58) たった一人の宣戦布告
辺境伯自治領中央政都、モウンタニャアズールから西のイリネイ鉱山とその麓を目指して移動していたヒナとロズリーヌは、その道中に不穏なトラブルに見舞われながらも、無事イリネイの街に入る事が出来た。
道中“中佐”の部下らしき六名の兵士を完全に屠ったが、結果として目撃者がいなかった分、死体が発見されても自分たちに追跡の目が向けられる可能性は極めて低い。――何故ならば、念には念を入れようと、モウンタニャアズールから続く東街道からイリネイの街には入らず、北方の王都から続く北街道から北門に入り、「王都から来た」と番兵に申告して街に入ったのだ。雑誌社の記者だと明かさず観光目的と自らを偽ったヒナたちは、いよいよ“イリネイの暗部”を暴くために静かな活動を始めたのである。
ただ、ここで思いもよらない事態が起こる。
これはもちろんヒナやロズリーヌに責任がある話ではなく、もう一方の人物の都合によって起きた事態なのだが、今回ヒナが南を目指した一番の理由……つまり『ヒロトと再会する』と言う目標が大きく後退してしまったのだ。何故そうなってしまったかと言えば、ヒナ一行とヒロトは互いに知らない内にすれ違っていたのである。
アルドワン王国直轄領から東のイリネイを目指したヒロト。辺境伯中央政都から西のイリネイを目指したヒナたち。二人がイリネイの街で再会する可能性はあったものの、ほんのちょっとのタイミングのズレで二人は出会えなかった。先にイリネイに入ったヒロトが、そのまま姿を消してしまったのである。これは“マスターチーフ”から僅かな情報を得ていたロズリーヌにとっても意外な展開なのだが、そうなってしまっては仕方ない。いずれにしても旧友と顔を合わせるチャンスはもう少し先の事となりそうだ。
だが、それならばヒロトは一体どこへ行ってしまったのか。ヒナたちより一足先にイリネイの街へと入り、そして騒ぎも起こさずにひっそりと姿を消したのにはそれなりの理由がある。彼は街道を使わずに森を全力で走り抜け、モウンタニャアズールに入っていたのである。――イリネイ鉱山付近に囚われた魔族たちは解放しないのか?―― その答えが今、辺境伯自治領の中央政都にあったのだ。
真夏の熱波が過ぎ去り、毛布の温かさが心地良い熟睡の時期が始まった。それは農家たちにとって収穫の季節を意味しており、酒に歌にと夜更けまで賑やかだったモウンタニャアズールの街も、今は見る影もないほどに全ての家が灯りを落とし、スヤスヤと寝息を立てて沈黙している。
街の中心にドカリと鎮座するシエルボグリス城もちょうど今、部屋部屋の灯りが全て消えた。それまではラニエーリ一族の団欒があったのか、それとも打ち合わせや会議、はたまた夜会があったのまでは分からないが、衛兵が灯す焚き火を残して城も眠りについたのだ。
「小麦の収穫見込み量はまずまずか。……冬に備えての備蓄も心配はいらなそうだな」
独り言を繰り返しながら自室の扉を開けたのはこの城の主であるクレメンテ、辺境伯の名を継いだプレーヤーだ。彼は今ほどまで会議を開いており、収穫量や税率そして宗主国たるアルドワン王国に対する献上量などを文官たちと詰めていたのだ。
「……こうなると、今年の葡萄の品質が良くなかったのが痛い。あまり良質のワインは出来ないだろうからなあ。生産調整するか、薄利多売か」
手にしていた燭台をテーブルに置き、ふうと一息吹いて灯りを消す。会議などで時間が遅くなった際は夫婦の寝室には入らず、この“独身部屋”に入って就寝するのだが、それは別の意味で表現すればログアウト部屋。この部屋で横になって現実世界に戻ろうとしていたのだ。
「まあいい、明日ワイン商と打ち合わせしてみよう。王国献上分だけでなく、庶民に流通させる分も計画しないと士気に関わる」
月明かりも入って来ない真っ暗な世界で、クレメンテはベッドに上がり横になる。
「ところでさ……そこのアサシン君、俺に用があるんじゃないのかい?」
クレメンテは横になったまま、面倒臭そうな声で闇に向かって語り掛ける。――部屋に入った時からずっと気付いてたけど、いつになったら行動を起こすの?と、多少の焦れが含まれているようだ。
「部屋に入った時からさ、結構隙を見せてたんだよ?それでも襲いに来ないとか、素人さんかなとか心配してるんだぜ」
一度は横になったのだが、クレメンテは再び上半身を起こして身体を捻り、ベッドに座る体制を取る。彼の視線の先は真っ暗な部屋の壁の隅なのだが、やがてその場所から待望の返事が投げかけられて来た。
「……殺しはしない、意味が無いから……」
「まあそうだね、プレーヤーに殺されても下克上モードは成立しない。それで何の用だい?ミスター・ヒロト」
クレメンテは視覚モードを、通常から情報取得モードに変更したようだ。真っ暗な部屋の隅に“ヒロト”とだけ名前が表示されている。
「イリネイ地区について聞きたい事がある。質問に答えてくれれば去る」
「なるほど、イリネイね。それで何を聞きたい?」
「あの街の外縁に、魔族の奴隷が大量に収監されている。知ってるよな」
「魔族の奴隷たち?ああ、知ってるよ」
「魔族の奴隷、推定千五百人。鉄条網で囲まれた強制収容所に詰め込まれて、強制労働を強いられている」
「あれ?千五百人もいたっけ?いや、でも魔族を労働力にしてるのは間違いないよ」
「魔族の男は鉱山で働かされ、魔族の女はイリネイの鉱山労働者たちの慰みものにされ、子供や老人は強制収容所での雑務。全てが劣悪な環境に置かれてる」
「お、おい!今何て言った?」
「重労働に貧困と飢餓、老いも若きも男女関係無く、全ての奴隷たちが力尽きるまで働かされ、そして死んだら弔いも無く野原に打ち捨てられる」
「ちょっと待てミスター・ヒロト!俺が認可しているのは戦争捕虜だけだぞ!何でそこに女子供がいるんだ」
クレメンテは驚きのあまり爆ぜるようにその場で立ち上がる。理解の限界を超えた質問を浴びせられた事でエキサイトして鼻息が荒くなったのだが、ここで暗殺者を目の前に改めて実感する。彼の視線の先にいるであろう“闇に溶け込んだ者”が、これ以上無いほどの怒気を放っており、暗殺者のクセにそれを隠そうともせず自分に向かって露骨に投げかけて来る事を。――つまりヒロトはブチ切れにブチ切れていたのだ。イリネイで起きている悲劇を単なる傭兵団の悪事と捉えずに、国家的な犯罪と見なしたのである。だからモウンタニャアズールに足を延ばし辺境伯に詰め寄ったのだ。
「イリネイよりさらに西、王国直轄領において魔族の集落が頻繁に襲撃を受けていた。魔族たちは捕らえられて奴隷商に売られて行った。オレはとある魔族の少年から頼まれてここに立っている」
「俺は魔族を奴隷にするにあたり、国境紛争などでの捕虜は認めたが、兵士以外の魔族を奴隷にして良いとは一言も言っていないぞ」
「辺境伯よ、貴様はそう主張するかも知れないが現実的な話、イリネイは地獄だ。華やかな人間生活の影で犠牲となった魔族がバタバタ倒れている」
クレメンテの背中に、べったりとまとわりつくような冷たい汗が流れる。夜中に城へ潜り込んで来た見た事も無いプレーヤーが、いきなり激怒と共にイリネイの実情を突き付けて来たのだ。慌てない訳がない。
そして追求して来るこの暗殺者を前に、嘘でこの場をしのぐ訳にはいかないし、方便で乗り切る訳にもいかないと考え、返答に窮している状態なのだ。――下手をすればこの惨事が知れ渡り世界的なスキャンダルに繋がってしまう。世界的なとはKOG世界の事だけではない、現実世界でも醜聞としてネットやニュースで大騒ぎになる事を意味しており、つまりは”炎上”。プレーヤーとして、人としての資質を問われる局面に立たされてしまったのだ。
(思い当たるフシはある。国境線の向こうから「家族を返せ」と怒る魔族がいた。ユエルアリステル公国からも施設団が来た。国境を侵犯して魔族を拉致する集団がいると抗議を受けていた。これか!これらがイリネイに繋がっていたのか)
ヒロトと言う名の暗殺者が詰め寄って来た話が嘘八百ではなく、真実性を帯びている事を悟ったクレメンテは、返答する内容に苦しみながら、ようやく喉の奥から言葉を絞り出した。
「……遺憾だ」
「今、何て言った?」
「遺憾だと言ったのさ。私の預かり知らぬところでとんでもない悲劇が生まれていたようだ」
……手前ぇ……
クレメンテの言い放った『遺憾』と言う言葉は、直接的には関与していないが残念でならないと言う意味。自発的謝罪を意味するアポロジャイズではなく、距離感を覚えるソーリーに近い。自分の領地で起きている惨劇をまるで他人事のようにそう表する辺境伯を見て、ヒロトは瞬間的に殺意を剥き出しにするのだが、ここで何か閃いたのか自制心に力を込める。目の前のこの立場あるプレーヤーは、狡猾にも味方の切り捨てに走ったのではと考えたのだ。
「イリネイの魔族たちを実力をもって解放する。異論を挟む積もりはあるか?」
「……遺憾だ」
「イリネイにはラニエーリ一族、下請けの傭兵団、そして奴隷商人たちがいる。片っ端から殺すぞ」
「ラニエーリ一族も一枚岩ではない。誠に遺憾だ」
「街に騒乱の嵐を起こす。自治領領民に被害が出るが、辺境伯側としては関知しないな」
「ちょっと待て!領民に被害が出れば“復讐の連鎖”が始まるぞ」
「御託並べるんじゃねえよ。復讐の連鎖って言葉を口にして良いのは被害者だけだ。被害者が復讐を完遂した後に自ら背負う十字架の事だ。他人が知った風に言う言葉じゃない」
「ならば当事者ではなく、魔族から依頼されたであろう君も言える言葉じゃないだろ?」
「だから言わない。声無き者、力弱き者の代理人となって、イリネイに血の雨を降らせるだけだ。あんたはさっき遺憾だと言ったな、ならば最後まで遺憾で通せ」
気迫に押され防戦一方だったクレメンテの前から、ヒロトの気配が消えて行く。殺気の嵐は去り普段の気配が漂い始めるのだが、それでも辺境伯は呆然と立ち尽くしたままだ。
「アサシンはイリネイにいる傭兵団も壊滅させると言っていた。アルドワン王国の王族クランに属する傭兵団だぞ?これじゃまるで王国に対する戦線布告じゃないか」
彼からもたらされた情報、イリネイの実情を聞いて驚いていたクレメンテではあったが、情報を即座に吟味して順序立て、そして今後において自分が取るべき道を模索し始める。――何故だか彼の表情から驚愕や恐慌の色は消えて、いつしか野心の荒々しい輝きが瞳から溢れ出していた。
たった一人の戦線布告を宣言したヒロト
傍観者を貫き自ら邪悪な流れを絶ったクレメンテ
暗闇の中で終始したこのやりとりこそが実は、キングダム・オブ・グローリーを運営するプラネットグループの日本支部の、今季大型アップデート第二弾に繋がる布石であったのだ。
“レイド戦を遥かに超える局地戦、全面戦争・グランドウォー”の序章がようやく佳境に入ったのであった。
◆ たった一人の宣戦布告 編
終わり




