54) 偽善かも知れない、だけど
「おおおすごい、ある意味壮観ですね!イリネイ鉱山ってもう、まるまる山が開発されてるんだ!」
丘の上に立ち元気に背伸びしながら、遥かを見詰めるヒナ。そしてその光景を微笑ましく眺めるロズリーヌ。二人はようやく目的地を前に、その全景を目の当たりにする。彼女たちが望む西の山々の稜線は険しく、まるで嵐の海のように波打っている。その中で彼女たちの視点の中心になる“イリネイ山”は、ほぼほぼ森林が切り崩されて禿げ山の状態。山の斜面もカットされて作業道が作られており、それはもうスポンジを重ねたチョコレートムースの巨大なケーキのようにも見える。
「現実世界だと“環境破壊だ!”って大騒ぎになるだろうけど、このゲーム世界はあくまでも中世だからね。逆に前時代の乏しい技術でここまで開発出来たって事は、その裏にある組織力や統率力がハンパではないって事よね」
半ば呆れたような口調でそう言いながらも、ロズリーヌはイリネイ山からその麓に視線を落とす。人々の営みはどうなのかと街に注目したのだが、何やら怪訝な表情へと変わりつつある。
「ねえヒナちゃん、あのイリネイの街、何か変だと思わない?」
「えっ、あの街ですか?ううう……何が変なんだろ?」
「国境線を意識してるだろうから、街の南側が頑強になるのは理解出来るとして、あの街は全方位が要塞化されてない?」
「あ、言われてみればですね」
「それにさ、要塞化された街の外側にある集落、あれはただの貧民窟じゃないよね?」
ロズリーヌが指摘するイリネイの街の異質さとはこうだ。
先ず街が武装国家の首都のようにものものしい。これは南から来る魔族軍の進軍や侵攻を避けるように、湖や山の斜面を利用して『天然の要塞』を形造った辺境伯自治領の中央政都、モウンタニャアズールと全くコンセプトが異なる点であり、南に警戒を置く中央政都と対照的にイリネイの街は南だけでなく、全方位を警戒して形造られている。――それも高い石壁で囲まれた古代の円形都市ではなく、イリネイの街は函館にある五稜郭を模したヴォーバン様式星形要塞。それも銃や大砲や弓矢の陣地である「稜堡」……星のトンガリ部分が五つある五稜郭など比に及ばず、五角形ではなく十二角形をもって形成される物々しさなのだ。
この理由から中央政都であり要塞都市と呼ばれるモウンタニャアズール以上に、このイリネイの街は近代戦戦術思想によってデザインされた防衛陣地と考察出来る、自治領にとっては貴重な財源である鉱物資源を守る戦略要衝なのだろう。だとしても、何故に南だけでなく全方位に警戒を向けるのかを考えると、それはそれでキナ臭い。それはつまり、このイリネイの街は宗主国である『アルドワン王国』に対しても、対魔族軍並みの警戒感を持っている事に繋がるのだ。
更にロズリーヌが指摘した『貧民窟』――どこからともなく現れて街に居着く貧民たち、その人々が街の外れや郊外にコミュニティを作り、人一人通るのがやっとのような路地を入り組ませて身を寄せ合って生活する。その貧民窟らしき貧民たちの集落が、気持ち悪いほどに整然としている。平屋のアパートが縦横に等間隔に並び、まるでそれは収容所のようにも見えるのだ。ただ、脱走を防ぐための鉄条網ではなく、外部からモンスターの侵入を防ぐ目的での鉄条網だとも考えられる。それならば何故、街に入れてやらないんだと言う階級差別すらも垣間見えるのだ。
「あの街の外にある貧民窟……たぶん強制収容所かも。ヒナちゃん、目を凝らして見てみて」
「あれ、むむむ?何か柵で囲まれてますね、もしかして鉄条網ですか?」
「多分それで当たり。本格的な鉄条網が世に出たのは確か、千八百年代後半に起きた南アフリカの植民地戦争、ボーア戦争が初めてと言われてる。時代考証を鑑みるとNPCはこんな事はしないし発想自体が無い。プレイヤーが発案して導入したのかもね」
「つまりプレイヤーが何かしらの目的をもって、強制的に貧民を利用してるって事ですか?」
「ヒナちゃんの予想で合ってる気がする。それが辺境伯であるクレメンテ・ラニエーリの望んだ世界かどうかは分からないけど」
まだ推測の域を出ない話ではあるのだが、ヒナの表情は怪訝を通り越して露骨な嫌悪に変わって行く。
誰もが心情の奥底に漂わせる感覚……“どうせ奴らはNPCだから、何やったって良いんだ”と言う感情、もちろんロズリーヌやヒナであっても皆無であるとは言えない。意識はしていないものの、プレイヤーとNPCに対する温度差がどうしても存在するのは否めない。だが、だからと言ってそれは、【非人道的行動】をNPCに取って良いと言う免罪符にはならないのだ。このフルダイブファンタジーMMO、キングダム・オブ・グローリーは何でもアリのゲームかも知れないが、だからこそ自分の生き様もゲームプレイに反映されるのだ。
(偽善かも知れない、独善かも知れない、良い人に酔ってるだけかも知れない。だけど私は知っている!自分の財産を分け与えて、NPCを守り続けた少年を。NPCを守るために悪党プレイヤーと闘い続けた少年を。私は知っている、NPCたちから愛された優しい心の少年を!)
ヒナの心の奥底で何かが“ピン!”と弾ける。何か新聞記事のネタになるものはないかとこの地を訪ねたが、これはとんでもなくデカいニュースソースではないかと感じたのだ。それも、世に向かって訴えなければならないような不実、不正義、不義がそこにあると感じたのである。
「ロズリーヌさん、警戒しながら街に入りましょう。私はちょっと気に入らないです」
「え、ヒナちゃん、気に入らないってどう言う事?」
「いえその、何か……上手く表現出来ないんですが、誰かの幸せのために大勢の誰かが不幸な毎日を暮らしてる。あの街はそんな感じがして」
「分かる、分かるわよ。美味しい回転寿司屋さんの地下で、カッパたちが泣きながらお寿司握ってる感じでしょ?」
「そ、それはただの都市伝説ジョークじゃないですか!」
「ほらほら、女の子なのに鼻息荒いわよ。まあでも、あの強制収容所みたいなの見ちゃうと、他人事としてスルーは出来ないよね」
あくまでも予測、想像の域を出ない『勘』だけの話ではあるのだが、不正義を暴く特ダネだと言わんばかりに肩を怒らせて歩き出すヒナ。それに続くロズリーヌは苦笑しながらも好意的にヒナを見詰めている。――なるほど、マスターチーフの言った“これからKOGは面白くなる”と言う言葉の意味、その断片を見つけた気がしたのだ。
「よし!ヒナちゃん、私がヒナちゃん専属ボディーガードになってあげよう!」
「えっ、えっ?どうしたんですか急に」
「今まではほら、ヒロちんに会えるまでの暇つぶしみたいな関係だったけどさ、私はヒナちゃんの仲間になりたいと思ったの。さあ、フレンド登録するわよ!ちゃんとショートカット登録してフレンドリストに埋没させちゃダメよ」
「わかりました……わかりました……けど、何故に抱き着くのですか?お尻……触ってる!耳元で息は……!」
大人の色気でヒナをからかってはいるものの、ロズリーヌの瞳はまるで、ヒナを通じてヒロトを見詰めているよう。いやヒロトだけでなく、かつて彼女がプレイしていたレジオン・オブ・メリットで胸襟を開いていたギルドの仲間たちを見ているようだ。つまりロズリーヌはゲームを乗り換えてやっと……新しいフレンドと出会った事になる。ヒナはKOG世界において一人目のフレンドなのだ。
「それでヒナちゃんどうする?外部に隠れ家作って隠密偵察するか、それとも潜入偵察にする?」
「聞き込みしたいし、街にいた方が深夜動きやすいから、旅人装って街に入りましょうか」
「そうね。まだ推測の段階だからビクビクしてもしょうがないし……ちょっと待ってヒナちゃん」
ロズリーヌはヒナの腕を掴みブレーキをかける。イリネイの街に続くこの道で、視界の遠くに複数の馬が見えたのだ。
「馬がこっちに向かって来てる」
「旅人ですかね?一ニ……六人乗ってますね」
「あれは一列縦隊、横からの奇襲に備えた隊列よ。隊列組んで進んで来てるって事は民間じゃない、自治領軍の騎馬隊か街の警備隊か」
「今こんな話をしてたばっかりだから、ちょっと警戒しちゃいますね」
「何事も無ければ良いけどね。とりあえず下手に警戒して刺激してもしょうがないから、普通にすれ違いましょう」
意識しないようにと笑顔を作る二人であったが、街に入る間もないままに戦闘が始まりそれが歴史の展開点に変わってしまうような、重大な局面を迎えていたのである。つまり二人は今、歴史が変わる瞬間のスタート地点にいたのだ。




