60) 本気の威力偵察 前編
“ヒロトが闇落ちしてしまう!”
ロズリーヌからもたらされた情報にヒナはこれ以上無いほどの驚愕を覚えてしまい、完全に浮き足立っている。イリネイの街に入った当初は、その郊外にある謎の集落を調査すると息巻いていたのだが、ヒロトの現状を聞いた途端に完全に意気消沈。自分が決めた事に手がつけられなくなっていた。
ロズリーヌに送られて来たマスターチーフからのメール。彼のもたらした内容とはこうだ。ーーアルドワン王国に入ったヒロトは、魔族の少年に助けを乞われ、単身で奴隷解放運動を始めている。王国南部の直轄領では直轄領領主殺害や奴隷商の殺害、果ては奴隷を購入した豪農の殺害までも行っており、ヒロトが犯人として特定はされていないものの、王都から近衛騎士団警備部が派遣されるなど大問題になっている。ヒロトは直轄領から姿を消したが、隣のラニエーリ辺境伯領に出没。現在は鉱山の近郊にあるイリネイの街に潜伏し、再び奴隷解放運動を行う可能性がある―― いくら相手が魂を持たないNPCだとしても、誰にも相談せずに孤独のまま殺しを続けていれば、ヒロトの心が壊れてしまうのではないかと、マスターチーフは心配しているのだ。
自分に合わないゲームだから、何をどうやってもクリア出来ないクソゲーだからと、理由はどうあれゲームをアンインストールするのは簡単だ。だがヒロトはレジオンからKOGになっても尚ログインし続けるのには、疑似であってもそこに人間関係の温もりがあったからではないのか。まだ全てを聞いた訳ではないが、過去に壮絶なイジメを体験して家族とも折り合いが付かず、一人都会で生活する彼にとっては他者とコミュニケーションを取る唯一の媒体が、このKOGではなかったのか。そうであるならば、いくら大義がヒロトにあったとしてもこれはまさに自傷行為。自らの心を殺す自傷行為を行なっているのではと危惧したのである。
ロズリーヌからその話を聞いたヒナは、ヒロトが王都にいたなら何故アルドワン・グラフを訪ねてくれなかったのか?とか、いちいち詳しい情報をもたらすマスターチーフとは一体どう言う人物なのか?と言う疑問を端に置いて、ただただ胸を痛めた。
ヒロトと過ごした時間はあまりにも短く、彼の性格などはまるで見えて来なかったが、ナフェス荒野や街でプレイヤーやNPCが、ヒロトに向ける笑顔で彼の事が充分理解出来るのだ。人々がヒロトに笑顔を向けるだけの理由がある、ヒロトが真剣に手を差し伸べた結果なのだろうと。だから今回も魔族の人々に悲惨な現状を見て、義憤に駆り立てられたのも理解出来るのだが、その一方で人々に害を加えなければならないのはあまりにも残酷。彼には他に選択肢は無かったのかと、苦悩が垣間見えると共に、決断した時の悲しみが見えたのである。
恋愛感情が湧くよりも何よりも“先ずは助けてくれたお礼が言いたい”と願い続ける彼女は、ヒロトと再会が叶った時にどう接すれば良いかが、自分でも分からなくなってしまっている。ヒロトの行動に理解を示すべきなのか、それとも殺しを諌めるべきなのか、さらには何も無かったかのようにお礼だけを言うべきなのかと。
――ヒロトは絶対に苦しんでいると言う想像。そして再会した時にどう接すれば良いかと言う自問自答。さらには「ヒロトは今この街にいる」と言う距離感。ヒナですら落ち着かなくなっていたのは事実であった。
「ヒナちゃん、ねえヒナちゃん」
「……は、はい!」
宿屋の室内にヒナの声が響き渡る。夜も更けたイリネイの街、周囲の家々の灯りはすでに消されており、街は闇のカーテンに包まれ人々はベッドの中で寝息を立てている時間帯。何故かヒナとロズリーヌは寝もせずログアウトもせずに、テーブルを囲みながらオイルランプの灯りを見詰めていた。
「ヒナちゃんはまだ時間大丈夫?朝から大学の講義あるんじゃないの?」
「い、いえ。明日はそんなに早くないですから、大丈夫です」
眠くて黙り込んでしまったのかも知れないし、はたまた心配事がどんどん肥大化して集中出来なくなっているのかも知れない。いずれにしてもヒナにとって大丈夫などと言う言葉が一番似合わない状態にまで陥っている。だからと言ってヒロトの事を考え過ぎるなとアドバイスしないロズリーヌも思う所は一緒。ヒロトを案じるヒナに共感を覚えながら、同じ時間を過ごしているのだ。
「もう三時間ぐらい経ったかしら?そろそろペエさんとマルヒトが帰って来てもおかしくないわね」
「あの二人と、お付き合いは長いんですか?」
「そうね、ヒロちんよりも付き合いは古いわよ。私たちはギルドの創設メンバーだったから」
「そうなんですか!」
「パラベラムの初期メンバーは、ギルマスのマッコイ少佐と副のマスターチーフ。それに私やペエさんやマルヒトに、それと後数名。ヒロちんが入って来たのら結構後の方よ」
ロズリーヌの口から“マッコイ少佐”の名前が出る。以前ヒナが、ヒロトを探そうとしてコンタクトを取ったギルドマスターがそのマッコイ少佐なのだが、そのネーミングセンスが非常に微妙だった事からヒナの脳裏に不思議とこびりついていた。その名前にどう言う理由があるのかと問うと、ロズリーヌは苦笑しながら説明する。どうやらマッコイ少佐とは映画の登場人物であり、特殊部隊のリーダーなのだそうだ。それを聞いたヒナはもう一つ質問が閃き、ロズリーヌに問いただそうとする。
「ロズリーヌさん。マッコイ少佐の名前の由来は分かったんですけど……ところでマスターチーフってどんな方なんです?」
「マスターチーフ?マスターチーフは結構謎な人よ」
「謎な人……ですか?」
「そう。オフ会に一度も顔を出した事の無い、リアルでは誰とも顔を合わせた事の無い人物。でも皆んなは絶対的な信頼を寄せてる」
「オフ会かあ、なるほど。ネット上の付き合いだけだけど、リアルの関係以上に信頼されてる方なんですね」
「そう。元々ゲーム会社で働いてる人で、ライバル社が出してたレジオンをこっそりと楽しんでた人。それ以上はちょっと言えないかな」
ヒナも馬鹿ではない。ロズリーヌの言葉の断片だけで充分予想が付けられる。――なるほど、マスターチーフはKOG運営に関わっている可能性が高い。だからこっちでも顔を出さずに情報提供してくれているのか――
「あれ?ロズリーヌさん、オフ会とかしてたなら、もしかしてリアルのヒロトも見た事あるんですか?」
「去年ね、皆んなで解散式やった後にオフ会開いてね。実際のヒロちんに会ったわよ」
(実際はどう言う人物なのか知りたい!) 無言で前のめりになってロズリーヌに詰め寄るヒナ。今日、一番食いつきが良い。
「あはは、何か急に元気になったわね。集合写真のデータを見せてあげたいけど、回りの人をボカす加工するからまた改めてね」
「それは別に良いですけど、それで、それで!どんな感じの男の子なんですか?」
ここでピンと来るロズリーヌ。「ははあん」と知った顔を一つ決めて悪戯っぽい笑みを浮かべる。そして椅子をズラしてヒナの横に身を寄せて、肩を抱き寄せながら耳元でつぶやいた。
「リアルのヒロちん……めちゃくちゃ良い男よ。ヒナちゃんより二つ歳下だけど、もうヒナちゃんより大人びてる。切れ長の目で瞬殺されちゃうぞ」
「ロズリーヌさん、耳に息吹きかけないで……」
どうしてこう、毎回毎回変な近付き方するんですか?と、頬を紅潮させたヒナが弱々しく抗議していると、いよいよと言うか彼女達が“待ちわびた”者が帰還して来た。街に偵察に出ていたペエタアとマルヒトが核心にたどり着いたような厳しい顔付きで、ロズリーヌたちの部屋に入って来たのだ。
「ロズ姉さん、ヒナちゃん。この街は真っ黒だ」
「そうっす。いつヒロトが爆発してもおかしくないぐらいに真っ黒っす」
新たな仲間二人が言う「真っ黒」とは、もちろん宵の闇に包まれた街を表現しているのではない。明るく活発な街の裏に、巨大な闇を見つけたと報告していたのだ。




