にする」と。一見すると平和そうな街ではあるのだが既に街は毒されており、クレメンテはそれに気付いてはいた。だが王国と事を構える事を躊躇(ためら)うあまりに、いつからか見て見ぬフリをしていたのだ。フレンドの暗殺者であるシュザンヌすらも、王党派貴族のイリネイ進出に気を遣い、クレメンテが頭を抱えるような報告を上げて来なかったのだから、イリネイの地は辺境伯にとっては鬼門。頭痛のタネと言っても過言ではなかったのだ。


「クレメンテ・ラニエーリ辺境伯。君はこれから二択のどちらかを選ぶ事になる。イリネイは今宵(こよい)“着火”する。やがて街が燃え上がり大陸を揺るがすような惨事となるのだが、今その種火を消す事は不可能だ。そして君はイリネイ平定を目的に軍隊を出さざるを得なくなる。辺境伯の剣がどちらに向くか。……これが君に残された選択肢だ」

「俺に残された選択肢だと?ヒロトを討つか、プレヴァン子爵か、どちらを討つかと言う事か?」

「ふふふ……違うよ辺境伯。この世界が前時代的封建主義だった事を忘れたのかい?剣や魔法、力ある者こそが正義なんだぜ?」

「あんた……マスターチーフ、あんたは恐ろしいヤツだな。俺に王党派の足を舐めるか、ヒロト側について逆賊になるかを迫ってるんだな」

「正直なところ、第三の選択もある。何もせずにイリネイが燃えるのを静観する選択だ。この場合は何か出来たのに何もしなかったと言う不作為の罪に問われてラニエーリ家は打ち壊しになる。君は王都の中央広場でギロチンだ」


 イリネイで起きる騒乱は、プレヴァン子爵対ヒロトの図式で繰り広げられる。ここへ辺境伯が軍隊を持って介入すれば、どちらに付くかで見える未来が変わって来る。

 プレヴァン子爵側に付いてイリネイを平定すれば、王党派主流の風下に立場が置かれてしまい、屈辱的な圧力を受ける事になる。また騒乱に参加するであろう魔族を弾圧する事で、魔族国家のヘイトを全て背負ってしまう事となる。

 逆にヒロトの側に付いてイリネイを平定すれば、それは王党派に反逆の意志を示す事となり、王国の敵対者となってしまう。これはつまり内乱。いち地方の辺境伯軍に対して、王国軍全軍の構図が出来上がってしまうのだ。


「あまたのプレイヤーが挑戦して挫折した辺境伯クエスト、俺はそれに打ち勝ってここにいる。そんな俺が第三の選択を選ぶ事はあり得ないだろう。……軍を出すよ、マスターチーフに仕組まれたようで悔しいが、出さざるを得ない」

「それでどうする、辺境伯よ。ヒロトとプレヴァン、どちらに付くのかね?」


 おそらくクレメンテは本心から悔しかったのだろう。この最近の辺境伯領での不穏な動き全てが仕組まれており、まるでこのマスターチーフの手のひらの上で皆が踊っているように感じたのだ。だからこそなのか、クレメンテはここで胸を張る。さすが難関クエストをクリアした唯一のプレイヤーだと言われるような、とびっきりの自信に満ちた尊大な笑顔を向けたのだ。


「マスターチーフ、運営の飼い犬さんよ。俺を誰だと思ってるんだい?プレイヤーで唯一伯爵号を持つ男だぜ。だからあんたみたいに時代の移り変わりを楽しむ権利を、多少ながら俺も持ってるのさ。ああ出すよ、あんたに踊らされて軍隊は派遣する。だがどちら側に付くかは教えねえよ、次はあんたが踊る番なんだよ、マスターチーフ」


 その言葉を予想していたのか、マスターチーフは再び片方の口角をニヤリと上げ、そしてくるりと身体を反転させながら闇に消えて行く。――楽しみにしてるよ―― 右手を安っぽく振りながら、謎の“運営公式”はこうして姿を消したのだ。


「辺境伯の地位で満足はしていない、そう言う事だよマスターチーフ。……まだ切れるカードが俺にはあるんだよ」


 謎の言葉を残しながらクレメンテはログアウトして行く。そう、クレメンテは勇気や知力や時の運だけでのし上がったのではなく、彼には彼を突き動かす最大の原動力があったのだ。――それこそが「野心」。自らの腹の内に絶え間なく湧き上がっては彼の背中を押すこの上昇志向の感情こそが、彼に切り札を思い出させるきっかけとなったのだ。



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